第50話 勇者きどり 3
勇者がカノンに近付きながら声をかける。
「あなたが……、鈴木さんですか?」
「ええ、そうです。あなたがキドリさんですね?」
「よかったぁ、こんなところで日本人に会えるなんて!」
キドリの服装は、ブレザータイプの学生服だった。
どこか儚げなところがある弱々しい印象を受ける。
カノンは彼女を一目見て、同じ世界の人間だと確信する。
キドリは喜んでカノンに近付こうとするが、護衛の女騎士に止められた。
「勇者様、もう少し質問をして確認されるべきではありませんか? この者は裏切り者の仲間です。魔族の刺客という可能性もあります」
女騎士は身長130cmほどであったが、160cmほどのキドリの動きを腕一本で止めた。
単純な力だけならば、勇者よりもドワーフのほうが上なのかもしれない。
ダグラスは“魔法やカノンのような力を使われなければ、勇者もただの人間か”と考えていた。
そうなると、問題は護衛だけである。
「では……、どこに住んでいたのか教えてください」
「大阪市の浪速区、恵美須東です」
「なぜこの世界にいるんですか?」
「神だったタイラさんが、この世界を離れたので、新しい神になるべくやってきました」
――新しい神になる。
その言葉にキドリは引っ掛かったが、今は重要ではないのでスルーした。
今はもっと重要な話がある。
「鈴木さんがこの世界にきたという事は……、日本に戻る方法はありますか?」
「勇者様!」
キドリの言葉に、護衛が声を荒らげる。
多くの犠牲を払ったのに、あっさりと帰られては困るからだ。
「まぁまぁ、まだ学生さんなんだから、家族のもとに戻りたいと思うのは当然の感情です。そう怒らなくてもいいでしょう」
護衛に、カノンが優しく語りかける。
そして、キドリにも慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべて話しかけた。
「私が神になれば、この世界は以前のように魔法が使えるようになります。そうなれば勇者の存在も必要なくなるでしょう。そして、神の力を使えば、あなたを日本に戻す事も可能となるでしょう。突然、異世界にきて心細かったのではありませんか? もう大丈夫です。頑張りましたね」
「帰れる、家に帰れるんだ……。家族にも会える……」
キドリが、わっと泣き出した。
特別な力を持っていたとしても、やはりまだ学生である。
カノンのように“新世界の神になる”という強い意志を持っていない限り、異世界に呼び出されて戦えと言われても簡単に受け入れる事などできないだろう。
“日本に戻れる”と聞いて、彼女の感情が溢れだしていた。
女騎士が彼女を抱え、ソファーに座らせる。
キドリが落ち着くまでの間に、ユベールがカノンに事情を説明する。
「旦那様、申し訳ございません。実はシュミット伯爵という、私が異端審問官をやっていた頃の上司のところへ行ったのですが」
(あぁ、あのサキュバスに童貞を捧げようとしていた奴か)
「三十年前から官職を与えられず、特に仕事をしていなかったため、すぐに会えました」
(サキュバスとエッチな事をしようとしていたせいだろうな)
「勇者様への伝言があるとお伝えしたところ“この口添えで官職復帰のチャンスだ”と張り切っておられまして」
(サキュバスの――あぁ、もう! サキュバスに童貞を捧げようとしたおっさんの事しか頭に浮かばねぇ!)
ユベールの説明も、シュミット伯爵のせいでカノンの頭に入ってこなかった。
どうしても、シュミット伯爵が過去にやらかした事を真っ先に思い浮かべてしまう。
カノンは、なんとか彼の事を忘れようとする。
「ですがシュミット伯爵も冷や飯喰らい。王宮に自由に出入りできないので“裏切り者が王都に戻ってきた”と私を突き出す形で王宮に入りました」
「なんですって! よく大丈夫でしたね」
カノンは、ユベールの体を頭の天辺から足の爪先まで何度も見返す。
どこも怪我をしていないので、拷問などはされていないようだった。
「私も大人しく投獄されるつもりはありません。連行されている時に“スズキ様が勇者様に面会を求めておられます”と叫んでいたところ、偶然通りがかった勇者様の耳に入り、こうしてお連れする事ができたのです」
「なるほど……。それで、そのシュミット伯爵はどうされているのですか?」
「“こいつこそ勇者様への大事な伝言を運んできた私を捕え、虚偽の情報を王宮に知らせようとした裏切り者だ”と言って、逆に投獄してやりましたよ!」
ユベールは三十年越しの報復で満足しているのだろう。
親指をグッと立てて、やり遂げた顔をしていた。
しかし、それはそれで問題がある。
「ユベールさん、ホテル代はどうするんですか?」
「勇者様の同胞とあらば、王家が払ってくれるはずです。ですよね、フリーダさん」
ユベールは、キドリの護衛を務める女騎士に声をかける。
「フリーデグントです。勝手に愛称で呼ばないでください。今はまだ判断できませんが、勇者様との話し合いの結果次第では、口添えはできるでしょう」
彼女は顔をしかめながら答えた。
しかし、それでも肝心なところは、ちゃんと答えてくれた。
仕事に関するものは、個人的な感情と分けて考えてくれる人物なのかもしれない。
彼らが話す一方で、ダグラスは周囲の様子を窺っていた。
しかし、いつまでも黙っては見ていない。
彼はキドリに近付いて、ハンカチを差し出す。
「勇者様、よろしければお使いください」
「ありがとう……」
キドリは素直にハンカチを受け取った。
(なんだ、隙だらけじゃないか。本当に強いのか? 彼女の強みは機装鎧を扱えるというだけなのか? 本当にそれだけか?)
