第64話 キドリの自撮り

 歓迎パーティーの翌日。

 ダグラスは“どうせカノンさんは酔いつぶれているだろう”と思って会いにいかなかった。

 代わりに、キドリから誘われて一緒に神の領域へ向かう。

 せっかく神の領域で道具を取り出せるのだ。

 必要なものを一緒に揃えにいくためである。

 一人でいくのは気が引けたのだろう。


 彼女も最初は――


「でも勝手に入っていいのかな? スズキさんの家ってわけじゃないけれど、他人の家に勝手に入るのは抵抗あるなぁ」


 ――と言っていたが、すぐに意見が変わった。


「うそっ、季節限定商品まで自由に選べるの! うわっ、やっぱりマッズ! 買わなくてよかった!」


 彼女は飲み物やお菓子を取り出しては、一口飲んだり食べたりしていた。

 ダグラスも彼女が残したものを一口食べたが、彼でも“これはもう食べたくないな”と思うものが多かった。

 それなのに彼女は嬉々として様々な味を試している。

 美味しいお菓子ならばともかく、わざわざマズイものを食べたがる理由がダグラスには理解できなかった。


「神様になれば好きなものを自由に取り寄せられるんだ。いいなぁ」

「それは素晴らしい事ですけど……。それが今日、やりたかった事なんですか?」


 ダグラスは、キドリの行動を疑問に思った。

 普段であれば、こんな事を思ったりはしない。

 だが今日は、神の降臨を祝うパーティーが行われたあとである。

 まだまだ宴は続くだろう。

 そんな時に、神に近い存在である勇者が席を外していいはずがない。

 彼女がなにを考えているのかが、ダグラスにはわからなかった。

 しかし、キドリにはキドリなりにちゃんとした理由があったのだ。


「だって私はお酒を飲んだらいけない年齢だから……」


 だが、それはダグラスにはわからない理由でもあった。

 ダグラスは思考力が低下するので飲まないが、ここはキドリくらいの年齢の時点で酒を飲んでいる者もいる世界である。

 幼い子供であれば飲ませないが、そこまで幼いようには見えないので彼女の言っている意味がわからなかった。


「もしかして、それは神の世界の決まり事ですか?」

「うん、そう。法律で子供は飲んだらダメってなってるの」

「規制が厳しい世界でも、あの人みたいに酔いつぶれる大人に育つのね。実際はそこまで厳しくないんじゃないの? この世界でなら、ちょっとくらい飲んでもいいんじゃない?」


 もちろん、ここへは二人きりできたわけではない。

 マリアンヌもいた。

 彼女は“ちょっとくらいなら”と、キドリに悪魔の誘惑のようにささやく。


「ダメですよ。神様が見ているから悪い事をしたらダメだってお爺ちゃんが言ってましたから」

「神の世界でも、さらに神が……。あぁ、そういえばあの人も大神とか言っていたわね」


 ――カノンをこの世界に送り込んだ神がいる。


 その事を思い出して、マリアンヌは一人納得する。


「そうだ、マリアンヌさん! ちょっとこっちへ。ダグラスさんはきたらダメですよ!」

「ちょっと、なによ」

「着替えるだけですから」


 キドリが強引にマリアンヌを別室に連れていく。

“くるな”と言われたダグラスは、大人しく待つ事にした。

 吸血鬼相手であるにもかかわらず、キドリには殺意がない。

 恐れてもいないので、恐怖心による自己防衛のための攻撃行動もしないだろう。

 彼女が圧倒的強者だからこそ、かえって安心感があった。

 ダグラスは、お菓子を一つ取って頬張る。


(もったいないけど、これはもう食べなくていいな)


 ダグラスにとって、神の食べ物は唯一、味がわかる食べ物だった。

 しかし、そんな彼でも味わいたくないものもある。


(不味いという感覚。これは知りたくなかったな)


 だが、ダグラスは食べるのをやめなかった。

 不味いが、一応は食べられるものであるからだ。

 師匠に拾われるまで、彼は路地裏に住み、残飯を漁って生きてきた。

 もし味覚があれば、あの時代を生き延びる事はできなかっただろう。

 あの頃、食べていたものは“不味い”の一言で済むようなものではなかったのだから。

 そう考えれば、食べられる程度の不味さなど気にならなかった。


(でもこれって、捨てたらどうなるんだろう? 魔法かなにかで作っているなら、消えてしまうのかな?)


