第47話 一時の休息 4
「銀貨二十枚を手に入れたと聞いたら、あの二人はどう思うでしょうね」
「えっ、あの二人には教えないよ」
「あら、それはなぜかしら?」
マリアンヌは、ダグラスに感謝する二人の姿を思い浮かべていた。
なのに、ダグラスは彼らに言わないという。
その事が疑問だった。
「教えたら、お金を使ってもいいんだと思って気が緩むからね。だからあの二人には秘密にしておいてよ」
「あなたがそう言うなら仕方ないわね。まぁ、今日は久々の外出で楽しかったからいいわ」
「ありがとう、本当に助かるよ」
「ねぇ、あれなに?」
二人が歩きながら話していると、人混みを見つけた。
マリアンヌが興味を持って近寄ろうとするが、ダグラスは嫌な予感がした。
「あそこに近づくのはマズイ気がする」
「ちょっとくらいいいじゃない。街を見学するなんて機会、滅多にないんだから」
「じゃあ、あそこを素通りするだけだよ。立ち止まったりしないでね」
「……わかったわよ」
マリアンヌは不服そうではあったが、ダグラスの意見を受け入れた。
人混みに近付いて、正体がバレて困るのは彼女自身である。
人間社会で生きてきたダグラスの意見を無視して“なになに? なにがあったの?”と首を突っ込むほど愚かではなかった。
人混みに近付くと、酒場らしき店の前を中心に半円上に人が集まっているのがわかった。
中心部で男が怒鳴り声をあげている。
野次馬のざわめきで聞こえにくいが、どうやら支払いで揉めているようだった。
「手持ちがないのにお酒をいっぱい飲んだ人と、お店の人が揉めているだけみたいだね」
「なんだ、つまらない事だったのね」
「酔っ払いの揉め事なんかに関わらないでホテルに帰ろう。わざわざ汚いものを見る必要はないからさ」
ダグラスは、マリアンヌをホテルへ連れ帰ろうとする。
――だが、そう簡単にはいかなかった。
「アニキーーー!」
人混みの中から叫び声があがる。
その必死さを感じられる声には、残念な事に聞き覚えがあった。
「ダグラスのアニキーーー! そこにいるんでしょう! 声が聞こえましたよ!」
ダグラスは聞かなかった事にして、この場を立ち去ろうとする。
しかし、ユベールは足跡を聞き逃さなかった。
「あぁっ、聞かなかった事にしないで行かないでください! 一緒に姉さんもいるんでしょう? 助けてください!」
彼の言葉で野次馬たちの視線が、この場を立ち去ろうとするカップルに向けられる。
「まったくあの人たちは……」
ダグラスは天を仰いで溜息を吐いた。
「マリーはどうする?」
「積極的に助けはしないけど、一応は様子を見てあげてもいいわよ」
「じゃあ仕方ないし助けに行こうか」
ダグラスたちが人混みに向かうと、道を開けてくれた。
彼らも新しい登場人物が、どうこの場を動かすのか気になるのだろう。
ダグラスとしては目立ちたくなかったため、心の中で呼び止めたユベールに対して呪詛をつぶやく。
ユベールだけかと思っていたが、カノンも一緒にいた。
ダグラスの存在を確認して、助かったという安堵の表情を見せている。
彼らは屈強な男、五人に囲まれていた。
まずは状況の確認である。
「一応その人たちは知り合いなんですけど、どうしたんですか?」
――突然現れた女連れの若者。
だが、男たちは不思議に思わなかった。
女が喪服を着ていたからだ。
司祭服をきたカノンの関係者だと一目でわかった。
ならば、落とし前は彼らにつけてもらってもいいだろうと考える。
「こいつらは酒を飲んでおきながら金を払えないって食い逃げしようとしたんだ。あんたが金を払ってくれるかい?」
リーダーらしき男が答える。
人間であるにもかかわらず、ビーストマンに負けないほど大きな体をしていた。
酒場の用心棒といったところだろう。
しかし、今は彼ではなくカノンたちのほうが気になっていた。
「食い逃げって……」
ダグラスは、カノンとユベールの二人を蔑んだ目で見る。
二人は心外だといった表情を浮かべる。
「違います! 銀貨一枚ポッキリで飲み放題と言われて店に入ったのですが、法外な請求をされたのです!」
「馬鹿野郎! 一枚ポッキリっていうのは、本当に一枚しか払えない奴の骨をポッキリ折るって意味だろうが!」
どうやら二人は悪質な店に引っ掛かってしまったようだ。
ダグラスは“なんで避けられなかったのか?”と非難めいた目でユベールを見る。
「三十年前にはなかった! そんなボッタクリ店なかった!」
彼は必死に“知らなかった”と否定する。
すると、用心棒が答える。
「これだからエルフは……。三十年前とか、いつの話をしてやがるんだ! 世の中は目まぐるしく変わってんだよ! そもそも、キャストを両手にはべらせて、散々飲み食いしといてその言いぐさはねぇだろう! 酒代は銀貨一枚で目をつぶってやってもいいけどよ、ネェチャンたちの接待費と食事代を払えよ!」
ダグラスは、めまいがしそうだった。
飲み放題だけではなく、二人は様々なサービスを受けていたからだ。
酒場の事は詳しくないが、基本サービス以外の注文をすれば別料金がかかるという事くらいは知っている。
飲み放題以外の金を取られても仕方ないだろう。
「ちなみに、料金はいかほどに?」
「あんたが払ってくれるってんなら、細かいのを省いて銀貨二十枚で手を打ってやるよ」
またしてもダグラスは天を仰ぐ。
ちょうど先ほど稼いできた金額である。
これが天の配剤というのならば、神を呪ってしまいそうになる。
(どれだけハメを外していたんだ、この二人は?)
