第27話 出発前に 2
「マリアンヌさん、少しお話しませんか」
カノンは自分の正面をマリアンヌに勧める。
彼女も人間相手に恐れる姿は見せたくない。
彼をまだ警戒しているものの、逃げたと思われぬよう椅子に座った。
「なに?」
彼女の視線と言葉は冷え切ったものだった。
だが、だからこそカノンはやり甲斐を感じていた。
“こういう人を信者にしてこそ、本物の神になる資格があるのだ”と。
「そうですね、まずは――」
カノンは“タイラーがこの世界を去り、自分が新しい神になるべくやってきた”という事を説明する。
「頭がおかしくなっただけではないという証明は?」
当然、マリアンヌは信じなかった。
彼が神の領域に入るところを見ていなかったため、信じる材料がないためだ。
しかし、この反応こそカノンが待っていたものだった。
――疑問を投げかけてくる。
それは相互理解するための第一歩だからだ。
完全に興味を持たれず、無視されてしまう方が話し辛い。
どんな理由であろうとも“話を聞こう”と少しでも心を開いてくれるからこそ、そこから入り込む事ができるのだ。
「私には多くの事がわかります。あなたの名前はマリアンヌ・チューダーですね」
マリアンヌが顔をしかめた。
家名までは名乗ってはいなかったのに、カノンはなぜか知っていたからだ。
彼女は“あの時、不思議な力で頭の中を覗き見られたのか?”と考える。
「そしてあなたは、ダグラスさんの事が気になっている」
「別に気にしてなんていないわよ」
カノンの言葉を、マリアンヌがすぐに否定した。
その反応が、却ってカノンに“気にしているんだな”と確信させる。
そして感情が剥き出しな事から“彼女は駆け引きが得意なタイプではない”とも思わせた。
「今のあなたが言っているのは『異性としては気にしていない』という意味でしょう。ですが、胸の中ではモヤモヤとしたものを感じているはず。それは人間にあのような態度を取られた事がないから。違いますか?」
「……私の国では人間があんな態度を取る事はないわ。家畜ですもの」
「そうでしょう、支配者階級に対して強引な態度を取るなど失礼極まりないですからね」
マリアンヌの言葉を肯定する事で、カノンは彼女との距離を詰めようとする。
「そうよ! 人間が私にあんな態度を取るなんて許されない! それはあなたにも言える事だけれどもね!」
彼女は初めて会った夜の事を忘れていなかった。
自分を痴女扱いした主犯である。
カノンへの憤りを忘れるはずがなかったのだ。
さすがにカノンも、冷たく厳しい視線を正面から受けてたじろいだ。
だが、彼は女性にそういう目を向けられるのは慣れている。
ここで怯えて何も言えなくなるような小者ではなかった。
そんな小者であれば、本気で神になろうなどとは思わなかっただろう。
「私は神です。存在するすべてのものを愛しています。ただあの時は寝ぼけていたという事もあり、素直な気持ちが出てしまっていたようですね。あなたは美しい。自信を持っていいでしょう」
「そう、ありがとう」
ダグラスが言った時とは違い、カノンの言葉には心底どうでもいいといった口調で返事をする。
褒められるにしても、それが
カノンの言葉では、マリアンヌの心はピクリとも動かさなかった。
「おそらく、ダグラスさんも同じでしょう。あなたをかなり意識している様子でしたから」
「そ、そう……」
ダグラスの事を持ち出すと、マリアンヌの壁が崩れる。
ちょろい相手ではあるが、殴られるだけで殺されかねない相手でもある。
カノンは調子に乗らず、少しずつ彼女の心を解きほぐそうとしていた。
「マリアンヌさん。今のあなたの感情は恋というものではありません。ですが、極めて近いものでしょう。あなたはその感情をどうしたいですか?」
「どうって……、人間相手に恋心を持つわけないでしょう」
「そうでしょうか?」
カノンは真摯な眼差しで、ジッとマリアンヌを見つめる。
マリアンヌは、オドオドと挙動不審になった。
「先ほど言ったように、私は神です。あなたがダグラスさんの事を強く意識しているのはわかっています。相手が人間だからと、その感情を否定する必要はありません。人間は家畜、人間は下賤な生き物という先入観があなたの人生を損なわせているかもしれません。故郷に戻るまでの間だけでもかまいません。少しだけ違った生き方をしてみませんか?」
「でも……」
マリアンヌが渋る。
その姿から、カノンは“彼女はダグラスの態度だけではなく、吸血鬼としての禁忌を犯す事に対しても興奮している”と見抜いた。
“してはいけない”とされていることをするのは、ドキドキとするものである。
それらが合わさって、ダグラスに対して“恋愛感情のようなものだと思っている”と考えた。
(まぁ、それはそれでよし!)
