第31話 クローラ帝国の仕組んだ罠 1

 一通り治療が終わると、翌朝にはリデルの街を出発した。

 この街に留まる事もできたが、カノンの目的は神になる事である。

 世界を救うという大義のため、助けを求める目の前の一人一人にこだわってはいられない。

 そうしているうちに、大勢が犠牲になっているからだ。

 彼としても苦渋の決断だった。


 それにナタリアも、カノンの事を神として認めはしなかったものの、神に近い存在としては認めてくれた。

 心残りなく、リデルを出る事ができた。

 しかし、旅は順調というわけではなかった。


 ――鳥が人間を襲い出した地域や、なぜかトマトが人間を襲う地域などがあったからだ。


 国境に到着するまでの一週間、数々の不幸に直面した。

 だが、クローラ帝国の国境付近では、そういった騒動は起きていなかった。

 共同で対応したのか、安全面では問題なさそうだ。

 とはいえ、完全に問題が解決したというわけでもない。


 ――多くの人々が関所付近に集まっていた。


 クローラ帝国の軍は精強である。

 安全そうな国に非難しようとしている人々がいた。

 だが、それが問題なのではない。


 ――国境の向こう側からやってくる人も多い。


 それはクローラ帝国側で問題が起きている可能性を示唆していた。

 これからあちらに向かうカノンたちにとって、不安要素だった。

 そんな状況でも、ダグラスだけはあちらに着くのを楽しみにしていた。


(やっとゆっくり寝る事ができる)


 ――日中は馬車を操り、夜は目覚めたマリアンヌの話し相手をする。


 人間と吸血鬼の生活リズムの違いにより、ダグラスはゆっくりと眠る事ができなかった。

 時々カノンが話し相手を変わってくれたが、それでも疲れは取れない。

 そのため“吸血鬼が日中で活動できるようになるかもしれない”という話に、ダグラスは希望を持っていた。

 マリアンヌが昼間に起きて、夜に寝てくれれば大助かりだ。

 列に並ぶのが面倒ではあるが、この待ち時間も楽しみにしていられた。


 クローラ帝国側からきた馬車の御者と話して、順番待ちの列から離れる馬車もいた。

 そのおかげで、当初思ったよりも早くカノンたちの馬車は関所に到着する事ができた。


「お疲れ様です」


 ダグラスは、衛兵に証明書と通行手形を渡す。

 今日は忙しかったのだろう。

 衛兵は気だるそうに中身を検める。


「……うおっ! おい、これ」

「なんだ? ……うおっ!」

「ちょっとお待ちを」


 中身を読んだ衛兵が同僚に確認させ、二人とも似たような驚きの声をあげた。


 ――ゼランの司教による身分の証明書と通行手形。


 周辺の街の教会関係者が発行した証明書ならば、ここまで驚かなかっただろう。

 だが、神の領域がある街の司教なら別だ。

 有力者が配属される場所なだけあって、その効力は高い。

 偽造を疑い、念のために一人が印章に詳しい者に確認しに走る。


「禁制品がないか荷物を確認させていただきます」


 相手が大物かもしれないと思い、衛兵の態度が変わる。

 こういった事はダグラスも慣れているので、特に気にしなかった。


「どうぞ。とはいえ、何もないですけど」

「旅をするなら水やしょくりょ……」


 荷台を確認した衛兵が固まる。

 本当に何もなかったからだ。


 ――荷台にあったのは、壺を片手に寝転がっている司祭と棺桶一つのみ。

 

 とても旅をしているようには見えなかった。


「その棺桶の中身は、さるお方のご息女のご遺体です。本人の生前の希望により、ドリンの墓地に埋葬してほしいと頼まれました。そちらにおられる司祭のカノン様が見届け人として同行しています」


