第43話 エルフの凋落 2

「……どちら様でしょうか?」


 レジスが恐る恐るカノンに尋ねる。

 まだ若いが高位の司祭である以上、下手な対応はできない。


「我が名はカノン・スズキ。この世界を救うべく、ドリンへ向かっているところです」

「なるほど、サンクチュアリでの祈祷が目的というわけですか……。しかし、ユベールなどを道案内にするなど自殺行為です」

「それです。ユベールさんは何をされたのでしょうか? 詳しい事は聞いていないのですよ」

「そうですか。知れば、こんな裏切り者を雇おうなどと思えなくなりますよ」


 レジスたちは鋭い視線をユベールに向ける。


「こいつは隊長を魔族に売ろうとしたんです!」


 ――衝撃の事実。


 多少の事なら受け入れてやろうと思っていたカノンも、目を丸くして驚いた。


「ち、違う。あれは……」

「なにが違うというんだ! 実際に魔族との繋がりを暴かれて追放されたじゃないか! しかも隊長は箔付けのために配置された有力貴族の坊ちゃんだったから、あれから大変だったんだぞ!」

「そうなのですか? 教えてください」


(さすがに身内を裏切る人物は信用できないな……)


 カノンの中で、ユベールに対する信頼が地に落ちる。

 道中、意外と馬が合ったとはいえ、それはそれ。

 世界を救う旅の途中である以上、場合によってはここで別れる必要もあるだろうと考え始める。


 こうしてカノンが皆の注目を浴びている間に、ダグラスは有利な位置取りを取ろうとする。

 襲い掛かった時に、流れ作業のように全員を殺せる位置を狙う。

 しかし、相手も魔族相手に戦ってきたエルフたちである。

 ダグラスの動きに気づいた者が密集せぬよう仲間と距離を取った。

 やはり日中、相手を前にしては有利な位置を簡単には取らせてくれないようだ。


 ダグラスとエルフたちの間でヒリつく空気が流れている一方で、ユベールは観念して事実を話そうとしていた。


「旦那様にそう言われては……」


 彼は元同僚に視線を向ける。


「お前たち、異端審問官の機密情報に触れる覚悟があるのだな?」

「機密情報? お前が裏切ったというだけだろう?」

「本当にそう思っているのか? 魔族と通じた者は抹殺される。なのに追放だけでなぜ済んだと思う?」

「それは……、そうだが……」


 実際、当時はユベールの処分の軽さに内部で揉めていた。

 その理由が何かあったというのなら、気になるところではある。

 しかし、秘密を知ってしまう恐ろしさもあった。


「いいじゃねぇか、聞かせてもらおうぜ」

「おい、そんな軽々しく言うものじゃないだろう!」

「どうせ私たちに未来はないんです。だったら、秘密の一つや二つ知ったところで変わるものではないでしょう」

「そうだ、聞こうぜ」


 レジスが渋るが、他のエルフたちは興味を持ったようだ。

 そして、カノンも興味を持っていた。


「私も聞きたいですね。是非とも教えてください」

「では、お教えしましょう。ですが、絶対に口外しないでください。実はあの時、隊長から極秘任務を任されたのです」


 緊張から、皆がゴクリと唾を飲み込む。


「内容は魔族と接触する事。そして、サキュバスを集める事でした」


 サキュバス・・・・・という単語が出たところで、カノンは察してしまった。

 サキュバスは、カノンのいた世界ではメジャーな魔族だったからだ。


「そんなものを集めてどうする?」


 だが、この世界に生きる者では、どのような理由で集めようとしていたのか容易には想像できない。

 それだけ異質な命令だったのだ。


「一生の思い出に残る初体験をしたかったらしい。そこで――ブエッ」

「やっぱり、それ以上喋るな!」


 レジスが鉄兜をユベールの顔に投げつけて黙らせた。

 彼の顔は怒りに染まっていた。


「ちくしょーーー! あのクソガキャー! 何やってんだよ!」

「そりゃあ、ユベールを厳罰にできねぇわ!」

「ダメだ、この国は腐ってやがる!」

「童貞の暴走で、俺たちは批判に晒されてたのかよ!」


 他のエルフ達も怒っていた。

 彼らも“裏切り者を出した部隊”として後ろ指を指されていたからだ。

 その理由が“貴族の坊ちゃんの下半身事情”とあっては冷静ではいられない。

 今にも王都に走り出しそうなくらいの怒りようだった。


「だから隊長にハメられたって言ったのに……」


 ユベールは兜の当たったところをさすっていた。


(王都で起こした不祥事って、そういう事だったのか)


