第二章 新たな仲間編

第26話 出発前に 1

 ――クローラ帝国。


 大陸中西部を支配するこの国は、ドワーフを頂点とする多人種国家であり、大陸一の軍事国家である。

 北の国境は魔族が生息する領域と接しており、時折軍事衝突が起きる土地だ。

 また、有事の際には周辺各国へ救援を出すなど、人類の中心的な存在となっていた。



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「ほうほう」

「どうしたんですか?」

「クローラ帝国ってドワーフとかエルフがいるそうですね」

「ええ、そうらしいですよ。行った事はないですが、獣人やハーフリングなんかもいるみたいですね」


 またカノンがテーブルの上の何もない空間で指を動かしていたので、ダグラスは“彼にしか見えない図鑑のようなものが見えるのかもしれない”と思った。


「それは興味深い。この世界を救うためにも、この世界の事をよく知っておかねばなりません。実際に見て回るのは大切な事です。楽しみですね」

「世界を救う旅を楽しみにされましても……」


 カノンもどこか浮ついた気持ちがあった事は否めない。

 ダグラスが顔をしかめると、カノンは少し焦った。

 慌てて釈明しようとする。


「仕事というものは楽しまねばなりません。義務感だけでやっていては、いつか疲れて折れてしまう。何度も折り曲げた鉄板のようにね」


 ――生きるためにやっていた仕事を、嫌々続けたくはない。


 ダグラスは師と崇めた人物に“もう暗殺者などやめて、一般人として生きていけ”と言われている。

 だが、それ抜きでも暗殺者に戻ろうとは思えなかった。

 彼にも、カノンの言っている事が理解できる気がしていた。


「きっとタイラさんも仕事だと思って頑張り過ぎたから、心が折れてしまったのでしょう。ダグラスさんも、また神に見捨てられては困りますよね? 私は長く続けるための心構えをしているだけなのですよ。世界を楽しむのも、すべてこの世界の人のためなのです」

「でも、楽しむ時間があれば、困っている人の祈りに応えてあげればいいのではないですか?」

「いいえ、それは違います」


 カノンはいつになく真剣な表情を見せた。


「『神に祈れば助けてもらえる』それが当たり前になれば、人は堕落します。自分の力で困難を乗り越えなくとも、神に祈れば解決するのですからね。清き魂は自ら高みを目指すでしょうが、悪しき魂は地の底に墜ちる事になるでしょう。それを私は望みません。すべての人々が死後の世界で安らかに過ごせるよう、生きている間に魂のステージを高めてもらいたい。そのためにも、自らの力で人生の課題を乗り越えてもらわねばならないのです」


 カノンが、ジッとダグラスの目を見つめる。

 そこには曇りがなく、聖者のような目をしているように見えた。


「ダグラスさん。あなたは私に近い者として、他の人よりも有利な立ち位置におられます。ですが、私の手伝いをしているからといって、無条件で許しを与えているわけではありません。それはわかりますね」

「カノンさんを背負って丘を登った時の事ですね」


 ダグラスも、今だけは真剣にカノンの話を聞いていた。

 今のカノンには、そうさせるだけの雰囲気がある。

 自然と背筋を伸ばした姿勢になっていた。


「その通りです。自らの力で魂のステージを高めるのが重要であり、神はそのための試練を与えます。ですが、直接助けたりはしません。それは嫌がらせでも、面倒だと思っているからでもありません。すべては本人のためなのです。神への祈りは、神に問題を押し付けるものではありません。神に祈る、懺悔するという流れの中で、自分の問題を見つめ直す機会を作るためのものなのですよ」


 カノンは自らの宗教でしていた説法を、ダグラスにもした。


 ――しかし、ダグラスにはイマイチ通じなかった。


 カノンも話の雰囲気で感じ取ってはいたが“魂のステージ”など、意味のわからない言葉が混じっていたせいで理解し辛かった。

 ただ、何か良い事を言っていたというのはわかっている。

 もしも出会った時の印象がもう少し良ければ、彼に心酔していたかもしれない。


 だが、すでに本性を知っているので――


 美味しい食事が食べられるうちは、旅に付き合ってもいいかな。


 ――という程度にとどまっていた。


「難しい話でよくわかりませんでしたが、神に頼るなという部分はわかりました」

「善行を積むという結果を残すのが大事なのではなく、善行を積もうという心構えが大事なのだという事だけ覚えておいていただければかまいません」

「ただ、そうなると神はなぜ存在するのかという疑問が湧いてきたんですけど……」


 ダグラスの鋭い疑問に、カノンは表情を動かさなかった。


「この世界では、神は世界の管理者という一面もあります。現に今も魔法が使えなくなって混乱しているでしょう? これまで通りの日常を過ごすためにも神を信仰し、信仰心という形で神に力を与えねばならないのです」

「なるほど……」


 ダグラスも神は不要だとは思っていない。

 ただ存在する理由を確かめたかっただけだ。

 世界を正しく維持するために必要だというのであれば納得である。


 話が一段落したところで、ドアがノックされた。

 カノンが“どうぞ”と答える。

 部屋に入ってきたのは、マリアンヌだった。

 彼女は、喪服に黒いベールを被っていた。


「これでどうかしら? あまり着慣れない服だけれども」


 マリアンヌは、一度くるりと回って全身を見せる。


「いいと思いますよ。その格好なら、怪しまれる事はないでしょう」


 ――マリアンヌが喪服を着ている理由。


 それは、移動のためだった。

 棺桶を馬車に載せて運んでいれば、当然関所などで中を確認されるだろう。

 そこで、マリアンヌには死体のフリをしてもらう事にした。

 なぜならクローラ帝国の臣民は、魔族に強い敵対心を持っているからだ。

 吸血鬼としての格好に誇りを持っているが、これも故郷へ戻るための変装だと思えば、マリアンヌも我慢ができた。


「ダグラスさん、マリアンヌさんは上手く変装できているかどうかを聞いているのではありません。似合っているのかを聞いているのです」


 ダグラスの言葉に、なぜかマリアンヌは不満そうだったので、カノンが助け舟を出す。

 彼に指摘されて、ダグラスも“そういう意味だったのか”と気付く。

 相手が吸血鬼という上位者であったため、人間の女性と同じような事を聞いてくるとは思わなかったのだ。

 そうとわかれば、フォローができる。


「ヴァンパイアは肌を隠さないのが強さの証明と誇りに思っているかもしれないけど、しがない人間の僕には恐怖しか感じませんでした。でも今は少し威圧感が和らいでいるように思えます。今のほうがマリーの魅力がよくわかる気がします」


(あちゃー、ダグラスくーん。君は褒め方がわかってねぇな。女に慣れてない奴はこれだからもう……)


 カノンは天を仰いだ。

 ダグラスも“魅力がわかる”と褒めてはいるが、それだけでは褒めているとは言い難い。

 もっと細かいところに気を配ってやるべきだった。


 しかし――


「え、ええ。わかるならいいのよ」


 ――マリアンヌはまんざらでもなさそうだった。


(うぶかよ!)


 こちらにも、カノンのツッコミが入る。

 だが、そこに光明が見えた気がする。


「喉が渇いたわ」

「じゃあワイングラス持ってきますね」


 ――現代の吸血鬼は、ワイングラスで血を飲むようになった。


 その事を知ったダグラスが、ワイングラスを用意するために食堂へ向かう。

 彼が立ち去る姿を見つめているマリアンヌを見て、カノンは少しだけ取り成してやろうと考えた。

 それと同時に、吸血鬼も信者にできるのかを試そうとしていた。

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