第52話 勇者きどり 5
「キャッ!」
突然の出来事に驚いたキドリは、スマートフォンを落とす。
だが、フリーデグントたち護衛は素早く剣を抜き、ダグラスと対峙する。
しかし、すぐに行動はしなかった。
すでにキドリの喉元にナイフが突きつけられていたからだ。
ダグラスを切り殺しても、倒れる時の勢いでナイフがキドリを傷つけてしまうかもしれない。
不要に動ける状況ではなかった。
「ダグラスさん、落ち着いてください。ここは話し合いで解決しましょう」
「そうですよ、兄貴。旦那様に任せましょう」
カノンとユベールが説得しようとする。
だが、それには大きな問題があった。
――ダグラス自身、なぜこんな事をしてしまったのかわかっていなかったのである。
マリアンヌの存在に気づかれてしまったとしても“カノンさんは邪悪なところがありますからね”とでも言って、適当に受け流しておけばよかったのだ。
なのに考えるよりも早く、体が動いてしまった。
これはダグラスにとっても大きな誤算であった。
「待って、なんで、そんな……。私、何か悪い事しましたか?」
キドリは状況を飲み込めないまま、震える声で、このような事をした理由を尋ねる。
彼女は、なぜ命を狙われるのかがわからなかった。
「ただゴブリンとかオーガみたいなモンスターがいると言っただけじゃないですか」
だから、彼女は悪気のない発言をしてしまう。
それがよくなかった。
部屋の隅に置かれていた棺が、ガタガタと音を立てる。
「ひっ、なにっ!?」
突然のホラー展開に驚いたキドリは体を震わせた。
反射的に立ち上がろうとするが、それはダグラスに止められる。
「動くな。おかしな動きをしたら、このまま喉を掻っ切る」
今回ばかりは、ダグラスも余裕がなかった。
いつもの彼なりに丁寧さを意識した口調ではなく、脅す口調となっていた。
「護衛の騎士は帰ってもらおう」
「そのあとどうするつもりですか?」
「僕とマリーだけなら、逃げる事は可能だ」
カノンの質問に、ダグラスは突き放したような答えをした。
その答えに、カノンは心を痛めたような表情を見せる。
「ここはクローラ帝国の王都ですよ。兵の数も多いはずです。逃げ切るなど無理でしょう」
「それでもやってみせる」
「そんな無茶な――」
カノンがダグラスを説得しようとしていると、大きな音を立てて棺桶の蓋が開かれた。
マリアンヌが、ゆっくりと立ち上がる。
「キャーーー!」
キドリの悲鳴が部屋中に響き渡る。
騎士たちも本能的に小さな悲鳴をあげていた。
吸血鬼の登場は、それほどまでにインパクトがあった。
部屋の空気が一気に重くなる。
「なんで痴女が棺桶に!」
キドリの叫びに、マリアンヌが殺気を帯びた視線をぶつける。
「誰が痴女よ!」
彼女の怒りを込めた叫びは、部屋にいた者たちを震え上がらせる迫力があった。
魔力を持つ者は、声に含まれた魔力を敏感に感じ取り、意識を刈り取られて倒れる。
魔力を持たないダグラスも、恐怖のあまり、ナイフを手放してしまいそうになったくらいである。
だが、カノンとキドリの二人だけは、なぜか影響を受けていないようだった。
「話は聞かせてもらっていたけど、神の国の人間って失礼な人ばかりね! 私をゴブリンやオーガと同列に扱うなんて! それとこれはヴァンパイアの伝統ある服装よ!」
「そ、そうなんですか?」
キドリは、カノンに視線を向ける。
彼の意見を聞きたいのだろう。
「強い者は薄着になって肌を見せるという
「なるほど、それなら仕方ないですね」
――そう設定されているならば仕方ない。
キドリは、あっさりと受け止めた。
聞き分けのいい子なのかもしれない。
「なにを呑気に話しておられるんですか!」
しかし、ゆっくりしていられる状況ではなかった。
吸血鬼の露出が多いのは、その肌が通常の武器では傷つけられないほど強固だからである。
勇者の護衛という事もあり、装備は良い物を与えられている。
いるが、怒りと魔力を込めた叫びで半数を気絶させるような強者相手にどこまで通じるかわからない。
キドリの機装鎧でもなければ太刀打ちできそうになかった。
だが、キドリはダグラスにナイフを突きつけられている。
フリーデグントたちにとって、非常に厳しい状況になっていた。
「双方、お待ちなさい!」
この状況を打破するため、カノンが動く。
フリーデグントも“うさんくさい男だが、少しでも隙を作ってくれればいい”と思い、彼に期待する。
「彼女は私たちのナカマです。危険はありません。もしかすると、キドリさんにはわかってもらえるのではないでしょうか」
「私ですか!? 何の事だかさっぱり……」
「ヴァンパイアのナカマです。ナ・カ・マ」
カノンは“ナカマ”という部分を強調する。
しかし、キドリにはピンとこないようだ。
「すみません、私はペ〇ソナ派なので、なんの事かわかりません」
「わかってんじゃねぇか!」
そう彼が言っていたのは、
魔物を説得して仲間にするという、同じメーカーが作っている別ゲームのシステムの事だった。
その事を知っていながらとぼけるキドリに、カノンが目一杯ツッコミを入れた。
そんな彼の事を、キドリが笑う。
「さすがは関西在住の方ですね。すぐにツッコミを入れてきました」
「関西関係なく入れるでしょう! とにかく、彼女は私たちの同行者なのです。危険な存在ではありません」
「そんな事を言っている場合ですか!」
二人の会話に、フリーデグントが割り込む。
マリアンヌを前にして話をしている暇などなかった。
「目の前の脅威に集中……、できませんでした! 申し訳ございません!」
だが、キドリが人質に囚われている。
下手に身動きが取れないのも事実だった。
――不用意にキドリを助ける事もできず、突然現れた吸血鬼の対処も難しい。
先ほどとは打って変わって、今はフリーデグントたちのほうが一気に窮地に立たされていた。
「だから話を聞いてください! これはフリーデグントさんたちだけに言っているのではなく、マリアンヌさんもです。ここで争いは下策。話し合いで解決しましょう」
「ヴァンパイアと話が通じるとでも?」
「通じます。現に私たちは彼女と一緒に行動してきました。それに彼女は、安易に人を殺すような存在ではありません。ダグラスさんとも恋仲なのですよ」
「えっ」
――マリアンヌという目の前の脅威から視線を逸らし、ダグラスを見る。
フリーデグントたち、護衛の騎士は武人にあるまじき行動を取った。
すぐに“しまった”と視線をマリアンヌに戻す。
すると彼女はモジモジとしていた。
「べ、別に恋仲なんかじゃないわよ。たかが人間相手に……。ただの食事よ」
「そうだ。恋人じゃない」
ダグラスがきっぱりと否定すると、マリアンヌはムッとして見せた。
「本人が違うと言っているではないか!」
フリーデグントは、カノンに“嘘を言うな”と厳しい声で咎める。
しかし、キドリは目を輝かせていた。
そんな彼女の反応を、カノンは見逃さなかった。
(その方向で押せばいけるか?)