 とはいえ、食べられる量には限度がある。

 食べられなかった分がどうなるのかを考え始める。

 何気なく手に取った飲み物の不味さに“うげっ”となっていると、キドリが戻ってきた。


「お待たせ。きっとダグラスさんも驚くと思うよ」

「驚かされるのはあまり好きじゃないんですけど……」

「まぁいいから、いいから」


 ダグラスの言葉を無視して、キドリは話を進める。


「マリアンヌさん、見せてあげてよ」

「こんな格好恥ずかしいのだけど」


 彼女らの会話から、神の道具から服を取り出してマリアンヌに着替えさせたのだろうという事はわかる。

 だが、マリアンヌが恥ずかしがる格好が、ダグラスには想像できなかった。

 いつも彼女は秘部を隠す最低限の服しか着ていない。

 あれより恥ずかしい格好というのは、どういうものかが気になった。


「大丈夫だって。ダグラスさんだって気に入ると思うから」

「別にダグラスは関係ないわよ。これはあなたが着ろっていうから……」


 ぶつぶつと言いながら、マリアンヌがダグラスの前に姿を現した。


「……どう? 似合う?」


 ――麦わら帽子に白のワンピース。


 シンプルな格好であるが、水着のような服装や喪服姿とは受ける印象が大違いである。

 白のワンピースに、赤く光る眼が良いアクセントになっているように、ダグラスには見えていた。

 いつもとは違う印象のマリアンヌに、しばらく見惚れていた。


「ほら、ダメじゃない」


 マリアンヌがキドリに抗議する。

 だが、キドリはニヤニヤとした笑顔を浮かべて気にしていなかった。


「なにを言ってるんですか。いつもと違うマリアンヌさんに見惚れてるんですよ。美人なんだから自信を持ってください」

「……そうなの?」


 今度はダグラスに尋ねてきた。

 自分に尋ねてきた事で、ダグラスも慌てる。


「ええっと、いつもと違う格好だから驚いたけど……。似合ってると思う。あぁ、でもファッションとか詳しくないし……」


 突然の事だったので、ダグラスはしどろもどろに答える。

 そんな彼の姿を見て、キドリはマリアンヌの肩をポンと叩く。


「ほらね。男は露出の多い姿ばっかりじゃなくて、清純っぽい服装も好みなのよ。マリアンヌさんはいつも露出の多い格好か、喪服ばっかりだったでしょう? たまにはこういう格好をしてみるのもいいと思いますよ」

「そういうものかしら?」

「そうですよ。ダグラスさんも食い入るように見ていたじゃないですか。ギャップ萌えも大事です!」

「ぎゃっぷもえ?」


 慣れぬ言葉に怪訝な表情を見せるマリアンヌだったが、キドリは気にせずスマホを取り出す。


「じゃあ、ダグラスさんと並んで立ってください」

「え、ええ」


 よくわからない事ばかりだが、マリアンヌはキドリの指示に従った。

 キドリもマリアンヌの隣に移動する。

 そして、スマホを皆の前に出した。

 スマホには自分たちの姿が映し出されていた。


「これは鏡なの? ヴァンパイアは鏡に映らないはずなのに」

「えっ……。あぁ、そうですね。ヴァンパイアって鏡に映らないんでしたっけ? まぁこれは特別な道具だからなのかな?」


 マリアンヌは自分の姿を食い入るように見つめていた。

 これまで他人を見る事ができても、自分の姿を見る事はできなかった。

 自分の顔の造形が悪くない事を始めて知り、彼女は安心していた。


「とりあえず、写真を撮りますね。ヴァンパイアと撮った写真とか友達に自慢できそう! はい、チーズ」


 パシャリという音が鳴ると、キドリは撮れた写真を確認する。

 すると、彼女は顔を曇らせた。


「うわぁ……。こうして並んでみると、マリアンヌさんの顔小さっ、胸でかっ、体ほそっ」


 ――並んで映っているからこそ、誤魔化しようのない辛い現実。


 その現実の前に、キドリは打ちのめされていた。


「それって現実を切り取って絵にするという写真ですよね? 古代文明の時代にあったっていう」


 ダグラスは、キドリがなにをしていたのかについてあたりをつけた。

 彼女のスマホには、自分たちの姿が映っている。

 そのような事ができるものを、彼は知識として知っていたからだ。


「そう、写真です。こうやって自分で撮って友達に見せたりするんですけど……。見せるにはマリアンヌさんが美人すぎて辛すぎる!」


 ヘコむ彼女の背中をマリアンヌが優しくさする。


「大丈夫、あなたも十分に可愛いから」


 ――自分が美人だと確信をもってこその余裕。


 それがマリアンヌにはあった。


「あなたも着替えてみたらいいじゃない。服はいくらでもあるんでしょう?」

「服装でどうにかなる差じゃないんですよねぇ……」

「いいからいいから」


 先ほどまでとは打って変わり、今度はマリアンヌが積極的に着替えようとキドリを連れだす。

 まるで女友達のように、楽しそうな後ろ姿だった。


「……今日、ここには必要なものを集めにきたんじゃないの?」


 ダグラスの呟きは、誰もいない部屋に吸い込まれていった。

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