第54話 頑張ったご褒美
翌日、カノンとユベールは酔いつぶれていた。
フリーデグントがホテルの費用を払ってくれる事になり、久々にルームサービスを豪勢に頼んでハジけたせいである。
王宮を通らねばならないので“一日で結果は出ない”と聞いて気が緩んでいた。
ダグラスは彼らと違って酒や食事に興味がなかったため、シラフのままだった。
今はマリアンヌに頼まれて、別室のソファーで彼女の背中に日焼け止めを塗っていた。
「機装騎士相手に立ち向かうなんてね。馬鹿みたい」
マリアンヌは、昨日のダグラスの行動を非難する。
しかし、その言葉は刺々しいものではなく、どこか柔らかささえ感じられるものだった。
「人間である以上、ナイフが通じると思ったんだ。本当かどうかわからないけど、ナイフが通じないなんて信じられない。でも押し返す力は本物だった。あれが同じ人間だなんて思えないよ」
ダグラスは“心配していてくれたのかな?”と思いながら答える。
「機装騎士と呼ばれる人間は、総じて化け物ばかりだという話は聞いているわ。私も本物は初めて見るけれど、見た目だけではなかなか気づけないものね」
「本当にそうだね」
(それはカノンさんも同じだな)
カノンも神の力を持っているとは思えないほど、普通の人間だ。
いや、むしろ普通の人間よりも身体能力は劣っている。
特別な存在だとは、到底思えない人間だった。
今もそうだ。
聖職者どころか、酒を飲んで酔いつぶれているだけのだらしない人間にしか見えない。
しかし、神話に出てくるタイラーの奇跡と同じく、石を食料に変える力を持っている。
一応は特別な存在なのだろう。
だが、カノン本人の性格のせいで、そう思えない。
色々と残念な男だった。
「でもカノンさんに関しては、もうすぐはっきりするよ。サンクチュアリに入る資格を持つ人だから……。疑問には思うけど……」
「はっきりしてもらわないと困るわ。騎士たちが引き下がったのは、あの人があの子の言葉を信じて神かもしれないと思ったからで、違うとわかれば戦いになるでしょうね。備えが必要だわ」
マリアンヌは、ダグラスをチラリと見る。
吸血鬼の身体能力があれば、キドリが追ってこない限り、彼女だけなら逃げる事はできるはずだ。
だから念のために日焼け止めクリームを塗っている。
外に出られなければ追い詰められてしまう。
なので太陽さえなんとかなれば、彼女は逃げ切る自信があった。
だが、ダグラスは無理だろう。
高い能力を持っているようだが、それはあくまで人間の範疇の話である。
吸血鬼ほどの身体能力を持っていないため、騎士から逃げるのは困難なはずだ。
だからといって彼を抱えて逃げるのも難しい。
人間の体は脆いからだ。
マリアンヌが本気で走るだけでも負傷するだろう。
人間で言うなら、卵を手に持って壊さぬように気を付けながら、フィールドアスレチックを駆け抜けるようなものだ。
少しでも力が入り過ぎれば握りつぶしてしまう危険を負いながら逃げねばならない。
誤ってしまえば、ダグラスを自らの手で殺してしまうかもしれない。
そちらのほうが、マリアンヌにとって嫌だった。
「いざという時は僕の事を助けようとしたりせず、マリーだけで逃げてほしい。さすがに機装騎士相手だと厳しいだろうけど、逃げるだけならどうにかなると思うから。ヴァンパイアのプライドとかも大事だろうけど、僕は死んでほしくないかな」
そんな彼女の思いを知ってか知らずか、ダグラスは“気にせず逃げろ”と言う。
(そりゃあ、私だけなら逃げる事はできるでしょうけど……。勝てないから逃げろと思われているのは癪ね)
マリアンヌは“人間相手に背を向ける”という事に抵抗があった。
だがそれ以上に、ダグラス一人を置いて行く事に抵抗を覚えていた。
しかし、彼も男である以上は女を逃がしたいという思いもあるだろう。
だから彼女は、ダグラスの好意を無駄にしないためだと自分を納得させる。
「ダグラス」
彼の名前を呼び、指で“顔の近くに来い”と合図を出す。
ダグラスが顔を近づけると、彼女に肩を掴まれた。
そのまま強い力で彼女に引き寄せられる。
“喉が渇いたのかな?”と思い、彼は素直に彼女に身を委ねる。
マリアンヌの顔が肩にではなく、ダグラスの顔に近づく。
そして――ゴツンと二人の鼻がぶつかった。
「えっ、なに!?」
痛みを感じないとはいえ、ダグラスも怪我はする。
血で鼻が詰まり、呼吸が難しくなっている事を感じていた。
マリアンヌは“しまった!”という表情を見せる。
彼女は、このような行為に慣れていなかったのだ。
だが、すぐに気を取り直した。
またダグラスを引き寄せ、今度は失敗しないよう少し顔を傾けてキスをする。
「えっ、なにっ……」
ダグラスの口から、先ほどと同じ言葉が発せられる。
しかし、その意味は大きく違っていた。
彼も異性との口づけがどういう意味を持っているかを知っている。
“なぜか攻撃された”ではなく“なぜか口づけされた”という意味で驚いていた。
マリアンヌは、ソファーの背もたれのほうに顔を向ける。
自分からキスをしておきながら、まるでダグラスと顔を会わせたくないかのように。
「私は支配者階級のヴァンパイアなのよ。いい働きをした人間に、ご褒美くらいあげるわよ」
「なんのご褒美?」
照れているのか、声が少し上ずっている。
だが、ダグラスは“そのご褒美の理由とは?”と無神経にも尋ねてしまった。
マリアンヌは声を荒らげて返事をしそうになるが、今回ばかりは耐えた。
「私のために勇者を押さえこもうとした事へのご褒美よ」
「あれは別に……」
「いいから、ありがたく受け取りなさい」
マリアンヌは、ダグラスに否定させなかった。
それにもう褒美は与えているのだ。
返品不可能なものである以上、否定されるわけにはいかない。
そんな彼女の気持ちを察してか、ダグラスもこれ以上の否定はしなかった。
「うん、ありがとう。マリー」
(本当にありがとう、こんな気持ちにさせてくれて)
彼の感謝の言葉は本物だった。
ただ嬉しいというのではない。
これまで感じてきた喜びとは違って、今にも叫びたくなるような興奮を覚えていた。
(血を吸われる時もだけど、マリーはこれまで感じる事のなかったものを多く与えてくれている。本当に感謝しているよ)
マリアンヌからもらったものはカノンと同じか、それ以上である。
ダグラスにしてみれば、カノンが神ならば、マリアンヌは女神だ。
相手が吸血鬼かどうかなど、今の彼にはどうでもいい事だった。
「早く塗ってよ」
マリアンヌが、クリームを塗るのを催促する。
彼女は、ソファーに横たわりながら小さく足をバタバタとさせていた。
(そんなに急かさなくても……)
そう思ったが、ダグラスは黙って塗り始める。
すると、バタバタがさらに大きくなった。
(ちゃんと塗ってるのに何が不満なんだろう?)
ダグラスは、マリアンヌの行動を不思議に思う。
だが、それだけだった。
彼はファーストキスの余韻を味わっていて、他の事に気を回す余裕がなかったからだ。
――元暗殺者と吸血鬼。
そのファーストキスは、二人にふさわしく血の味がするものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます