第68話 シルヴェニアの国境 1
シルヴェニアの国境まで約一ヶ月。
だが、そこにいくにはタンネンベルク地方を通らねばならない。
タンネンベルク地方は、人類と魔族の最前線である。
――人類は前線に砦を築き、魔族が破壊する。
――人類は後退した戦線を押し上げ、魔族は退いて戦力を温存する。
そんな一進一退の戦いが長きにわたり続いていた。
自然と血の気が多く、魔族を憎む者が多い。
マリアンヌを連れているとバレたら日中に襲われかねなかった。
ダグラスは護衛の騎士たちを見張りだと思っていた。
しかし、どうやら本当に護衛としてつけてくれていたようだ。
彼らがいなければ、前線の兵士や冒険者たちに襲われていたかもしれない。
国家公認の行動であるという保証があったおかげで、ダグラスたちは順調に国境にまでたどり着く事ができた。
(もしかして、あの人は神は神でも疫病神なんじゃあ……)
カノンの事をそう思ってしまうほど、旅の順調さにダグラスは呆気に取られていた。
もしカノンがいれば、道中の砦などで問題を起こしていた可能性が高い。
こんなにスムーズにいかなかっただろう。
久々に別行動をとった事で、カノンの厄介さを再認識させられる。
国境の砦は、対人間用の砦と変わらなかった。
これはシルヴェニアの事情による。
吸血鬼は強力な魔法を使うものの数が少ない。
主力は彼らに飼われている人間である。
だから人間の侵入を防ぐのを優先に考えられた作りとなっていた。
「あともう少しか」
ダグラスは安堵の溜息を吐く。
ここに着くまで、いつ誰に襲われるのかわからなかった。
さすがに人類の最前線には、ダグラスでは歯が立ちそうにない古強者ばかりがいる。
自分一人では、とても対応できそうにない相手だ。
争う事なく、マリアンヌを故郷へ無事に送り返せそうで安心していた。
「安心するのは、まだ早いぞ」
護衛の騎士が、ダグラスに声をかけてくる。
彼らとは旅の間に交流を深めていたので、出発時と比べると柔らかい態度を取ってくれるようになっていた。
「問題はここからだ。シルヴェニア側がお前たちを受け入れてくれるかどうかがわからない。近寄ったら問答無用で攻撃される可能性が高いんだぞ」
「ええ、だから日が暮れたらマリーだけ先に行ってもらおうと考えています。彼女なら攻撃してこないでしょうし、されても防げるでしょうから」
「そうか、それならいい」
“それならいい”と答えるものの、騎士はまだなにかを聞きたそうにしていた。
少しためらってから、気になっていた事をダグラスに尋ねる。
「なぁ、なんで
「あっ……」
騎士に言われてダグラスは気づいた。
――自分がマリアンヌと一緒にシルヴェニアに行くのが当然だと思っていた事に。
彼はそれが当たり前だと思っていた。
実際は国境まで送り届ければいいだけである。
(マリーには、マリーの生活がある。俺が一緒にいても邪魔になるだけかもしれない……)
吸血鬼の国で人間の同行者など邪魔でしかない。
なぜ彼女と共にシルヴェニアに行くのが当たり前だと思っていたのだろうか。
騎士に言われて初めて、ダグラスは自分の行動に疑問を持った。
「当たり前でしょう」
ダグラスが返答に困っていると、馬車の中にいたマリアンヌが反応する。
「ヴァンパイアは恩知らずじゃない。私を助けてくれた分のお礼はさせてもらうわ。それには一緒にきてもらわないと困るじゃない」
「そういう事でしたか。ヴァンパイアが人間を賓客としてもてなすという発想がありませんでした」
「命を取り合う相手だからそう思ったんでしょう。でも私たちはクローラ帝国を攻撃はしていないわ。攻めてきたのを追い返しただけ。そういう偏見に満ちた目で見ないでほしいわね」
「失礼いたしました。以後、気をつけます」
ダグラスには、マリアンヌの言葉が真実だろうと思う。
吸血鬼が人間を食料にする種族だという事で、彼も偏見を持っていた。
しかし“食料だからこそ、無駄に殺さない”という言葉を聞いてから考えが変わった。
(そうだ、俺は知りたいんだ。マリアンヌの事も、ヴァンパイアの事を……)
そう思うと、ダグラスは決意する。
