第44話 一時の休息 1
ホテルに着くと、早速会議を開く。
それを提案したのは、ダグラスだった。
彼の前には、カノンが取り出した袋が置かれていた。
「路銀、使っちゃいましたね?」
「え、ええ、そうですね……。でも、マリアンヌさんの存在を知られてはまずいと思ったので……」
今回は本気で怒っているダグラスが怖く感じて、カノンは彼から目を逸らす。
「魔法の使えないエルフなんて、何人集まろうが私の敵ではないわ。魔法が使えても、五人くらいどうという事はないけれども」
「さすがは姉御! 吸血鬼は並外れた力をお持ちですから、エルフ如きでは太刀打ちできません」
マリアンヌは、ダグラスの血を飲めればよかったため、路銀については気にしていなかった。
そんな彼女の態度を咎める事なく、ユベールはすかさず太鼓を持つ。
ダグラスも特に相手にせず、路銀の話に集中する。
「残りは、ドリンまでのホテル代があるかどうかです。食事代までは出せません」
「ホテルのグレードを下げればどうでしょう?」
「論外です。高いホテルは馬小屋の警備がしっかりしているからというのは以前話したでしょう? 馬を盗まれた場合、馬車で一週間の距離をカノンさんは歩けますか?」
「歩けない事もないですが、急がねばならないので馬を盗まれると困りますね。でも、ダグラスさんやマリアンヌさんに見張ってもらえば……」
カノンは“残りのお金はホテル代だけに使う”というのに納得できないようだった。
彼の態度に、ダグラスは溜息を吐く。
「見張る事はできますよ。でも昼間に御者をやって、夜に見張りをすれば集中力が落ちて不測の事態に対応できません。マリーも人目に触れてヴァンパイアだと気づかれたら騒動になります。食事なら、カノンさんの力で作れるじゃないですか。それでいいでしょう?」
「いやぁ、あれは食事と呼んでいいのか……」
――ダグラスとカノンの認識の違い。
これまでにもカノンが作りだしたパンと、ゼランの神の領域から持ち出したジャムなどで食事を済ませた事はある。
ダグラスは“おいしい、おいしい”と食べていたが、カノンは違う。
パンにジャムを塗ったり、バターを塗ったものだけでは満足できなかった。
朝食であっても、スープかサラダくらいはほしい。
昼食ならば主菜がほしいし、夕食は副菜に汁物もほしい。
パンにジャムを塗って食べるのは、おやつの延長線上のようなもので、カノンにとって食事としては満足できなかった。
「旅というものは、ただ移動すればいいというわけではありません。その地の風土や文化を知る事も重要なのです。それには食事が最適なのですよ」
「郷土料理を食べ歩きたいってだけですよね?」
「うっ、それは……」
ダグラスの鋭い指摘に、カノンは目を泳がせる。
しかし、そのまま黙ってしまっては非があると認めてしまう事になる。
そこで彼は情に訴えかける事にした。
「ダグラスさんには味覚障害があるのでわかり辛いでしょうが、私の作りだしたものは味を感じられるでしょう? それと同じ感覚が私たちにはあるのです。その土地の料理との一期一会を楽しみたいのですよ」
「それは……、わからないでもないですが……」
ダグラスも初めてキャラメルを食べて以来、食べる楽しみというものに目覚めていた。
カノンの作り出すものは様々で、特に彼が作るお菓子はダグラスにとって毎日の生き甲斐となっている。
“色々と楽しみたい”という気持ちを、強く否定する事ができなかった。
「あなたは神になるのよね? だったら、神になってから食べ歩きをすればいいじゃない」
マリアンヌが、たった一言でカノンの主張を打ち砕く。
だが、カノンもやられっぱなしではなかった。
「神になってからでは忙しくて、そのような暇がなくなるかもしれません。何しろ世界を管理するのですからね。余裕のあるうちに、この世界の方々と交流しておきたいと思っていたのですが……。今はまだ世界が混乱している時です。わがままなど言っている場合ではないでしょう」
珍しく、彼がしおらしい姿を見せる。
ダグラスも仕事に関する事ならばともかく、常に情がないわけではない。
少しだけカノンに歩み寄ろうとする。