「まだ二人は心に芽生えた感情を素直に認められないだけですよ。種族を超えた禁断の愛というものにね」
「禁断の愛……。だからモンスターの反応があるって言ったら、あの人を守るために私を人質にしたんですね!」
「そうです!」
カノンは“禁断の愛を守るためにダグラスが行動した”という方向性に手ごたえを感じた。
フリーデグントたちの説得は難しそうなので、まずは彼女を説得しようとする。
「そうなの?」
「えっ、いや……。そっちこそどうなのさ」
「こういう時は男が先に言うものでしょう」
ダグラスとマリアンヌのやり取りを見て、キドリが“あらあら”と口元に手を当てて笑みを隠す。
「鈴木さん、二人の馴れ初めとか知ってるんですか?」
「ええ、もちろん。そのお話をさせていただければ、皆さんも彼女の事を脅威だとは思わないでしょう。双方、武器を納めてください。さぁダグラスさんもナイフを下げて」
「人質離せば、すぐに襲われるに決まっている」
カノンが説得するが、ダグラスはナイフを下げようとしなかった。
クローラ帝国の騎士の前に、マリアンヌが姿を現したのだ。
ダグラスがナイフを下げたら、一斉に襲い掛かってくるのは明白である。
さすがに騎士を相手に真っ向勝負をすれば負けるとわかっているため、カノンの言う事を聞けなかった。
――だが、ここで意外な者が動く。
「フリーダさん、事情があるみたいだし、武器を収めて話を聞いてみませんか? 私がひとまとめにモンスター扱いして、そちらの女性を傷つけてしまったせいでもあるようですし」
それはキドリだった。
彼女は、フリーデグントに武器を収めろと言った。
それだけではない。
突きつけられているナイフの刃先を右手の親指と人差し指でつまむ。
「それに私はナイフくらいじゃあ傷つきませんから、無駄な事はやめましょう」
「なっ、このっ」
軽くつまんでいるだけのようにしか見えないのに、凄まじい力でダグラスのナイフを首元から離した。
これにはダグラスのみならず、フリーデグントたちも驚く。
「倒したモンスターの中に、実は強いモンスターも混じっていたようで、一気に強くなっちゃったんですよ。機装鎧って凄いんですね」
「そんなバカな!」
カノンが慌てて指で四角を作り、その中からキドリを見る。
そこには驚愕の数字が並んでいた。
「レベル86!? しかもステータスの伸び率が半端ない!」
勇者だからだろう。
現能力値が、カノンとは文字通り桁違いである。
二桁以上の能力差があった。
キドリは照れ笑いを浮かべる。
「ゴリラになったみたいで嫌なんですけどね。たぶん普通の刃物じゃあ肌も傷つきません」
さすがにこうなってはダグラスも諦めるしかない。
ナイフをキドリから離し、フリーデグントたちを警戒する。
彼女たちもダグラスとマリアンヌの二人を相手するには厳しいと思っていた。
すべてはキドリの動き次第である。
「だから命の危険を感じない、余裕のある態度だったんですね」
カノンが呆れたように言った。
「ええ、仮に死んでも勇者は近くの教会で復活するみたいですから」
「そんなところでもタイラさんの趣味が見え隠れしますね」
「それにしても鈴木さんは道具を使わずにアナライズできるんですね。私はスマホがないとできないから不便なんですよ」
「私は神になるべき人間ですから」
二人の呑気な会話は、命を懸けて戦おうとする者の気を削いでいた。
それを知ってか知らずか、キドリが皆に呼びかける。
「一度、落ち着いて話しましょう。どうしても戦わないといけなくなったら、私もちゃんと戦いますから。ねっ、フリーダさん」
「……勇者様がそう言われるのなら」
フリーデグントは、マリアンヌを警戒しながら渋々と剣を鞘に戻した。
マリアンヌは痴女扱いしたキドリを睨みながらも、腕を組んで戦う意思はないと意思表示する。
それでも部屋の中は重く、緊張した雰囲気のままだった。
「では、二人の馴れ初めから教えていただけませんか?」
そんな緊張した雰囲気を無視して、キドリはカノンにこうなった状況の説明を求める。
彼女の目は期待に満ちていた。
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