確かに銀貨一枚分は、豪遊するかもしれないとは思った。
それがまさかここまでド派手にやるとは想定外である。
この二人に自由にさせた事を、今更ながらダグラスは後悔する。
「ダグラスさん、助けてください!」
カノンが助けを求めてくる。
その意味が“お金を払ってくれ”か“こいつらを殺して逃げよう”のどっちの意味か、ダグラスにはわからなくなってくる。
(なんで世界を救う神になるっていう人を、こんな形で助けなきゃならないんだ……)
そうは思うが、カノンはまったく力がないというわけではない。
万が一のため、ドリンまでは連れていかねばならなかった。
(力……、そうか)
「ところで、ポッキリとはどの程度やるんですか?」
とある案が思い浮かんだダグラスは、用心棒に質問する。
用心棒は脅すために、できるだけ凶悪な顔を見せる。
「銀貨二十枚だからな。腕を一本折らせてもらう。いいのか? 今はポーションも高騰している。治療に二十枚以上かかるぞ」
「そうですか、ではどうぞ」
「……へ?」
ダグラスは脅した用心棒が呆気に取られるほど、あっさりと“やってくれていいよ”と認めた。
「ここは大人しく金を払って穏便に収めるのが一番じゃないのか? 司祭様もいるんだぞ。あんたの立場も悪くなるんじゃないのか?」
あまりにあっさりとカノンたちを見捨てたため、用心棒は心配してしまう。
「いえ、払いません。不足分は彼らの腕で支払います」
「お、おい。司祭様だぞ? 見捨てるのか? 俺たちが遠慮してやらないと思っているのかもしれないが――」
「どうぞ、やってください」
ダグラスは、キッパリと言い放った。
その態度に用心棒たちが困惑する。
「ちょ、ちょっとダグラスさん!?」
「ダグラスの兄貴! 勘弁してくださいよ!」
カノンたちも慌てる。
だが、ダグラスが現れる前ほど動揺はしていなかった。
(そうか。ここは踏み倒して、
カノンは、ダグラスの意図を察した。
しかし“どうぞ折ってください”と認めては、骨の価値が下がる。
そこで一芝居する事にした。
「暴力はいけません! 聖職者に暴力を振るうような真似をすれば、負のカルマを受け入れねばならなくなるでしょう。それよりもここはお布施として――」
「うるせぇ!」
「グハッ」
誤魔化そうとするカノンの口を、用心棒は拳で黙らせた。
「今のあんたは説教なんてしていい状況じゃねぇだろ! それくらいわかれよ!」
(確かに、その通り)
用心棒の言葉に、ダグラスは納得していた。
それと同時に、カノンの反応から、こちらの意図が伝わったのだと理解した。
黙って様子を窺う。
だが、その態度が癪に障ったのだろう。
用心棒がダグラスに近付いてくる。
「お前もお前だ。偉そうな司祭様をあっさ――」
ダグラスの胸倉を掴もうとしたところで、用心棒の腕が止まる。
彼も様々な冒険者が集う街で、酒場の用心棒をしているくらいだ。
それなりに実力はある。
彼は命の危険を感じ、ダグラスの胸倉を掴むのをやめた。
「……本当にいいんだな?」
「どうぞ」
「よし、やっちまえ」
もう一度確認すると、用心棒は仲間に命令を下す。
カノンは司祭だという事が考慮されたのか、利き腕ではない左腕を。
ユベールは右腕をへし折られた。
「ひぎぇぇぇ」
痛みに慣れていないのだろう。
カノンが、みっともない悲鳴を上げて地面をのたうち回る。
ユベールのほうは苦痛で顔を歪ませてはいるが、なんとか悲鳴を噛み殺していた。
二人の差が顕著に現れていた。
「では、もう連れ帰ってもいいですよね?」
「いいけどよ……。もうちょっと司祭様に敬意を払ってもいいんじゃねぇか?」
「これも良い経験になるでしょう。この経験を活かして、より高みを目指してほしいですね」
「あぁ……、そうか。あんたも苦労してんだな」