“神様と吸血鬼をドリンまで連れて行くところです”などとは言えない。

 そんな事を言えば、ダグラスの頭がおかしくなったと思われてしまう。

 そのため、無難な言い訳を考えていた。

 衛兵は素直にその言い分を聞き入れる。


「カノン様は初日からあの調子です」

「馬車の揺れは酷いですからね。慣れておられないのなら、長旅は厳しいでしょう」


 二人が話していると、カノンが起き上がる。


「私には大事な使命があるのです……。この程度の酔いなど大丈夫です」

「司祭様の使命感は立派なものだと思いますが、無理はなさらないでください」


 衛兵は“やけに若い司祭だな”と感じていた。

 しかし“よほど魔法に長けている人物なら出世もありえる”とも考え、不審には思わなかった。

 そしてそれは、報告を受けた上司の言葉により確信へと変わる事になる。


「証明書と通行手形は本物だった。こちらの方々は通していいぞ」

「はっ!」


 念のために棺桶の中を調べる必要があるが、それは通常の手順である。

 不審物があるとわかっていても、要人であれば調べずに関所を通す場合もあった。

 今回は目立つ荷物が棺桶一つという事もあり、大量の密輸というわけでもなさそうなので、命令に素直に従った。

 だが、彼も信心深い信者である。

 カノンのために、ダグラスに一つ忠告する事にした。


「通るのはかまわない。だけど、今は入市税が高くなっている。関所の通行税を払う前に、一度ゼランに戻るなりしてお金を持ってきたほうがいいだろう」

「手ぶらに見えますが、カノン様が十分なお金を持っています。大丈夫でしょう」

「ならいいが……。私が言えるのはこれくらいだ」


 衛兵は通行税として銀貨を一枚受け取ると持ち場へ戻っていった。

 ダグラスは、わざわざ入市税について触れてきた事をおかしく思った。

 しかし、彼は“荷物が棺桶一つじゃあ、心配されても仕方ないか”と気を取り直した。



 ----------



 関所を抜けると、すぐ目の前に国境の街アルベールがあった。

 街の外では、なぜか複数のエルフが浮浪者のようにうなだれて座っていた。

 不思議に思いながらも、街の門へと馬を歩ませる。

 そこで、ダグラスは甘く考え過ぎていたと思い知らされた。


「入市税が銀貨百枚!? そんな法外な! こちらは教会の依頼で動いているんですよ」


 荷物を満載した商人の馬車でも、銀貨数枚程度だという話をダグラスは聞いた事がある。

 百枚というのは二十倍、三十倍という大金だった。

 だが、それが当たり前だという態度を、街の門番が取っていた。

 筋肉質なドワーフなだけに、その態度がふてぶてしいものに感じられる。


「今は非常時だ。我が国でも二度目の闇夜が訪れてから混乱が起きている。これは戦費調達のためだ。教会など立場に関係なく支払ってもらっている。嫌ならばブランドン王国に戻るといい」


 門番の言葉で、ダグラスは関所から戻ってきていた馬車の意味がわかった。


(アルベールに入るだけなら問題ないと思った人もいただろう。でも、他の街に行こうと思っている人には厳しい金額だ。自分の住んでいた街に帰るしかなかったんだろう)


 カノンは路銀として大金を受け取っている。

 しかし一つの街を通るたびに、これだけの入市税を取られてしまえば、ドリンに着く前に資金不足になってしまうかもしれない。


「カノン様、どうしますか?」

「払うしかないでしょう。私はドリンに行かねばならないのですから」


 カノンが虚空から金の入った袋を取り出して、ダグラスに渡した。

 こういう光景を見ると、ダグラスは彼が本物の神、もしくはそれに近い存在なのだと思い知らされる。

“彼の人間性を知らぬままでいたほうが幸せだったかもしれないな”と考えてしまう。


「でも途中で路銀がなくなってしまうかもしれませんよ?」

「その場合は、私が托鉢でもしますので大丈夫でしょう。一刻も早く、ホテルで横になりたい」


 スキルを使えば気分はよくなるが、それは一時的なもの。

 すぐに車酔いするので、カノンはホテルで休みたがった。

“苦しみから解放されたい”という思いから、彼の判断能力は鈍っていた。

 今後の路銀について考える事なく、街に入る事を選ぶ。


 ダグラスとしては、カノンが街に入ろうというのなら断る理由はない。

 大人しく入市税を支払う。


「我が国が困っているのは本当だ。金持ちの来訪は歓迎する」


 門番が愛想のいい笑顔を見せる。

 救いを求めて逃げてきた人たちには辛い現実だろう。

 ダグラスは現実を突きつけられて絶望する人たちの反応を見たくはなかった。

 彼は一度も振り返る事なく、ホテルを探して馬車を動かし始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る