第62話 ジオフロント 8

 多くの者は物陰で用を足していたが、教会関係者など信仰心の篤い者たちは座ったまま漏らしていた。

 一秒足りとも、このような場にいたくないという気持ちから、悪臭が酷いのでカノンはヴォルフラムと話して王宮に集まる事にした。

 教会関係者が着替える時間を作るため、ダグラスたちも男女に別れて着替える事となった。

 とはいえ、着替えるのはカノン以外の者たちだ。

 カノンは威厳を感じるそのままの格好でいいと言われ、別室でヴォルフラムたちと話していた。


「ユベールさんは礼服が似合いますね」 


 着替えは使用人が手伝ってくれるので、手持ち無沙汰になったダグラスが同じ部屋で着替えているユベールに話しかける。

 その言葉に、ユベールは顔を苦笑する。


「これでも異端審問官という重要な職を任されるエリートだったんですよ。服を着こなすくらいはできます。それよりも、ダグラスの兄貴だって着こなしているじゃないですか。どこかで着る機会があったんですか?」

「仕事で少しだけですけどね」

「兄貴は、ただの冒険者じゃないだろうなと思っていましたよ。もしかして、権力争いで負けて国を追われた貴族だったりするんですか?」

「こういった礼服は動きにくくて好きではありませんね」

「しょせんは体格が近い人からの借り物ですからねぇ。簡素ながらも歓迎パーティーを開かれるそうなので、今日は仕方ないですよ」


 ダグラスが露骨に無視をするので、ユベールも深く追及はしなかった。

 誰にでも人に言いたくない事はある。

 ユベールにだって、恩のあるカノンにすら言っていない事実がたくさんあった。

 深く追及するのはいいが、されては困る。

 お互いさまという事もあり、ユベールはこの話題に触れないでおこうと思っていた。


「私たちよりも、姉さんのほうが気になります。姉さん相手に採寸できる人がいるのかどうか」

「服を脱いだら恐怖心が増大しますからね。王宮なら強い人もいそうですけど」

「フリーダさんくらいの実力者でも、いざ正面に立ったら体がすくむかもしれません。でも大丈夫だと思います。勇者のキドリ様がおられるんですから、彼女にお願いすれば大丈夫でしょう」

「それもそうですね」


 二人が話しているうちに準備が終わる。

 だが、カノンのもとへ案内はされなかった。

 カノンかヴォルフラムか使用人かはわからないが、ダグラスたちは王たちとの対話に必要ないと思われているのだろう。

 ダグラスたちも、その点について不満はない。

 案内された控え室で大人しく待つ。


 だが、そこにはダグラス一人で待機する事になった。

 ユベールが、どこかに呼び出されたからだ。


 しばらくすると、マリアンヌが控え室に入ってきた。

 彼女は、やはり赤や黒を基調とした暗い色のドレスを選んだようだ。

 だが、それはそれで彼女の銀髪と似合っていた。

 それにドレスを着て歩く姿は、どこか気品が感じられる。

 スリングショットの水着や喪服を着ている時には見つけられなかった魅力を発見した。

 吸血鬼という事で色眼鏡で見ていたが、冷静になってみると彼女の良いところに気づく事ができた。


「マリー、似合ってるよ」


 ダグラスの口から自然と褒める言葉が出る。

 だが、マリアンヌの表情は冴えなかった。


「どうしたの? ヴァンパイアだからって、なにか言われた?」


 もしそうであれば、ダグラスも一言言ってやるつもりだった。

 しかし、彼女であれば自分でどうにかできる問題だという事までは考えが回らなかった。

“自分がそうしたい”という気持ちが上回っていたせいだ。

 マリアンヌは“そうではない”と力なく首を振った。


「サイズが合わないのよ。少し大きめのドレスを持ってこさせたのだけれど、胸とお尻がきついし、お腹周りはたるんでいるの。借りものとはいえ、せっかくのパーティーにこんな状態で出るのは嫌なのよね」

