第13話 神の領域 4

 ――神の領域。


 ダグラスは石畳の先に荘厳な神殿が立っているものだと思っていた。

 だが違った。


 地面は砂利が敷き詰められ“ここを通れ”とばかりに、ところどころ大きな石が敷かれている。

 道の両脇には、ピンク色の花が咲く木が街路樹として埋められていた。

 そして、その先には木造平屋建ての建物が見える。


 魔物が存在するシンでは、木造の住宅は貧民の住居である。

 しかし、貧しい建物には見えなかった。

 ある意味、神殿のように尊いもののように感じられる。

 不思議な感覚だった。

 だが、嫌な気はしない。

 むしろ感動で心が大きく揺さぶられる。


 不思議な感覚は、視覚によるものだけではなかった。

 あれほど激しく呼吸をしていたのに、いつの間にか呼吸が整っていた。

 ダグラスは困惑する。


「あー、ここには自動回復効果があるのか。助かるな。ダグラス、降ろしてくれ」


 だが、カノンはすべてがわかっているようだった。

 彼の筋肉痛も治り、自分の足で立てるようになっていた。

 ダグラスは言われるがままに、彼を降ろす。


「これはいったい……」

「聞きたい事は色々とあるだろうが、先にやる事がある」


 カノンは踵を返し、外に出る。

 ダグラスはカノンを視線で追った時、外の光景が見える事に気付いた。


(中からは見えて、外からは見えない? そんな壁があるのか? 通り抜ける事もできるし、神様っていうのはなんでもありなんだな)


 どのような魔法を使っているのかわからないが、ずっと壁で覆うだけの魔力があるのは、さすが神様だなとダグラスは思った。

 壁の外に出たカノンを見て、全員が膝立ちの祈りのポーズで出迎えた。

 カノンは満足そうにうなずく。


「これより世界を救うための儀式を行います。どの程度時間がかかるのかはわかりませんが、精一杯の努力をしましょう。そこで皆さんにお願いがあります」

「どのようなご下命でも従います!」


 民衆のリーダー格の男が、深く頭を下げながら答えた。


 ――神を騙る者として処刑しようとしていた相手が本物の神だった。


 この時点で、神罰が下るのは確実である。

 自分だけではなく、家族にまで累が及ぶかもしれない。

 必死に働いて罪をあがなうつもりだった。


「私の名はカノン・スズキです。神の力の根源は信仰心です。タイラさんは“タイラー”という誤った名が広まってしまったために、神としての力を失ってしまいました。新たな神であるカノン・スズキの名を正しく広めてください」

「必ずや広めてみせます!」

「頼みましたよ」


 そういうと、カノンは神の領域へと戻っていった。


「よっしゃー! 一気に信者ゲット!」


 中へ入ると、いきなりカノンが喜び出した。

 外の者達に見せていた態度との豹変ぶりに、ダグラスは感動が台無しにされた気分だった。


「あっ、そうだ」


 カノンの態度を見た事で、ダグラスは冷静になった。

 彼も外へ出る。


「カバンを返してもらえますか?」

「どうぞ、従者様!」


 彼のカバンは、カノンを背負わないといけないという事と、逃亡防止のために他の者が持っていた。

 貴重な品などは入っていないが、いつまでも他人に預けてはおきたくない。


「僕は従者じゃありません。ただの道案内ですよ」

「ご謙遜を。神を背負うという重責を任されるほどのお方が、ただの道案内なわけがないでしょう」

「本当なんですってば」


(あの男と関わったばっかりに、俺の生活はメチャクチャだ)


 新天地で目立たぬように生きていこうとしていたのに、カノンのせいで目立つ事になってしまった。

 きっと、数日もすればリデルでも噂は広まるだろう。

 また、別の安息の地を探さねばならなくなったしまった。

 カバンを背負い、憂鬱な気分で壁の中に戻る。


「では行きましょうか」

「そうですね」


(あれ? ここから先に俺が必要か?)


