第30話 リデルの異変 3

 日が暮れるまでに、ダグラスは何度か往復していた。

 ゾンビ化する直前の者もいたが、彼らはカノンによって治療される。

 助けられた者はもとより、その光景を見ていた者たちも“カノン様は本物の神かもしれない”と思い始めていた。

 マリアンヌを回収せねばならないため、ダグラスはホテルに寄らず、ギルド前に馬車を停める。

 近くにいた冒険者たちが負傷者を降ろす手伝いをしてくれた。

 全員降りたのを確認すると、ダグラスも馬車から降りる。


「今日はお疲れさん」


 ダグラスは馬車から馬を外した。

 ホテルに着いたら、馬にエサを出してやらねばならない。

 だが、今はまだ用事があるので、馬用の水飲み場に繋ぎ直す。

 ギルドの中に入ると、大勢の人々がカノンの周囲を取り巻くようにひざまずき、祈りを捧げている光景が目に入った。

 

(魔法が使えないのに、怪我を治す事ができるんだもんな。そりゃあ神様だって思うだろうさ。でも、そいつがこの状況を作った張本人なんだぞ)


 そう思ったが、ダグラスは何も言わなかった。

 死体が蘇るきっかけを作ったのは、きっとカノンだろう。

 しかし、それができるという事は、世界に影響を及ぼすだけの力があるという事でもある。

 その力は本物。

 ならば、その力を正しい方向に使ってもらえるよう、邪魔をしないほうがいいかもしれない。

 カノンに対して思うところはあるが、ダグラスは積極的に本性をバラしてやろうとはしなかった。

 ダグラスはカノンを尻目に、受付へ向かう。


「終わりましたよ」

「ありがとう、本当に助かるわ」


 混乱が大きければ大きいほど、やらねばならない事も増えるのだろう。

 受付嬢は、忙しそうに書類を作成していた。


「衛兵まで回収してきてくれて助かったわ。仕事のライバルって意識して、彼らを無視する人も多いのよ。ダグラスくんが新人でよかったわ」


 彼女の言った事は、事実だった。

 この辺りは安全な地域で、モンスターが少ない。

 冒険者が相手にするのは、衛兵が取り逃がした犯罪者などの人間がメインである。

 獲物の奪い合いになるため、戦闘を得意とする冒険者は衛兵をライバル視していた。

 そのため、冒険者と衛兵の関係はあまりよくない。


 もちろん、ダグラスにとっても衛兵は敵である。

 だが、それは過去の話だ。

 今は敵対する理由がない。

 それに衛兵に目をつけられないためにも、積極的に目立つ事をやろうとはしなかった。

 その態度が、受付嬢の高評価になっていた。


「カノン様が本当に神様だったなんてね。ビックリしたわ。でも、次々に治療していく姿を見ていると信じるしかないわね。それにしても、悪しき力が世界を壊そうとしているだなんて怖いわ……」


