第37話 新たな仲間 2
ダグラスは、カノンと共に街の門までやってきた。
街の外には、中に入ろうとしている避難民たちが行列をなしていた。
絶望に満ちた顔で帰っていく者たちも、やはりまだ残っていた。
(彼らは助けなくてもいいのかな?)
そうは思うが、ダグラスは無理だとかぶりを振った。
誰も彼もを助けるために金をばら撒いても、救えるのは数十人程度だろう。
世界を救うという目的の前には、あまりにも小事である。
それは本末転倒だとは、カノンもわかっているはずだ。
救えるはずがない。
見て見ぬフリをするしかなかった。
実際、カノンは彼らに一瞥をくれるだけで、助けようとはしなかった。
その辺りの分別はついているようだ。
「すいません。こちらの司祭様が外のエルフと話したいそうです。この国では一時外出にも許可証などが必要なのでしょうか?」
ダグラスが門番に必要なものを尋ねる。
ちょっと出て入るだけで、また銀貨百枚を要求されてはたまったものではない。
この確認はしておかねばならなかった。
「いや、あそこにある受付で顔を見せればいいだろう。司祭様の格好は印象に残るから、従者共々顔を覚えれば許可証など必要ないはずだ」
「ありがとうございます」
そう答えながらも、ダグラスは“顔を覚えられるのは嫌だな”と思っていた。
もう暗殺者ではないので覚えられてもかまわないのだが、心理的な抵抗があった。
しかし、顔を覚えられるのを嫌がっては余計に怪しまれる。
笑顔を作って、大人しく従う事にする。
「覚えたので、もういいですよ。日が暮れる前に戻ってこなければ、また入市税が必要になります。お気を付け下さい、司祭様」
やはり、カノンの目立つ格好は印象的だったようだ。
司祭と従者で覚えやすかったのだろう。
指定された受付では、すぐに外出許可が出た。
というよりも、住人以外で外に出たがる物好きが極めて少ないおかげである。
許可証で管理せねばわからなくなるほど、外出しようという者はいなかった。
そんな状況なのに、目立つ司祭が外に出ようというのだ。
嫌でも覚える。
ダグラスにとっては幸いな事に、カノンのおかげで顔をはっきりとは覚えられなかった。
たかが従者の事など気にも留めない。
カノンが目立つのは事実。
だが、彼が目立ち過ぎて、周囲が目立たなくなっているという事までは、ダグラスも気付かなかった。
門を抜けると、エルフたちがいた場所へダグラスが案内する。
しかし、残っていたのは一組のカップルだけだった。
いや、年齢差があるようなので親子かもしれない。
カノンが彼らに近付く。
あちらも、カノンとダグラスに気付いた。
「司祭様、父を助けてください!」
やはり親子だったようだ。
娘がカノンに駆け寄り、足元にひざまずく。
壁に力なく寄りかかっている父親を見ると、赤く染まった布を左腕に巻いていた。
逃げる時に怪我をしたのだろう。
「どうされましたか?」
「父は昨日森から逃げてきたのですが、魔物に襲われて怪我をしてしまったのです。もしも薬をお持ちでしたら助けてください! なんでもします! 奴隷にだって!」
「なんでも?」
カノンの鼻息が荒くなる
今のは“人生で一度は言われたい言葉”の一つだったからだ。
若く美しいエルフの娘に言われた事で、その興奮はより強いものとなる。
だが、ダグラス以外には変化に気付かれなかった。
「ソフィ、いいんだ。私はもう長くはない。こっちへきてくれ」
死を覚悟したのだろう。
父親が娘を呼び寄せようとする。
「いいんだ、もう。私のために自由を失う必要などない。お前が幸せな人生を送ってくれたら、私はそれで満足だ」
「いやよ、父さん! そんな事、言わないで! 諦めないでよ!」
ソフィーと呼ばれた娘が泣きながら父親に抱き着く。
娘の背中を、父親は無事な右手で優しく撫でていた。
「カノ……ンさん?」
ダグラスが声をかけようとすると、カノンが二人を指で作った四角形の空間の中から眺めていた。
(またおかしな事をやってる……)
ダグラスは呆れていたが、それがカノンにとって重要な事なのだろうというのは、何となく察していた。
急かしたりはせず、黙って様子を見る。
カノンが腕を降ろすと、父親のエルフに話しかけた。
「あなたは神を信じますか?」
「神? 信じるよ。私にこんな素晴らしい宝物を与えてくださったのだから」
エルフは娘をギュッと抱きしめる。
だが、その腕に力は入っていないように見えた。
もう長くはないのだろう。
彼の目にも、もう力がなかった。
カノンが彼に近付く。
「信心深いあなたには、神の手が差し伸べられるでしょう。
カノンがスキルを使う。
手から強力な魔力を感じ、エルフの二人はカノンから距離を取ろうとする。
「大丈夫です。これは魔法とは違う
なぜか興奮し始めるカノンの姿は、ダグラスにも恐ろしく見えた。
マリアンヌのような命の危険を感じる恐怖ではなく、得体の知れないものに対する恐怖である。
それはエルフたちも同様だった。
「ソフィ、逃げろ!」
「いやよ、父さん!」
「巻き添えになるぞ!」
父親は力を振り絞って娘を押し退けた。
それは、最後の力だった。
もう、迫ってくる怪し気な司祭を押し退ける力も残っていなかった。
光を放つ手を避ける事なく、自分の運命を受け入れる。
せめて、娘だけでも助かってほしいと願うばかりだった。
――頭を軽く叩かれる。
だが、異変は起きなかった。
体が内側から肉が裂ける事も、体内の魔力が反応して周辺を吹き飛ばす事もなかった。
(何も起きなかっただけか?)