その対応を見て、ダグラスは彼女の力に疑問を持った。
こうして近付いても警戒されない。
それどころか、疑う事なくハンカチを受け取っている。
あまりにも隙だらけで、とても戦える人間には思えなかった。
しかし、彼女の擬態が上手いだけという可能性もある。
引き続き、ダグラスは彼女の観察を行う事にした。
カノンとしては、キドリと話をしたいため、早く落ち着いてほしいと思っていた。
そこで奥の手を使う事にする。
「キドリさん、炭酸が苦手だったりしますか?」
「いえ……」
「では、こちらをどうぞ」
カノンはどこからともなく黒い水が入ったペットボトルを取り出して、キドリに差し出した。
「あっ、コーラ……。しかも冷えてる」
キドリの視線は、コーラに釘付けになった。
同時に、フリーデグントの視線もコーラに釘付けになる。
「勇者様、そのような毒々しい色の水を、まさか飲まないでしょうね?」
「これは大丈夫だから」
キドリはフリーデグントの制止を聞かず、蓋を開けてコーラを飲み始める。
炭酸飲料であるにもかかわらず、彼女は一気飲みのように飲み干し、大きなゲップをする。
(あ、あれ? なんだか印象と違うぞ)
――突然、異世界に呼び出されて怯えている儚げな少女。
そういう印象を持っていたカノンは、まるで自宅にいる時の妹のような態度を取る彼女を見て、少し驚いていた。
しかし、幻滅したりはしない。
彼女と年の近い妹がいるため、女性に対して幻想を抱いたりしていないからだ。
“人前でゲップは下品だな”と思いはするものの、キドリも人間である以上、懐かしい飲み物を見て気が緩んでしまっただけだと流していた。
だが本人は違う。
久々のコーラに飛びついてしまった事を恥じていた。
頬を羞恥で染めてうつむく。
「一ヶ月……、そうたった一ヶ月ぶりだったはずのコーラに夢中になっちゃって……。ごめんなさい!」
「謝る必要などありません。突然、こちらの世界に呼び出されてしまったのです。郷愁を感じる飲み物を前にして、冷静ではいられないでしょう。お茶やジュースもありますけど、何か飲みたいものはありますか」
「それではお茶で……」
炭酸飲料で恥ずかしいところを見せてしまったので、彼女はお茶を望んだ。
「フリーデグントさんは、どのような飲み物がお好みですか?」
「いえ、私たちは結構です。護衛の任がございますので」
「そうですか」
フリーデグントは、飲み物の提供を断った。
まだカノンの事を信じたわけではない。
毒を盛られた場合を考え、キドリを連れて逃げ出せるように、カノンに出された飲み物を口につけるつもりはなかった。
カノンも警戒されている事がわかったので、それ以上無理に勧めなかった。
代わりに話を進めようとする。
「実はですね、キドリさん」
「あっ、あの鈴木さん」
それをキドリが遮った。
彼女は制服の胸ポケットから、生徒手帳を取り出して中をカノンに見せる。
「私は
「なるほど……。その名前に何か嫌な思い出がありそうですね」
「ありますよ! 親は“小鳥遊家の大切な娘だから、貴重な鳥で貴鳥”っていう理由で名づけたようですけど、今まで学級委員長きどりだとか部長きどりだとか、からからわれてきたんです! しかもこっちでも勇者きどりって言われて……。命を懸けて戦わされているのに、なんだか馬鹿にされているみたいで嫌なんです! こんな名前大っ嫌い!」
彼女は彼女で辛い人生を送ってきたようだ。
キドリの痛みを、カノンは自分の事のようによくわかった。
「大変でしたね」
それは本心からの言葉だった。
「鈴木さんにはわかんない! 簡単に言わないで!」
だが、キドリには届かなかった。
しかし、彼女の考えは間違いだったと、すぐに気づかされる。
「わかりますよ。私の名前は
「えっ……」
カノンの言葉が一瞬理解できず、キドリの思考はフリーズする。
「ちなみに妹は、唯一神と書いて“ゆいか”と読みます」
「……鈴木さんなのにですか?」
「ええ、鈴木神王に鈴木唯一神です。だから、小鳥遊さんの気持ちもよくわかります」
「そんな……、私ったらなんて失礼な事を……。鈴木さんが神王という名前のほうがインパクト強いのに、私一人で不幸ぶって……」
キドリは両手で口元を覆い隠すが、それでも驚きの表情を隠しきれなかった。
カノンは余裕のある優しい笑みで、キドリを見つめていた。
二人がまとう雰囲気は、深刻そのものである。
両者の間でのみ、わかるものがあるのだろう。
この時、ダグラスたちは“いったい、この話のどこに深刻な理由があるんだろう?”と、名前を語り合う理由がわからず、首をひねっていた。
すぐ近くに多くの人いるのに、まるで自分一人が取り残されてしまったような気分を味わっていた。
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