第23話 吸血鬼、再び 6

「それで、人間が私になんの用?」


 吸血鬼は、済ました顔で尋ねる。

 その姿はまるで“人間如きが気安く話しかけるな”と言わんばかりの姿だった。

 しかしダグラスは、彼女に対して命の危機は感じてはいるが、その本性があまり脅威を覚えるものではない事を知っている。

 少しだけ滑稽に見えた。

 もちろん、それを言葉に出したりはしない。


「あなたが僕を呼んでいたと聞いてきたんですけど」

「……そうだったかしら」


 目を合わせていないが、ダグラスは彼女の目が泳いでいるような雰囲気を察した。

 相手は圧倒的強者だ。

 機嫌を損ねるのはまずい。

 この場を取り繕ってやらねばならないと考えた。


「もしかしたら、ホテルの使用人が勘違いしただけなのかもしれませんね。すみませんでした」

「そう、そうよ! きっとそう。まったく、教育がなってないわね」


 吸血鬼は、ダグラスの助け舟に乗ってきた。

 意見の相違は、使用人の責任となる。

 ダグラスは“ではさようなら”といきたいところだが、そうはいかないだろう。

 気になる事の確認もしなければならない。

 だが、その前に挨拶だ。


「僕はダグラスです。よろしければお名前を教えていただけませんか?」

「マリアンヌよ。……ふーん、外界の人間も自分から名乗る事はできるのね」


 マリアンヌと名乗った吸血鬼は、ダグラスの事を興味深そうに見る。

 彼女が言った言葉に含まれていたものが、ダグラスが気になっている事であった。


「マリアンヌさんは、なぜこのブランドン王国にいたのでしょう? ヴァンパイアは、シルヴェニアから外に出ないという話を聞いていましたけど。差し支えなければ教えてください」

「あぁ、その事ね。その外に出ないっていうのを問題視する人がいたのよ。だから若者の一部を定期的に外に出すようになったの。外の世界がどんな変化をしているのかを学ぶためにね」

「マリアンヌさんが人間の世界を見て回っている時に、魔法が使えなくなる異変があったと?」

「そうよ」


 マリアンヌは、悲し気な目を見せる。


「あの日、私の従者たちが死んだわ。私は初めての旅行だったから、どこにいるのかわからなかった。魔法を使って国に帰る事もできず、人間と接触する事もできなかった。でも、喉の渇きに耐えられなかったの。近くに人の気配があったから、血をもらおうとして……。あなたたちと出会ったの」


 彼女は、ガウンの胸元を閉じる。


 ――自分たちは畏怖の対象で、人間は食料に過ぎない。


 それがこれまでの常識だった。

 なのに、性的な目で見てくる人間と出会ってしまった。

 それは、彼女にとってかなり衝撃的な体験だっただろう。

 吸血鬼の実年齢はわからないが、見た目はダグラスとそう変わらない程度だ。

 トラウマになっているのかもしれない。 


「ヴァンパイアにとって重装備は恥。薄着こそが強さの証明であり、誇りだったのに……。あの格好をいやらしい目で見てくる人なんて初めてよ。魔法を使えない人間なんて怖くなかったのに、なんだか怖――恥ずかしくなって走り去ってしまったわ。少し力を入れて殴れば簡単に殺せる相手なのにね」


 マリアンヌは自嘲染みた笑みを浮かべる。


 ――圧倒的強者のはずなのに逃げ出してしまった。


 そんな自分が恥ずかしく、理解できないのだろう。


「ヴァンパイアである以前に、一人の女性だったというだけでしょう」


 彼女を、ダグラスが慰めようとする。


「でも、いやらしい目で見ていたのはカノンさんだけで、僕はそんな目で見ていなかったという事だけはわかっておいてほしいのです。とても強く、太刀打ちできない相手だという事は、一目見ただけでわかりました。畏怖の念を抱く事はあっても、性的な目で見る余裕などありませんでした。もちろん、マリアンヌさんがお美しい方だという事は認めますけど」

「そ、そうよ。私は人間の上に立つヴァンパイア。恐れられるべきなのよ。あなたは、よくわかっているわね」


 ダグラスのご機嫌取りは上手くいっているようだ。

 マリアンヌは、少し自信を取り戻したように見える。

 機嫌をよくした彼女は、ダグラスの首元に顔を近寄せて匂いを嗅ぐ。


「それにしてもあなたは不思議な人ね。いろんな命が入り混じったような……、珍しい香りがするわ。だからクセになりそう」


 彼女の言葉に、ダグラスはビクリと体を震わせた。


(大勢殺してきた匂いが、体に染みついているのか!?)


 そんなはずはないのだが、彼女は吸血鬼だ。

 特別な力があるのかもしれない。


 ――カノンのように。


 だが、ダグラスはそんな話をする気にはなれなかった。

 すぐ近くに捕食者の頭があるのだ。

 蛇に睨まれた蛙のように、ただ怯えるばかりである。

 心臓がドキドキと高鳴り、頬が赤らむ。

 もちろん、恋に落ちたというわけではない。

 死の恐怖による緊張からだった。


 ダグラスが、少しマリアンヌから離れる。

 マリアンヌも、ダグラスの反応を見て、自分が大胆な事をしていたと気付いた。

 二人の間に気まずい沈黙が訪れる。

 この状況で、先に口を開いたのはダグラスだった。


「国に帰れないのであれば、カノンさんに話してみたらどうでしょうか? 僕はあの人と一緒にクローラ帝国まで行く予定です。もう少し足を伸ばせば、シルヴェニアまでいけるでしょう? この国に置いていくというのも寝覚めが悪いので、送り届けてもいいと言ってくれるかもしれません」

「あの人ね……」


 マリアンヌは自分の体を抱きしめる。

 あれほどまでに下心丸出しで迫ってきた男だ。

 しかも、自分を痴女だと思っている。

 何をされるかわからない。

 その恐怖心から、即答を避けさせてしまっていた。


 ダグラスも彼女がカノンを避けているのがわかった。

“さすがに吸血鬼相手に手を出さないよ”と言いたいところだが、カノンは何をするかわかったものではない。


(怒った彼女の巻き添えを食って殺されるかも……)


 ダグラスも死にたくはない。

 だが、夜の支配者である吸血鬼が同行してくれれば、夜の襲撃は心配しなくてもいいだろう。

 それに何となく、このまま彼女を置いていきたくないという思いもあった。

 だから、彼は自分にできる事を伝える。


「カノンさんには手出しをさせません。絶対に僕がマリアンヌさんを守ってみせます」

「あ、ありがとう」


 マリアンヌは、ダグラスから視線を逸らした。

 それから彼女は何も言わなかったので、ダグラスも気まずさを感じる。


「昨晩は徹夜だったので、そろそろ寝ます。また夜にでもみんなで話しましょう。ではまた、マリアンヌさん」

「ええ、そうしましょう」


 ダグラスが立ち去ろうとする。


「待って」


 そこをマリアンヌが呼び止めた。


「みんな、私の事をマリーと呼ぶわ」


 言ってから、彼女は“しまった”という表情を見せた。

 人間相手に踏み込み過ぎたからだ。


「おやすみなさい、マリー」


 だが、ダグラスの返事を聞いて、彼女は後悔は無用だったと知る。

 ダグラスが去ったあと、彼女は棺桶の中で一人“人間相手になんて事を”と悶絶していた。

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