「…………」


 彼女の悩みに、ダグラスは絶句する。


(てっきり、ヴァンパイアだという事で不当な扱いを受けたと思ってたけど……。そっちの悩みか……)


 真剣に悩んだ自分が馬鹿らしくなる。

 だが、ダグラスはそんな気持ちを押し殺し、マリアンヌに助言をする。


「マリー。貸してくれたのが誰だかわからないけど、そういった事は口に出さないほうがいいよ。似たような事を言われたのがきっかけで暗殺者を送り合うほど憎み合った貴族とかもいるくらいだし」

「あらそうなの? この程度で殺し合うとか人間は野蛮ね」


 マリアンヌは、ダグラスの忠告を軽く聞き流す。

 彼女は自然な仕草でダグラスの隣に座った。 


「着替え終わったらキドリはどこかへ行ったわ。王のところかしら?」

「ユベールさんも呼び出されたようなので、そうかもしれないですね。勇者様からも事情を確認しておきたいでしょうし。僕たちはクローラ帝国とは関係ないので、のんびり待っていましょう」

「そうね」



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 雑談をするのにも飽きてきた頃になって、ようやく呼び出された。

 案内された先は、カノンたちがいる控え室だった。


「うおっ、エロッ!」


 マリアンヌを見たカノンの第一声が、それだった。

 彼女はダグラスの背後に姿を隠す。


「ちょっとスズキさん、今の発言はセクハラですよ!」

「マリアンヌさんと違って、タカナシさんは胸の盛りがぁぁぁ!」

「それもセクハラです」


 カノンがキドリの胸元を見てからなにかを言おうとしたので、太ももをつねるという実力行使で黙らせた。

 勇者の力でつねられるのは、常人には耐えがたい痛みである。

 カノンは悶え苦しむ。


 だが、カノンが反応するのも無理はなかった。

 少々胸がきついという事もあり、胸元の空いたドレスのバスト部分が盛り上がっている。

 そのせいで大きさがより一層強調されているのだ。

 カノンでなくとも、彼女を一人の女性と意識する度胸のある者であれば、魅力的だと感じていたはずだ。

 もっとも、彼ほど直接的な感想を述べる者はいないだろうが。


 キドリが加わって、カノン一行も少し騒がしくなってきていた。

 ダグラスとしては名残惜しいが、カノンに行っておかねばならない事があった。


「カノンさんは、ハーゲンに向かうのでしょう? 僕はマリーを国元へ送り返してあげたいと思っています。ずっと考えていたんですが、このあとは別行動にしませんか?」


 彼は母国に戻りたくはなかった。

 そこで、カノンに別行動しようと持ち掛けた。


「そうですか……」


 カノンは悩んでみせる。


「確かにマリアンヌさんを連れ回すわけにもいきません。別行動もありですね。今すぐにというわけではありませんが、明日にでも話し合いましょう」

 

(やっぱり認めてきたか)


 だが彼の答えがどういうものかは、聞くまでもなくダグラスは予想できていた。

 カノンがダグラスを同行者にしたのは、リデルで一番強かったからだ。

 クローラ帝国が同行を許すかどうかは難しいところだが、今は勇者のキドリがいる。

“カノンは彼女を護衛に選ぶだろう”というのは、想定の範囲内だった。

“明日話そう”というのは、彼女を護衛に付けてもらえるか確認してから返事したいからだろう。


 ――代わりの護衛が見つかった以上、ダグラスはもう用済みという事だ。


「西と東で正反対ですからね。そうしましょう」


 ダグラスは、カノンの意見を素直に受け入れた。

 カノンは多くのものを与えてくれた。

 マリアンヌとの出会いも、彼と共に行動していたからあった事だ。

“より強い者を見つけたから必要ない”と思われた事を寂しく思うものの“雑魚だと見下された”などと逆恨みをするつもりなどなかった。

 おかしな男であり、迷惑もかけられたが、感謝の気持ちのほうがずっと重いものだったからである。

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