 答えながら、ダグラスは疑問に思った。

 しかし、カノンは特に何も思っていないようだった。

 ここまで一緒にきたから、そのまま行こうという程度なのだろう。


(まぁいいさ。ここまできたら神の住まう場所を見て帰ってやるさ)


 ダグラスも気を取り直して、生活を台無しにされた元を取ろうと前向きに考え直す。

 今まで人間の目に触れなかった場所を見る事ができるのだ。

 このチャンスを、ふいにする必要などなかった。


 カノンが飛石の上を歩いていく。

 ダグラスも、彼に倣って飛石の上を歩いていった。


 建物までの途中で、どこからかコーンという音が聞こえた。

 この場には二人しかいないはず。

 ダグラスは奇襲だと思い、矢を避けるために素早く背後に飛びのいた。

 ナイフを抜き、周囲を警戒するが、襲撃の様子はなかった。

 そんな彼の様子を見て、カノンが微笑む。


「今のは鹿威しの音だから心配ない。タイラさんは、日本庭園とかが好きだったのかなぁ?」


 カノンが余裕の態度を見せているので、ダグラスも警戒を解いた。

 しばらくすると、またコーンと音が聞こえてきた。

 一定間隔で音がなる仕組みなのかもしれない。


「タイラー……、タイラ様が侵入者を排除する罠を仕掛けているという可能性はないんですか?」


 カノンは空中で指を動かす。


「んー、ここに罠はないみたいだな。そもそも自宅を罠だらけにしたら、心が休まらないだろう? 神ならば自分の力で追い払う事くらいできるさ」


 そういって、カノンは先へ進む。

 ダグラスは“罠にかかるとしても、先に進むこいつだからいいか”とあとに続く。

 玄関に鍵はかかっておらず、カノンが引き戸をガラガラッと開ける。

 

「タイラさーん、いますかー……。まぁ、いたら俺が呼ばれる事はなかったし、いないよな。お邪魔しまーす」


 カノンが靴を脱いで上がる。

 ダグラスも真似をしようとするが、動きが止まった。


(本当に上がってもいいのか?)


 神の住まう場所だけあって、木造であるにも関わらず綺麗な作りをしていた。

 そんなところに、ボロの靴下で歩き回っていいのか迷ったからだ。


 もちろん、ダグラスは体を綺麗にしようと心がけている。

 体が汚いと怪我をした時に膿んだり、病気になりやすいと師匠から教わっていたからだ。

 だが、それはあくまでも、それなりに綺麗というだけ。

 ピカピカに磨き上げられた床を歩き回れるだけの靴下など持っていなかった。


 そんな彼の様子に気付いたカノンが、玄関脇に置かれた靴箱からスリッパを取り出す。


「汚れたら掃除をすればいいだけだ。汚すのを気にするなら、スリッパを使えばいい」

「あ、ありがとうございます」


 そのスリッパも、ふわふわとしたものがついた高級そうなものだった。

 だが、スリッパはまだ洗いやすい。

“神の持ち物を汚す”という背徳感を味わいながら、ダグラスはスリッパを履く。


「さてと……」


 カノンが指を動かしながら、壁を睨んでいる。

 そして、パチリと指を鳴らす。


「場所がわかった」


 彼は廊下を真っ直ぐに歩く。

 ダグラスも慌てて付いていった。

 やがて、あるドアの前でカノンは止まった。


「ここだ」


 ――神になるための部屋。


 ダグラスは、ゴクリと大きく唾を飲み込んだ。

 カノンが勢いよくドアを開く。


「よしっ!」


 ドアの向こうは、狭い空間に白い椅子が置いてあるだけだった。

 壁に紙などがあるようだが、その意味がわからない。

 ダグラスが中をじっと見ていると、カノンが中に入る。


「トイレにまで付いてこなくていいよ! 音を聞かれると恥ずかしいから、適当に中を見ておいてくれ」

「えぇぇぇ、うんこしないとか言ってませんでしたか?」

「野糞が嫌だったんだよ! そこは空気読もうよ。女にモテないぞ」


 バタンとドアが閉められる。

 ダグラスは途方に暮れたが、好き好んで排泄音を聞きたいわけでもないので、トイレの前から離れる事にした。

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