用心棒は、ダグラスの態度から色々と察する事ができた。
それ以上、余計な事は聞かず、大人しく引き下がる。
その際、カノンとユベールに一声かけるのを忘れなかった。
「夜の街は金のある奴が楽しむところだ。金のねぇ奴が遊ぶところじゃねぇんだよ」
用心棒たちは店の中へと入っていった。
ダグラスは、カノンたちに近寄ると小声でささやいた。
「もうしばらくは大人しくしておいてください。ここでは目立つので、ホテルに戻ってから治療しましょう」
「ここで、奇跡を見せれば、信者が……」
カノンは息も絶え絶えに答える。
ダグラスは首を振った。
「ドリンへの到着を優先しましょう。無駄に目立って足止めされたくないですから。それにここにいる人たちは、カノンさんが無銭飲食をしたと思っているんですよ。そんな人の話を誰が聞くというんですか。さぁ、今日のところは帰りましょう」
ダグラスは、カノンを抱き起こす。
「まさか、こちらの世界にもボッタクリバーがあるなんて……」
カノンがぼそりとつぶやいた。
(神の世界も殺伐としているな……。それは本当に神の世界なのか?)
ダグラスは不審を抱く。
カノンは肩を落としながらも、一人で歩きだす。
ユベールも痛みで泣きそうな顔をしながら彼についていった。
「本当、あなたの言った通りね」
マリアンヌが、カノンの耳元でささやく。
やはり、カノンとユベールは金にだらしなかった。
ダグラスの“収入があった事は黙っておく”が正しいと認識させられた。
「ドリンまであと一週間。それまでは大人しくしておいてもらいましょう」
ダグラスも肩を落とす。
手に入れた路銀を、十分もせずにすべて失うところだった。
これではいくら金があっても足りない。
なぜ自分が尻拭いをせねばならないのかと疑問に思う。
(一人旅のほうが気楽でよかった。でも……)
――誰かが隣を歩いてくれる旅も悪くはない。
そう思う気持ちもあった。
しかし、今は“カノンをドリンに送り届け、楽になりたい”という気持ちが大きく胸の中をうずまいていた。
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「リーダー、なんであんな若造に引いてんすか?」
一方その頃、酒場の中で用心棒が先ほどの事を話していた。
主に強そうに見えないダグラス相手に引いた事に関してだ。
「何言ってるんだ! あいつらがただの人間に見えていたのか?」
「どういう事だよ?」
「あいつの胸倉を掴もうとした時、隣の女に腕を握りつぶされる未来が見えたんだ。それだけじゃない。あいつも俺の喉にナイフを突きつけていた。金の払えない奴でも高位の司祭だ。若いとはいえ化け物じみた力を持つ護衛がいたんだろうさ」
「本当か?」
「俺の力は、お前たちも知っているだろう?」
――用心棒のリーダーが持つ力。
それは命懸けの状況で、一秒先の未来が見えるというものだった。
これはカノンの癒し手のような、スキルに分類される力である。
彼がリーダーとして認められたのは、他の用心棒たちとの腕試しで、その力を使って勝ったからだ。
「以前ならエルフを警戒していたが、今は魔法を使えなくても戦える奴が強い。あの年配のエルフが兄貴と慕っていたくらいだ。それだけ強い奴だったんだろう」
「若ぇのにやべぇ奴がいるもんだな」
「そうだ。だから俺はここにいる……」
彼もかつては冒険者として名を上げる事を夢見た時期があった。
しかし、自分では一流にはなれないと思い知らされ、酒場の用心棒をやるようになった。
久々に本物の力を目の当たりにし、彼は意気消沈していた。
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