第8話 ゼランへの道中 3
夕食は、ダグラスの私物の保存食で済ませた。
この時も、カノンは“歯が折れそう”などと不満を漏らしていた。
だが腹が膨れると、疲れもあってかすぐに眠り出す。
(本当に俺の正体を知っていて、ここまで無防備な姿を見せられるものか? 口から出まかせ? それとも本当に俺を救おうとしていて、敵対心はないと身を持って証明しているのか?)
元暗殺者と野宿するには、あまりにも無防備な姿を見せている。
ダグラスは、カノンの事がわからなくなった。
(いや……。もしかして、俺なんかよりもずっと凄腕の暗殺者で、相手を油断させる手段に長けているだけとか?)
“そんなはずがない”と否定する事はできなかった。
ダグラスの師匠も、見た目はその辺りにいる普通のオジサンだった。
見た目で相手を騙すのは、暗殺者の基本である。
だが、目の前にいる男は人を騙す事に長けてはいても、殺し慣れているようには見えない。
血の匂いがまったくしないのだ。
そこまで隠せるほど格上ならば、ダグラスにはどうしようもない。
(考えるだけ無駄か。明日、ゼランに連れていけばわかる事だ)
カノンは、どこかうさんくさいところのある男だ。
街に着いてすぐ、ダグラスの事を“あいつは元暗殺者だ”と言い出しても、誰も信じないだろう。
口封じをする時間は十分にある。
焦る必要はなかった。
ダグラスも毛布の上に横になって目を閉じる。
周囲を警戒する必要があるので、眠りはしない。
一人で寝ずの番をするのは負担が大きいので、目を閉じているだけだ。
これだけでも頭の負担が、かなり軽くなる。
それに絨毯が敷かれている屋敷と違い、屋外では足音を隠しきれない。
聴覚だけで十分に警戒はできた。
(それにしても、今日は早馬がよく走っているな)
日が暮れたあとも、ゼラン方面から早馬が街道を駆け抜けていった。
ゼランで何かが起きているのかもしれない。
(こんなご時世だ。問題も起きるだろう)
ダグラスは、ゼランの状況を深く考えなかった。
寝ずの番のために頭を働かせない省エネモードに入っているという事もあったが、問題があっても自分だけは逃げ出せるという自信があったからでもある。
ダグラスの意識は、自分達に危害を加えそうなものの接近だけに集中される。
(声?)
遠くから大人の男の声が聞こえてきた。
すぐさまダグラスは動き出せる態勢を取る。
声の方角は街道の反対側。
森の中からだった。
ダグラスは腰のダガーを確認し、非常時に備えた。
こういう時に備え、彼のナイフは月明りを反射しないよう刀身に炭が塗られていた。
徐々に声が大きくなってくる。
何かから必死に逃げている様子だった。
(奴らは野盗で、野盗狩りから逃げているのか? それとも、野盗に返り討ちにされた冒険者か?)
リデルやゼランは人間の領域だ。
危険な魔物は排除されて存在しない安全地帯である。
だから、ダグラスも新天地に選んだのだった。
幸いな事に、カノンがいびきをかいていない。
近くを通られない限り気付かれないだろう。
ダグラスは息を潜めて様子を窺う。
声の主は、すぐに姿を現した。
統一性のない装備を身に付けた男が五人。
見るからに野盗といった男達だった。
彼らを追っている者の姿は、まだ見えない。
野盗だけあって、逃げ時の嗅覚は鋭いのかもしれない。
(まずいな。一人、こっちにくる。だが、一人なら簡単に処理できる)
彼らは、バラバラに逃げている。
その中の一人が川の方角に逃げており、その逃走経路上にダグラス達がいる。
(まったく、ツイてないな)
ダグラスは面倒な事態に巻き込まれた事を嘆く。
だが、こうなってしまっては仕方がない。
カノンが寝ているところから数歩離れ、待ち伏せる。
息遣いが段々と近づいてくる。
男が草むらに踏み入れたところで、ダグラスは飛びかかる。
男はダグラスの存在に気付くが、知ったの時にはすでに首を折られていた。
ダグラスは音を立てぬよう、男の体を静かに草むらに横たわらせる。
(奴らは散り散りに逃げ去った。一人いなくても、すぐには気付かないだろう)
――仲間の仇を取ろうとする他の野盗に襲われる心配はない。
その事実が、ダグラスを安心させる。
だが、彼らを追っている者達がいる事は忘れてはいない。
森から聞こえる足音の正体を確認しようと、草むらの中から覗き見る。
やがて、野盗を追っていた者の正体が、月明りに照らし出された。
――長い銀髪の若い女。
だが、ただの女ではなかった。
その目は赤く輝き、スリングショットの水着のように秘部のみを隠す格好をしている。
容姿から、ダグラスは女の正体が思い浮かんだ。
(
ダグラスも初めて見た。
西方には、シルヴェニアという吸血鬼の国がある。
だが、彼らはシルヴェニアから出る事はなく、家畜として飼っている人間の血を吸って生きていると聞いていた。
その吸血鬼が、こんな場所にいるのはおかしい。
野盗たちも逃げ出したくなるというものである。
ダグラスも、カノンを捨てて逃げ出したくなっていた。
吸血鬼は、森から出ると周囲の匂いを嗅いでいるようだった。
すると、真っ直ぐダグラスのいるところを睨みつける。
ダグラスは目が合ったように感じた。
(まずい!)
本能的に後方へ飛び去る。
それは正しい行動だった。
先ほどまでダグラスがいた場所に吸血鬼が立っていた。
彼女を前にして、ダグラスの体はヘビに睨まれたカエルのように恐怖で硬直する。
これが人間相手であれば、ダグラスも脱出するために必死に攻撃しただろう。
しかし、相手は吸血鬼だ。
露出度の高い服装をしているのも、普通の武器では傷つけられないという自信の表れである。
実際に、ダグラスは対吸血鬼用の武器など持ち合わせていない。
吸血鬼を始めとするアンデッド系の魔物の相手は、僧兵の領分だった。
――武器が通じず、魔力だけではなく身体能力も高い。
吸血鬼は、人間の相手しかできないダグラスには厳しい相手であった。
「あなたの血って美味しそう。ねぇ、私は喉が渇いてるの。あなたの血をちょうだい」
――艶のある声。
相手が人間であれば、ダグラスも劣情をもよおしていたかもしれない魅力的な声。
だが、今は彼女に死刑を宣告されたかのように、ダグラスに絶望しか与えなかった。
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