 ダグラスも、ユベールのしでかした事を知って納得していた。

 同時に“カノンのように魔族相手でも興奮できる隊長”に対して、異常者だと思ってしまった。

 それがこの世界では常識だからだ。

 そしてすぐに“自分は違う”と、かぶりを振る。


「なるほど、理由はわかりました。それならばユベールさんは悪くないと思います。上官の命令に従っただけなのですから」

「ご理解いただきありがとうございます」

「そうだな、その話が事実ならばユベールの処罰が軽かったのもわかる……」


 レジスがユベールに近付く。

 ユベールは両手を広げ、彼を受け入れようとする。


 ――だがレジスは彼を押し退けるだけだった。


「まぁそれはそれとして、馬車の中に強い魔力反応があるので調べさせてもらう」


 彼は空気を読まず、仕事に戻ろうとする。

 これにはカノンも焦った。


「少々お待ちを!」


 さすがにマリアンヌの姿を見られるのはまずい。

 そう思って、彼は行動に出る。


「私も世界を救おうとする身です。皆さんがお困りの事も見抜けます。そして、それが解決できるでしょう」

「ほう、どう救っていただけるんです?」


 レジスは挑戦的な目をカノンに向ける。

 馬車の中に検査されたくないものがあるのは明白である。

 それを目こぼししてほしいのならば、それ相応のものを用意しないとならない。

“本当にそれができるのか?”という目だった。


 カノンは空中で指を動かす。

 何かを取り出そうとしていた。


「では、手を出してください」

「いいでしょう」


 レジスは左手を差し出した。

 利き手である右手は、緊急時にカノンを殴り飛ばせるようにフリーにするためだ。

 だが、彼の警戒は必要なかった。

 何もない空間から、ズシリと重みのある袋が二つ出されただけだからだ。


「カノン様、それはいけません!」


 その袋が何かに気づき、ダグラスが止めようとする。

 しかし、カノンはやめなかった。


「袋一つにつき銀貨が百枚入っています。それだけあれば、皆さんがお困りの件も解決できるのでは?」


 以前、ユベールはこう語っていた。

“官僚の旨みを知ってしまえば、もう仕事で皿洗いなんてできんよ……”と。


 ――異端審問官という役職がエリートで、高収入の仕事だったとしたら?


 彼らは今、王都から離れた街で門番の手伝いをさせられている。

 大幅に収入も減っているはずだ。

 家族への仕送りなどを考えれば、金は必要なはず。

 普通の門番よりも賄賂に弱いはずだと、カノンは考えた。


 ――彼の考え方は正しかった。


「ま、まぁこれだけあるならばかまわないか」


 レジスは、あっさりと金を受け取る。

“これでマリアンヌの事は大丈夫だろう”と思ったが、今度はユベールが待ったをかけた。


「いや待てよ。いくら何でもおかしくないか? お前たちは賄賂を受け取るような奴じゃなかっただろう? 王都で何があった?」

「ユベールさん、細かい事情はいいじゃないですか」


 かつての同僚の異変に気づき、彼は問いかける。

 カノンは“余計な事を”と思って止める。

 だが、レジスは重々しく口を開いた。


「裁きの日から状況が変わったんだよ。魔法を使えなくなって戦えなくなった。でも魔族は存在する。じゃあどうする?」

「……代わりの方法を探すとか?」

「そうだ。お偉いさん方は勇者降臨の儀式を行った」

「なんだって!」

「その儀式がどういう事か教えていただけませんか?」


 二人が盛り上がっているものの、事情がわからないカノンが説明を求める。


「勇者降臨の儀式というのは古から伝わるもので、大量の魔力を消費して魔族と対抗しうる力を持つ者を召喚する儀式です。普通なら、そんなものに力を割いている余裕などありません。割けるとしたら……、魔法が使えなくなって、魔力が余る時くらいでしょう」


 カノンに説明していたユベールも、王都で何が起きていたかを悟った。


「まさか王都で?」

「ああ、そのまさかだ。魔力の枯渇で仲間の半数が死んだよ。奴らは魔法が使えなくなった俺たちを道具のように使い捨てやがったのさ。勇者といっても、機装鎧を使えるだけだぞ。それでも強いけどさ……」

「だからか……」

「あぁ、クソッタレな時代になろうとも金は必要だ。お尋ね者かどうかは知らないが、どうせ魔法使い一人見逃しても何もできないだろう。だったら金を選ぶさ。司祭様、あなたの目は正しかった。私たちは金が必要でしたから……」


 そう語るレジスの目は悲しそうだった。

 エルフであっても、仲間を失うと悲しいのだろう。

 もしかしたら、こうして賄賂を受け取るようになった自分の姿も悲しいのかもしれない。


「そちらの若者もそうですが、腕利きの護衛を付けておられるようですね。馬車の中にいる強烈な魔力を発する者ですが、顔を知られているお尋ね者でなければ街を出歩いても問題はないでしょう。アルベール付近と違って、この辺りには前線帰りも多いですから堂々と顔を出しておいたほうが怪しまれないはずです」

「その情報はありがたいですね。感謝します」

「いえ、こちらのほうこそこんなにいただいて感謝しております」


 今度は屈託のない笑顔を見せた。

 感謝は本物なのだろう。

 カノンは“いい事をした”と満足する。


「もし今の仕事が嫌になれば、アルベールの街に行くといい。ジャンという娘婿が料理屋をやっているから、そこで皿洗いで雇ってくれるさ」

「門番は門番で役得があるから、皿洗いなんてやっていられないよ。気持ちだけ受け取ろう」


 レジスが手の中にある袋を握って、ジャラリと音を鳴らす。

 それを見て、ユベールも何も言えなかった。

 この時、黙って状況を見ていたダグラスは顔を蒼褪めさせていた。


(これからの路銀はどうするんだろう……)


 カノンが払ったお金は、残っている路銀の大半である。

 マリアンヌを助けるためとはいえ、これでは自分たちが困ってしまう。

 世界を救う前に、まずは自分たちを救わねばならなくなってしまった。

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