 彼女は胸の下で両手を組み、怯えてみせる。

 ダグラスも“タイラー様ではなくカノン様”と神に祈らねばならない未来に怯えていた。

 しかし、いつまでも立ち尽くしてはいられない。

 少し離れたところにある棺桶に視線を移す。

 棺桶という事もあり、人通りの少ない部屋の隅に置かれていた。


「今日はもう馬車は使いませんよね? 荷物を受け取りたいんですけど」

「ええ、いいわよ。今日の働きは明日支払われると思うから受け取りにきてね。ねぇ、ちょっと馬車に棺桶を運ぶのを手伝って」


 受付嬢は、近くにいた冒険者に声をかけた。

 それから手元にあった書類から一枚取り、棺桶のもとへ向かう。

 ダグラスも彼女のあとについていった。


「これを宿で見せれば泊まれるわ。カノン様がお泊りになられるところと同じホテルだから、新人だとまず泊まれないところよ。支払いはギルドが持つから楽しんできてね」

「ありがとうございます」


 ダグラスが書類を受け取ろうとするが、彼女は書類を離さなかった。

 その行動に、ダグラスが首をかしげる。


「ねぇ、私ももうすぐ仕事上がりなんだけど、食事でもしながらゼランであった事を聞かせてくれない?」


 ――受付嬢からの食事の誘い。


 棺桶を運ぶために集まってくれた冒険者たちは、嫉妬の目でダグラスを見る。

 これはただの“女性からのお誘い”というだけではないからだ。

 受付嬢も人間だ。

 親しくなれば、職責が許す範囲で比較的楽な仕事などを割り振ってくれるようになる。

 この街で働くのに、かなり有利になるだろう。

 新人に限らず、冒険者にとって周囲に妬まれる状況である。


 ――だが、妬むのは冒険者だけではなかった。


「ん? なんか棺桶の中でゴソゴソと音がしないか?」

「……もしかして、ゾンビが入っているのか?」


 冒険者たちが棺桶から距離を取り、武器を構えようとする。


 ――その時、棺桶の蓋が勢いよく開かれる。


 そして、マリアンヌが立ち上がった。


「うわっ、なん……だ」


 冒険者たちの体がこわばる。

 今の彼女は喪服を身に纏っていない。

 身に纏っているのは、初めて会った時と同じスリングショットの水着のようなものだけである。

 それだけに、冒険者たちは強い恐怖を感じた。

 誰もが彼女の格好の意味を理解しているからだった。


 ダグラスは“棺桶の中でどうやって脱いだんだろう?”と思った。

 だが、マリアンヌは周囲の視線など気にしない。

 棺桶から出ると、ダグラスに近付く。


「喉が渇いたわ」

「……そういう事ならどうぞ」


 彼女がなぜこの場所で、このような行動に出たのか。

 それはダグラスにはわからなかった。

 しかし、喉が渇いているらしいので、大人しく首元をさらけ出す。


 マリアンヌは、ダグラスの首元に優しく牙を突き立てる。

 この光景を、ギルド内にいた者たちは黙って見ていた。

 状況が呑み込めない者、恐怖で身がすくんでしまった者など、理由は様々だった。


 血を飲み終わると、マリアンヌは受付嬢に“彼は私のものよ”と言わんばかりに勝ち誇った表情を見せる。

 受付嬢は吸血鬼がそのような表情を見せる理由がわからずに困惑する。


「マリアンヌさん! 何をされているんですか!」


 異変に気付いたカノンが近づいてくる。

 彼は呆れている様子だった。

 ダグラスも“ホテルに着くまで待っていてくれたらよかったのに”と少し呆れていた。


「皆さん、彼女が先ほど話した協力者です。ヴァンパイアという種族の違いはあるものの、人間に危害を加えるような方ではありません」

「でも、あいつの血を吸っていたぞ! あいつもヴァンパイア化するんじゃないのか!?」

「彼女も食事をしなければなりませんから。それに――」


 カノンはダグラスに近付き、スキルを使って回復する。

 牙の痕が塞がっていく。


「こうして私が治療すれば、ヴァンパイア化も未然に防げます。それはゾンビに噛まれたりした方々が無事だという事で証明できるでしょう」


 カノンが周囲を見回す。

 ゾンビに食いちぎられたり、スケルトンに怪我を負わされた者は、本来ならば呪いが移ってアンデッドへと変質する。

 だが、彼に治療された者たちに、そのような者はいない。

 カノンの治療が、状態異常にも有効だという事は実感を持って知られていた。

 おかげで、彼の言葉は人々に聞き入れられている。


「それに彼は特別な存在なのです」

「特別?」

「そう、彼は彼女に気に入られているのです」


 カノンはダグラスの隣に立っている受付嬢を見る。


「ダグラスさんに近付く女性の気配を感じたため、棺桶から出てきたのです」


 彼の言葉に、受付嬢はハッとした表情を見せる。

 棺桶の近くで話していたため、会話は聞かれていてもおかしくない。

 とんでもない相手の男を奪い取ろうとしていたのだと気付き、保身に走る。


「いえ、近付くだなんてそんな……。私はただ、ゼランでの話を聞こうとしていただけで……。それ以上の気持ちなんてありません」

「早とちりというわけですか。それだけ、ダグラスさんの事が気になっていたのでしょう」

「そんなわけ! ない……」


 マリアンヌはとっさに否定しようとするが、ダグラスの前で強く否定していいものか迷い、言葉は段々と力がなくなっていった。

 一定の距離を取れていて、冷静なものは“惚れてんじゃねぇか!”と心の中でツッコミを入れていた。

 また同時に“吸血鬼に惚れさせた男”として、ダグラスに対する評価が高まる。


「マリアンヌさんの気持ちはわかりますが、こうして人前に現れるのはよくありませんね。混乱を生むだけですから。実はマリアンヌさんが、ダグラスさんと共に昼間の街を歩けるかもしれない方法を考えていたのですが、罰としてクローラ帝国に着くまでお預けです」

「昼間に歩ける!? いったいどうやって?」

「秘密です。まだ効力が発揮するかも不明ですしね。これからは、いきなり人前に出ないと約束していただけるのならば、教えてさしあげましょう」


 カノンは、ダグラスに目配せをした。

 その意味をダグラスはしっかりと察する。


「確かにマリアンヌさんと街を歩いてみたいとは思いますね」


 彼としても“吸血鬼が同行している”という事を広く知られたくはない。

 今回のように、たまたまカノンが前もってゼランで何があったか説明している状況ばかりではないのだ。

 そんな事を知られたら、事情を説明する間もなく袋叩きに遭うだろう。

 できれば彼女に大人しくしておいてもらいたかった。


 それに、これは彼女を大人しくさせるための嘘というわけでもない。

 ダグラスとしても、彼女が人間の街並みを見て、どう思うかが気になるところだ。

 彼のこれまでの人生は、観光を楽しめるような人生ではなかった。

 誰かと共に見て歩きたいという気持ちもあったため、本心からの言葉でもあった。


 それが伝わったのかはわからないが、マリアンヌは“そう……”と呟き、周囲の視線を尻目に棺桶に戻っていった。

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