第58話 ジオフロント 4

「どうしたんですか、カノンさん? とうとう頭がおかしくなってしまったんですか?」


 いきなり笑い出したカノンを一応心配して、ダグラスが声をかける。

 だが、彼の笑いは止まらなかった。

 何がおかしいのか気になって、彼の背後からか覗き込む。


「この言葉を読めって……。僕にも読めますよ。そんなにおかしい事があるんですか?」


 意味はわからないが、ダグラスにも読めるレベルの言葉が書かれていた。

 キドリたちも同様で、何がおかしいのかを首をかしげている。

 しかし、これは多くの失敗者を出した問題である。

 文字通り読んでいいのかどうかは疑問ではあった。

 ひとしきり笑ったあと、カノンはキドリに話しかける。


「タカナシさん、あなたのご出身は?」

「東京ですけど」

「そうですか。なら、あなたには解けない問題でしょう」

「えっ、だってこれくらい読めますよ。私が答えて――」


 カノンは、キドリの動きを手で制した。


「この文字をなんと読むかわかりますか?」

「“ほうしゅつ”と“じゅうさん”ですよね」


 キドリの答えを聞いて、カノンはチッチッと指を振る。


「わからないのですか? この世界では日本語が普及しています。それなら誰でも読み上げる事のできる簡単な問題のはずなのに、これまでは正解者がいませんでした。ただそのまま読むだけではダメなんですよ」

「当て字とかですか?」

「いいえ、この文字独特の読み方があります。これは大阪に住んでいなければわからないでしょう。きっとタイラさんは大阪人で、同郷の人以外は中に入れたくなかったのでしょう。……もしかすると深く考えず、この世界の人には絶対解けない問題を設定しただけかもしれませんが」


 ――タイラーは、どのような気持ちで、このような言葉を設定していたのだろうか。


 カノンは遠い目をする。

 しかし、いつまでも感傷には浸っていられない。

 それは神の力を手に入れてからでもできる。

 今は中に入るのを優先するべき時だった。


「念のために皆さんは離れていてください。まぁ、大丈夫でしょうけど」

「わかりました! さぁ兄貴に姉さん、離れておきましょう」


 ユベールが積極的に、みんなをカノンから引き離す。

 カノンは彼の薄情さに少し眉をひそめる。


「キドリさんも離れておいてください。その鎧でも神の力は防げないでしょうから」

「……よくわからないですけど、頑張ってください!」


 彼女も十歩ほどカノンから離れる。


「よし! やるか!」


 ――万が一にも失敗した場合どうなるか?


