第63話 ジオフロント 9

 パーティー会場で、カノンは大人気だった。


「まるで生者にゾンビが群がっているようだ」


 ダグラスが、そう思ってしまうような光景である。


「ゾンビのほうがまだ賢いわよ。近づけないとわかれば、他の獲物を探すくらいの知能はあるもの」

「サンクチュアリに干渉できる人だからね」

「それはあなたもじゃないの?」

「入る事ができるのと、入る許可を与えられるのとでは大違いだからだよ。誰もが一度は中に入ってみたいだろうさ」


 そんなカノンの周囲と比べて、ダグラスとマリアンヌの周囲に人はいなかった。


 ――しょせんダグラスは従者であり、添え物に過ぎない。

 ――マリアンヌは吸血鬼であり、誰も近づきたいとは思わないからだ。


 だから自然と二人は壁の花と化していた。

 この状況にマリアンヌは不満を持っていたが、ダグラスはなにも感じていなかった。

 そもそも、目立ちたいと思ってはいないのだ。

 ダグラスは壁際で“必死に取り入ろうとしているけど、その人は本当に神なのか怪しいぞ”と冷ややかな目で見ていた。


「まったく、これならくるんじゃなかったわ」

「そう言わないでください」


 マリアンヌの愚痴に反応したのは、ダグラスではなく、フリーデグントだった。

 彼女は正装しており、鎧姿とは受ける印象が大きく異なっていた。


「魔族はずっと戦い続けてきた相手なのです。神の従者とはいえ、ヴァンパイアを受け入れるのには抵抗があります。すぐに受け入れるのは無理でしょう」

「フリーデグントさんはどうなのですか?」


 ダグラスに問われ、彼女は苦笑をする。


「正直なところ、私にも抵抗はあります。ですが、マリアンヌ様はホテルでも襲いかかってはきませんでした。魔族にも話の通じる相手もいる。そんな今まで考えた事もない現実を目の当たりにして“魔族は敵だ”という考えも、さすがに揺らぎました。双方共に歩み努力をするべきだと思います」


 争うばかりではなく、話の通じる相手とは話し合うべきだと思ったらしい。

 どうやら彼女も、マリアンヌとの出会いに影響を受けた一人のようだ。

 ダグラスは少しだけ彼女に親近感を覚えた。


「あら、私は争わないように話し合うなんて言った覚えはないわよ」

「それはっ!?」

「でも人間の世界で自由に行動できるようになれば、それだけ多くの血と出会えるという事なのよね。私たちのほうでも戸惑うだろうけど、興味を持つ人はいるでしょうね」


 だが、マリアンヌの言葉でダグラスは不満を持った。

 彼女が他の男の首筋に噛みついているところを想像してしまったからだ。


「驚かせるのが趣味なのでしょうか。でしたら成功です。最初の言葉には驚かされましたから」

「あら、こんな事で驚いていたらもたないわよ。人間が目の赤い輝きに気づくまで、気配を消して暗闇に佇んで驚かせるっていう趣味の人もいるくらいだからね」

「なんですか、その方は。今まで持っていたヴァンパイア像が崩れてしまいそうです」

「ヴァンパイアといっても、色々いるわよ」


 二人がクスクスと笑う。

 会話はこれで終わりではなく、フリーデグントは二人と話し続けてくれた。

 どうやらホスト側の者として、ダグラスたちをもてなそうとしてくれているようだ。

 キドリの護衛に選ばれるだけあって、そういうところはしっかりとしている人物なのかもしれない。


 ダグラスは彼女の好意をありがたく受けることにした。

 正直なところ、ここでマリアンヌと二人っきりでいても話す事がなかった。

 せいぜいが、愚痴を聞くくらいだろう。

 話題を提供してくれるフリーデグントの存在はありがたかった。


 三人で話していると、徐々にダンスホールの人が減っていった。

 カノンに挨拶ができて満足したのと、今後の事を別室で話すために散っていったのだろう。

 ホールを抜けだす者の中に、ユベールの姿を見つける。


(一緒にいるのは国王のヴォルフラムたち……か。普通に考えれば、タイラーに関する報告だろうけど……)


 ダグラスは、ユベールがなにを話すのか気になった。


「慣れぬ会場の熱気に当てられたようです。少し涼んできてもいいですか?」

「ええ、もちろんです。そちらのテラスがいいでしょう。水を用意しましょうか?」

「いえ、結構です」


 ユベールたちの様子を窺いにいくのだ。

 誰かにこられては困る。

 ダグラスは、そっとマリアンヌの手を握った。

 その行動で、フリーデグントは色々と察した。


(しっかりしているようでも、やっぱりまだまだ若いわね)


「そういえば、私はまだカノン様にご挨拶しておりませんでした。少し席を外しますね」


 彼女は気の使える女である。

 若者が我慢しきれず“すぐ二人っきりになりたい”という衝動に駆られたのだと察して、この場を離れようとした。


「お気遣いいただきありがとうございます」


 ダグラスがそう言うと、フリーデグントは優しい笑顔を残して立ち去る。


「急にどうしたの?」


 突然手を握られたマリアンヌは戸惑っていた。


「こっちにきて」

「えっ、ちょっと」


 ダグラスに引っ張られて、テラスへ出て、カーテンを閉める。

 外は暗く、地下にあるため周囲は暗い。

 わずかな星明かりだけで、どこに誰がいるのかわからないほどだった。


「ちょうどいい。マリー」

「な、なによ」


 急に暗がりに連れてこられたのだ。


(いつになく真剣な表情をしているわね。まさか、またご褒美がほしいとか言い出すんじゃ……)


 マリアンヌは、これからの事を考えてドキドキしていた。


「ユベールさんが、この国の王になにを話すのかが気になるんだ。ちょっと様子を見に行ってくるから、誰かがきたら“ここは使用中”だって答えて人を近づけないでほしいんだ」