「……わかりました。ではこうしましょう。カノンさんとユベールさんに銀貨一枚ずつ渡します。それで好きなものを食べてください。ただし、残りのお金は路銀として必要なので、勝手に使われないように僕が預かります。どうしても食べ歩くお金が欲しい場合は、カノンさんに托鉢なりしていただくという事でどうでしょうか?」
「そうですね、それならばいいでしょう。以前に私が必要に応じてお金を稼ぐとも言っていますからね。それを実践する時がきたというだけです」
「では、これからそうしてください」
ダグラスは袋から銀貨を二枚取り出すと、カノンとユベールに一枚ずつ渡す。
するとユベールが不思議そうに首をかしげる。
「私も受け取ってよろしいんですか?」
「カノンさんは、あなたの事を奴隷ではなく、道案内として同行させています。命を助けてもらった恩返しという事を差し引いても、たまには給金を受け取ってもいいでしょう」
「おおっ、ありがとうございます! もちろん兄貴だけではなく、旦那様のご配慮にも感謝しております! でも、ダグラスの兄貴はいらないので?」
金を受け取ったのは、カノンとユベールの二人だけ。
ダグラスが受け取らなかった事を疑問に思い、彼は質問した。
「僕は味がわからないので……。カノンさんが食料を出していってくれれば、それでいいです」
――それは悲しい理由だった。
ダグラスにとって食事は生きるための栄養補給でしかない。
店で食べる理由がないため、自分は食べにいかないという選択を選んだ。
そのほうがお金を使わずに済むというのもある。
「味がわからないというのは想像できませんが、それもきっと旦那様が神様になれば治してくれるはずです。もうちょっとの辛抱ですよ」
「ダグラスさんと共に、その辺りの店で食事を楽しめる日を私も待ち望んでいます。私が神になれば、治してあげましょう」
「その時を楽しみにしていますよ」
「では、マリアンヌさん。お食事をどうぞ」
カノンが、マリアンヌに食事を勧める。
血を吸われたダグラスを治療してから、三人が食事に出かけるというのが恒例の流れとなっていた。
彼女が血を吸っている間に、カノンは手持ちの食料を取り出した。
「これは私にとって学生時代の思い出の総菜パンです。安くて腹が膨れるというのでよく食べていました。ドリンに着いたら食べようと思っていたのですが、あなたの篤志に応じて差し上げます」
「ありがとうございます。食べ方はいつも通りでいいのですよね?」
「ええ、袋を開けるだけです」
ダグラスは念のために確認したが、これまでにも総菜パンや菓子パンを食べた事がある。
このあと“メンチカツ”と大きく書かれたパンを食べるのを楽しみにしていた。
「あとは飲み物ですね。とりあえず紅茶とオレンジジュースでいいですか?」
「はい、それでお願いします」
最初は甘味を求めてジュース系ばかり飲んでいたが、最近になってダグラスも食事の時にお茶系も合うとわかってきた。
カノンのチョイスに外れがないとわかっているので、ダグラスにも異論はなかった。
マリアンヌが血を吸い始める。
そして治療が終わると、ダグラスとマリアンヌは二人が食事に出るのを見送る。
二人が出ていくのを確認してから、マリアンヌが口を開いた。
「前から気になっていたんだけど、なんでカノン
「それですか。人前では様をつけるようにしているんですけどね。凄い力を持っているはずなんですけど、凄い人には見えないせいで、評価が落ちるような事があったら、
「あぁ、なるほど……。確かにあの人を素直に様呼びしたくないっていう気持ちはわかる気がするわ」
「でしょう?」
二人は同時に笑った。
カノンは無事に揉め事を避けているはずなのに、ついその過程に文句をつけてしまう。
神といっても、マリアンヌのような威圧感があるわけでもない。
だが、その気安さが彼の神としての魅力なのかもしれないので、真っ向から否定するのも難しい。
“なかなか評価が定まらない男”というのは、共通の認識だったようだ。
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