世の中――
『あなたの事が好きでした。付き合ってください』
『私もずっと好きでした』
――などという恋愛ばかりではない。
突発的な出来事や、勘違いから始まる恋もたくさんある。
そういった小さな芽を摘む事なく、地道に育んでいくのが大事なのだ。
カノンは神としての初めての仕事に、二人の愛を成就させてみるのも悪くないと考えていた。
「一つ予言しましょう。あなたがダグラスさんの首筋から血を飲もうとした時、少し戸惑うでしょうが彼は受け入れるでしょう。それは彼もあなたを特別な相手だと思っているからです」
「嘘よ、そんな! 昔と違って今は結婚の誓いだとわかっているのだから、軽々しく受け入れるわけないわ!」
「では賭けませんか? 彼が受け入れたら、あなたも人間と――ダグラスさんと新しい関係を築くのに前向きになる。あと、私にもう少し普通に接してください。彼が受け入れなければ、私にできる事ならなんでも一つ聞き入れましょう。どうです?」
「いいわ、受けましょう」
――どちらにせよ、マリアンヌに損はない。
ダグラスに断られたら、ほんの少しだけ心が傷付くだけだ。
しかし、受け入れられないとわかっているからこそ、本当にわずかな傷である。
カノンに“これからは一言も話しかけず、一瞥もしないで”と命じるいい機会である。
マリアンヌは考えるまでもなく、この勝負を受けた。
しばらくして、ダグラスがワイングラスを持ってきた。
彼は異様な雰囲気の二人に疑問を持つ。
「ダグラスさん、マリアンヌさんと話していたのですが――」
マリアンヌがカノンを睨む。
“マリアンヌさんがあなたの事を好きなようなので、首筋から血を飲ませてあげてください”と言い出さないようにだ。
そんな事を言われたら、吸血鬼としての威厳がなくなってしまう。
最低限、威厳を損ねない方法を取らせる必要があった。
だが、そのような心配は無用である。
カノンは気遣いがまったくできないというわけではない。
マリアンヌに配慮した方法を考えていた。
「――馬車での旅にワイングラスは不向きです。乾杯の時も注意しなければ割れてしますほど繊細なものですですから。それで今からでも直接飲む練習をしてはいかがでしょうか? マリアンヌさんが私の血を好まない以上、ダグラスさんの血を飲むしかありませんからね」
「はぁ……、まぁいいですけど」
ダグラスは断らなかった。
しかし、これはまだ
「どこから吸われますか?」
ダグラスは、マリアンヌに尋ねた。
彼の態度に拒絶反応はない。
むしろ、積極的に望んでいるかのように見えた。
「首元がいいのではありませんか? 色々と思うところはあるでしょうが、飲みやすくて血流の多いところでもありますから。太ももの動脈に噛みつかせるわけにもいかないでしょうし。ダグラスさんも、首元から飲むほうがいいとわかっていますよね?」
「ええ、もちろんそれくらいはわかっています」
ダグラスは“頸動脈”の事を言っていた。
しかし、マリアンヌには違う意味に聞こえていた。
――首筋への吸血行為の意味をわかっている。
――その上で、マリアンヌに吸われてもいい。
ダグラスが、そう言っているように思えたのだ。
(どうしよう、たかが人間がここまで押してくるなんて……。もしかして、これが伝説に残るオレサマーKとかいう類の人間だというの!?)
“首から血を吸わせろ”と言われたダグラスよりも、マリアンヌのほうが精神的に追い詰められていた。
だが、この状況で“恥ずかしいからやっぱりダメ”などと言おうものなら、カノンに見くびられてしまう。
中途半端な対応が、結局一番恥ずかしい思いをするとわかっているので、マリアンヌは颯爽と立ち上がった。
「ではいただこうかしら」
マリアンヌは、ダグラスの両肩に手を置いて彼を抱き寄せた。
ダグラスの吐息が顔にかかる。
そして彼の強い鼓動を感じ取りながら、首筋に噛みつく。
彼女はチラリとダグラスの様子を見た。
(嬉しそうにしてる……。嫌々じゃなくて、本当に自分から望んでいるようにしか見えない。あの人が言うように、本当に私の事を特別な存在だと思っているの? なんで私を恐れないのよ)
故郷の人間たちは、吸血鬼であるマリアンヌに恐れと敬意を持って接してきた。
なのに、ダグラスは違う。
血を吸われる恐怖を感じる事なく、自ら身を差し出してきている。
こんな人間は故郷にはいなかった。
新しい体験に、心臓が動いていないというのに、マリアンヌも自分の胸が張り裂けそうな想いをしていた。
そんな二人を、カノンは菩薩のような笑みで見守っていた。
彼は無償の奉仕のつもりであったが、意外と得るものがあった。
――信者数のカウントが一つ増えた。
“信者は人間に限らない”という重要な情報である。
だが、自分の事だけを考えていたわけではない。
“とりあえずやってみよう”というくらい軽い気持ちで、マリアンヌは賭けに乗ってきた。
ダグラスも彼女に血を吸われる事をすんなり受け入れている。
これは危険である。
カノンには、かつて“友達に誘われて軽い気持ちで”と、麻薬や賭博に手を出して後悔している信者がいた。
この二人も軽い気持ちで、どこかで足を踏み外してしまうかもしれない。
“そんな世間知らずの二人を正しい道に導いてやるのも、神である自分の仕事だ”と、カノンは心を使命感で昂らせていた。
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