「やっぱり僕もシルヴェニアの国境まで一緒に行きます。もっとヴァンパイアの事を知りたいんです。それに、彼らに従う人間の考え方も。詳しく知ればカノンさんの役に立つかもしれません。そして、皆さんのためにもなるかもしれないですし」
「確かに争いを避けられるには越した事はない。怒りの日から魔族の動きが止まって余裕ができているが、それでもやはりシルヴェニア方面の部隊を他方面に振り分けられたら楽になる。さすがは神の従者だ。ヴァンパイアと対話しようなどと普通は考えないぞ」
「カノンさんの影響は大きいですね。あの人と出会わなければ、こんな考えを持つ事はなかったでしょう」
カノンは人間のみならず、ヴァンパイア相手にも欲情する男だ。
彼と出会わなければ、ヴァンパイアは生きとし生ける者の敵としか思わなかっただろう。
今までになかった見方をするという点では、見習うところがあるのかもしれない。
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シルヴェニアの砦は、クローラ帝国の砦から見える場所にあった。
日が暮れるまで時間があるので、馬に休憩取らせてから、ダグラスは護衛を置いてシルヴェニアへ向かった。
砦に近づくにつれて、城壁の上で人影が慌ただしく動いているのが見えた。
門は閉ざされたままであり、迎撃部隊が出てくる気配もない。
それもそうだろう。
馬車一台だけで近づいてきているのだ。
魔法が使えない今、馬車の中に人間が隠れていても、馬車一台分でできる事などたかが知れている。
守りを固めておけば恐れるような相手ではなかった。
「マリアンヌ・チューダー様というお方をお連れした。確認を頼む」
砦に到着すると、ダグラスが城壁の上にいる兵士に向かって叫ぶ。
すると、兵士たちの間で明らかに動揺が広がる。
「クローラ帝国の人間がヴァンパイア様をお連れしただと!?」
門兵の隊長らしき者が返事をする。
その声には明らかに戸惑いの色が混じっていた。
「複雑な事情があって、お連れする事になった。馬車を中に入れるか、誰か確認によこすかは任せよう。それと僕はクローラ帝国の人間じゃない」
「ちょっと待っていろ」
隊長がどこかへ駆けていく。
砦を任される責任者のところへ向かったのかもしれない。
しばらく待つ事になったが、まだ油断はできない。
ダグラスは周囲の気配に警戒しつつ、水を飲んで待つ事にした。
「ねぇ、やっぱり私が出たほうがよかったんじゃないの? 日焼け止めクリームもあるんだし」
棺の中から様子を窺っていたマリアンヌが話しかけてくる。
「黒い眼鏡がないと目が潰れるじゃないか。でも眼鏡をしたままだと赤い目が確認できない。ただヴァンパイアの格好をした人だと思われるだけだって言ったじゃないか」
だが、その案はすでに却下されたものだった。
威圧感などは与えられるだろうが、それは人間でも強者であればできる事だ。
サングラスをかけたままだと、ただの露出狂の人間だと思われかねない。
それに太陽の下に出られる吸血鬼など、余計に説明が面倒になるだけだった。
「信じてもらえなければ、夜になってからマリーを確認してもらえばいいだけだ。少しくらい待とう」
「私の名前を出した以上、いきなり襲いかかってくる事はないはずよ。それだけは確かね」
その言葉で、ダグラスはふとした疑問を持った。
「マリー自身か、チューダーって家が有名なの?」
「……まぁ、そうね。シルヴェニアでは知らない人はいないわ」
「だとすると、逆に疑われるかもしれないね。有名な家だったら騙りやすいだろうし」
「騙る人間なんて八つ裂きにされるだけだから、まずいないでしょうけどね」
こうして軽く雑談してくるだけでも、ダグラスはマリアンヌの事を知らなかったと思い知らされる。
彼女の事を聞きたかったが、なにを聞けばいいのかわからなかったせいでもある。
(種族の違いだけじゃないんだよな。ヴァンパイアが貴族扱いなら、身分の違いもあるんだ。これからはマリーと気軽に呼べなくなるかもしれないな……)
ダグラスは先行きに不安を覚えていた。
それはカノンと一緒にいた時とは違う意味での不安だった。
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