彼はそう思った。
――魔法を使えば予想もしない結果になる。
ならば、
そう思ったが、カノンに触れられる前と後では異なるものもあった。
「痛みが……、なくなった?」
エルフは腕を巻いていた布を慎重に外して傷口を確認する。
手首から肘まで広く裂けていた傷口が塞がっていた。
「まさか、本当に?」
エルフ親子は、カノンを驚きの目で見ていた。
カノンは余裕の笑みを浮かべる。
「最初から説明しましょうか――」
カノンは“タイラーがこの世界を捨てたので、自分が新しい神になるためにやってきた”という事を話し始める。
エルフの親子は訝しんでいたが、奇跡の力を見せられた。
魔道具などを使っている様子がなかったので、少なくとも力は本物だろう。
すぐに“新しい神だ”と確信はできなかったが、特別な力を持っていると思う事はできた。
「――というわけで、私は世界を救うためにドリンまで行かねばなりません。よろしければ娘さんを私に預けていただけませんか? エルフの強大な魔力が、いつか世界を救う役に立つ時がくるかもしれませんから」
カノンが本題を切り出した。
彼が何を考えているのかは、ダグラスでなくともわかった。
――若い男が若い娘に同行を求める理由。
純粋に助力を求めているだけではないのは明らかだ。
しかし、ソフィは覚悟を決めた。
父を救うために頼み込んだのは自分だ。
カノンに身を捧げる覚悟で、一歩前へ踏み出す。
「待て!」
父親がソフィを呼び止める。
彼女の肩を掴み、自分のほうに向き直させた。
「助けられたのは私だ。私がいく」
「でも、なんでもするからって助けを求めたのは私だし……」
「司祭様は、エルフの魔力を求めておられる。ならば私でもいいはずだ。そうですよね?」
父親が娘を庇い、自分がカノンに付いていくと言いだした。
表情には出していないが、カノンは心の中で舌打ちをしていた。
彼は気にしない素振りをしていたが、それでもやはりダグラスとマリアンヌの交流を見せつけられると、心穏やかとはいかなかった。
彼も旅に彩りがほしいなと思い始めていたのだ。
「ええ、かまいませんよ。娘さんに協力すると言われたので、お願いしただけですから。お父さんのほうでも手助けしていただけるのなら歓迎です。ですが、今後娘さんの生活が心配だというのなら無理にとは言いません。家族で過ごされるといいでしょう」
やはり華やかさのある娘と、むさくるしい父親とでは価値が違う。
“じゃあいらない”と言いたいところだが、神を名乗る以上、そのような態度を表に出す事はできない。
そこで、彼に残る選択肢を与えた。
“ならば娘と共に残ります”と言ってくれる事を期待して。
「娘は大丈夫です。街で料理屋をしている恋人がいるので、彼が養ってくれるはずです」
「父さん、ジャンとの関係を知っていたの!」
「当然だ。街に買い出しに行く時、いつもおめかしをしていたからな。悪い男に引っ掛かってるんじゃないかと思って、一度見に行ったんだ。いい男じゃないか。お前もいい年だ。彼と幸せになるといい」
「父さん……」
「命を助けてもらったのは私だ。私が奴隷になる。だから……、行ってくれ。これからの私の姿を、お前にだけは見てほしくない」
「そんな……」
「生きていれば、またいつか会う日がくる! さぁ、振り向かずに行くんだ! 行ってくれ!」
「父さん、私……。ジャンと待ってるから!」
ソフィは涙を流しながら走り去っていった。
街の中に入るのを確認すると、父親がカノンの正面に立つ。
「ユベールと申します。優しくしてくださいね、ご、ご主人様」
「頬を赤らめるなぁ!」
――自分を置いてきぼりにして、お涙頂戴の三文芝居が繰り広げられた事。
――ユベールが、まるで初夜を迎える乙女のような表情を見せた事。
数々の不満が籠められたカノンの平手打ちが、ユベールの頬に炸裂した。
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