「……そう。いいわよ」


 つい先ほどから打って変わって、マリアンヌも真顔になっていた。


「ありがとう」


 だが、人間の目には限界がある。

 そんな彼女の表情の変化に気づけるほど明るくはなかった。

 礼を言うと、ダグラスは隣のテラスへと飛び移る。

 間隔が三メートルほどあり、普通の人間であれば躊躇する距離である。

 しかし、ダグラスには苦ではなかった。

 音を立てずに、次々に移動していく。

 かつてユベールに足音の違和感で正体を見破られた。

 それはダグラスが音と気配を消すほうが得意だったからだ。


 ――怪しげな会話をしている者。

 ――男女の密会現場。


 そういった部屋のテラスをいくつか通り過ぎると、目的の部屋に着いた。

 聞き慣れた声が部屋の中から聞こえる。


「――という事情でして、タイラーさまが世界を滅ぼしたというのは神話通りでした。そして、カノン様とキドリ様が神の国の出身というのも確かだと思います。世界が滅ぶ事に慣れているようでしたから」


 いくつかの溜息が聞こえる。

 ダグラスも、それに釣られてしまいそうになる嫌な現実だった。


「人間が先に攻撃を仕掛けたとはいえ、タイラー様が感情的に世界を滅ぼすような神だったとはな……。カノン様はどうだ?」

「危ういところはあります。ですが、人の良いところもあります。信じてもいいのではないでしょうか」

「どういったものだ?」

「食事には三人で出かけていたのですが、食後はいつも『私たちは酒を飲んでいくから』と、酒を飲めないダグラス氏を先にホテルへ帰していました。ダグラス氏とマリアンヌ氏が二人きりでいられる時間を作るためです」

「ほう」


(それは知っていた)


 ダグラスも、いつも先に帰されていれば、その理由を察する事くらいできる。

 カノンは神としては不安があるが、人としては最悪な人間ではない。


「そして、そのあと私を『いざ、キャバクラへ!』と酒場へ連れていってくださいました。なかなか気前のいいお方です」


(あの野郎! そんな無駄遣いをしていたから、途中で路銀に困ったんじゃないか!)


 カノンがキャバクラ通いをしていなければ、ユベールの同僚と会ったあと、困らない程度には路銀が残っていたはずだ。

 金があるからと道中で豪遊していたせいで、ドリンを目前に困る事になったのだ。

 知りたくなかった現実を知ってしまい、ダグラスはカノンに“ほぼ最悪に近い人間”という評価を付ける。


「では、あの若者はどうだ? ヴァンパイアを自分の女にするくらいだ。かなりの悪人なのではないか?」


(俺の事か!?)


 自分の話題になるとは思っていなかったので、ダグラスに動揺が走る。

 だがそれは心の中での事。

 体は微動だにせず、部屋の中の会話に集中していた。


「いいえ、違います」


 問いに対して、ユベールはきっぱりと答えた。


「もう少しだけ親密になって助けてくれてもいいのではないかと思うところはありましたが、なんだかんだと私を助けにきてくれました。いや、あれは助けてもらえたと言っていいのか……。うーん、善人かと問われれば悩むところですが、悪人というほどではないでしょう」

「普通の人間の範疇というわけか」

「普通ではないでしょうが、善と悪で簡単には分けられない程度だとお考えください」


 ユベールは、ダグラスの正体について触れなかった。

 これは彼なりにダグラスに恩を感じていたからである。

 もちろん、それだけではない。

 エルフは利己的ではあるが、だからといって同族に連帯感を持たないというわけではない。

 かつての仲間を勇者召喚の儀式で犠牲にされた恨みを持っていた。

 クローラ帝国臣民として報告はするが、すべてを包み隠さずに話すつもりはなかった。


「では始末する必要はないのか?」

「ないでしょう。それにダグラス氏はカノン様が選ばれたお方です。ヴァンパイアとの交流ができるのであれば、他の魔族との戦闘も終わらせる事ができるかもしれません。彼にシルヴェニア行きというチャンスを与えてもいいのではないでしょうか?」


(ユベールさん……)


 ユベールは“飲んだ金を払えないから骨を一本折られる? どうせ治せるから安いものだ”と見捨てたダグラスを裏切ったりはしなかった。

 彼なりに恩義を感じて助けようとしてくれている。

 ダグラスは、ユベールを疑った自分を恥じた。


(もうこれ以上見張る必要はなさそうだな)


 ユベールを信じて、ダグラスはマリアンヌのいる場所へ戻った。

 

「お待たせ。ユベールさんは僕たちを裏切ろうとはしていなかった。それどころか、シルヴェニアにマリーを送り届けさせてもいいのではないかと言ってくれていたよ」

「そう」


 マリアンヌの返事は冷え切ったものだった。

“待たされて不満だったのかな?”とダグラスは思ったものの、暗くて彼女の表情が読めない。

 ただなんとなく、雰囲気で不機嫌だという事だけがわかった。


「待たせてごめんね」

「いいわよ、別に」


 謝っても彼女の機嫌は直らなかった。


「中に戻る?」

「ここでいい」


 表情が読めないので中へ戻ろうと言うが、マリアンヌは戻ろうとしなかった。

 彼女だけを置いて中へ戻るわけにはいかないので、ダグラスもこの場に残る。


(なにを怒っているんだろう……)


 夜目の利くヴァンパイアだからこそ見えるものがあったのかもしれない。

 もしくは、誰かがきて暴言を吐いたか。


(まったく、誰だかわからないけど許せないな)


 ダグラスは、マリアンヌを不機嫌にして去っていった者の姿を想像し、その相手を恨んでいた。

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