 その事を考えるのが怖かったので、カノンは考える事なく、回答ボタンを押してから開錠の合言葉を唱える。


放出はなてん


 ポン。

 扉にあったランプが一つ点灯する。


「よしっ!」


 カノンはガッツポーズを取る。

 彼の予想が当たっていたからだ。

 続けて、次の問題に映る。


十三じゅうそう


 またしても“ポン”と音がなり、ランプが点灯する。


「よっしゃ!」


 カノンが答えたのは両方とも大阪の地名である。

 もし彼が大阪で宗教を始めようと思っていなければ知らなかっただろう。

“やはり自分こそタイラのあとを引き継ぐのにふさわしい人間だ”と、カノンは自信を持った。


 ランプが二つ点灯した事により、神の領域を囲むように立っていた鉄の塔が二つに割れていく。

 数メートルごとに、リング状の防壁がガコンガコンと地上から開いていく光景は、カノンが“ゲームのムービーシーンみたいだ”と思うくらい壮観だった。

 防壁の中には光の柱があり、それが天井を支えているようだった。


 感動していたのはダグラスたちも同じだった。

 この光景は地下のどこからでも見る事ができるだろう。

 それを塔の真下の特等席で見る事ができたのだ。

 これほどまでに壮大な光景を目にする機会など、今までの人生で一度もなかった。

 彼らを案内してきた騎士たちは、自然と神の領域に向かって祈りを捧げていた。


 しかし、キドリは違った。

 最初は珍しそうに見ていたが、カノンの答えのほうが気になって仕方がなかったのだ。

 彼に近づき、答えられたわけを尋ねる。


 カノンはそれに――


「住めばわかります」


 ――と静かに答えるだけだった。


 そのクールな姿に、キドリは少しだけカノンを見直した。


「では、参りましょうか」


 カノンが光の柱へと歩き始める。

 ダグラスたちも、カノンに続く。

 カノンは光の中へ入っていったが、ダグラス以外の者たちは壁で弾かれてしまって入れなかった。

 それは勇者であるキドリも例外ではない。


「あぁ、忘れていました。パーティ設定が必要ですね」


 カノンが空中で指を動かす。

 すると、キドリのスマホから電子音が鳴った。


「ちょっと待ってくださいね」


 キドリは機装鎧を解除し、スマホを確認する。


「“鈴木神王さんがパーティに誘っています”ですって」

「勇者だけあって、タカナシさんだけは認証が必要なんでしょうか? 他の方々は認証なしでパーティに組み込めたんですけど」

「私も入ってみたいから了承しますね」


 キドリが“了承”をタッチすると、カノンとパーティが組まれたという表示が出た。

 それはカノンのほうでも確認できたので、満足そうに微笑む。


「いやー助かります。人手が必要そうなので」

「どういう事でしょう?」

「まぁ、見ればわかりますよ」


 そう言ってカノンが光の中に入ったので、キドリやユベールも続く。

 だが、マリアンヌだけが渋っていた。

 何しろ神の領域である。

“光の魔法”や“神聖な力”というのは、吸血鬼にとって天敵なのだ。

 神の領域に触れる事で、自分の体が消し飛んでしまわないか不安だった。

 そんな彼女の様子に気づいたダグラスは、カノンに声をかける。


「カノンさん。ここってマリーが入っても大丈夫なんですか?」

「んー、ちょっと待ってください」


 カノンが空中で指を動かしている。

 それは、キドリがスマホをいじっている姿と酷似していた。

 その姿を見て、ダグラスはひらめく。


(もしかして、カノンさんもあのスマホというものと同じ操作で様々なものを動かしているのか? だとすると、スマホというものがあれば誰にでもできるのかも?)


 カノンの動きだけでは、ダグラスもひらめかなかっただろう。

 しかし、キドリが板に浮かんだ絵や文字を動かしているのを見て、ダグラスは気づいてしまった。


 ――自分でも操作できるのではないかという可能性に。


 だが、今のところは操作する機会がない。

 その事を記憶に留めておくだけで、実行しようとはしなかった。


「アンデッドに対するダメージや浄化とかはないようですね。心配なら指先だけちょっと入れてもらってください」

「わかりました。マリー、いきなり死ぬような事はないそうだよ」

「そ、そう」


 マリアンヌは、ちょっと沸かしすぎたお風呂の湯加減を見るかのように、恐る恐る指の先を光の中へ出し入れする。

 何度か試したあと、彼女は思い切って中へと入った。

 体が何ともない事を確認し、安堵の表情を見せる。

 

「司祭の魔法ならともかく、さすがにサンクチュアリの魔法とかだと耐えられるか不安だったのよね。でもなんだか落ち着くような不思議な気持ちにはなるけれど……」

「僕もそうさ。サンクチュアリは不思議な力が働いているんだろうね。影響がなくてよかったよ」

「ここでは勝手に疲労の回復や怪我の治療もしてくれます。私の事を気にせず、ダグラスさんの血を吸っていただいてもかまいませんよ」


 二人の会話に、カノンが割り込んでくる。

 そして、彼は話を進めようとした。


「世界を動かす場所はわかりますけどね。それ以外にも調べたいところはあるんですよ。下から順番に調べていくのを手伝ってください」


 カノンが指差す先。

 そこには三十階以上あるタワーマンションがそびえ立っていた。

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