第9章 せせらぎ

「いい、かえで・・・今夜よ」

あやめの真剣な眼差しに、大きな瞳を潤ませてかえでが答える。


「姉様、かえではイヤ。

 私・・・定康様の事が好き・・・」

 

「かえで・・・」

あやめはかえでの震える肩を抱いたまま、切れ長の目を滲ませていた。


「私も・・・本当言うと、和正様の事が好きなの。でも、ダメなのよ。くにで待っている父様や母様が・・・私達が裏切れば殺されるの」


「イヤ・・・。

 でも、私にはできない・・・姉様・・・」 


それは、そのまま自分の気持ちでもあった。


「そうね、どちらにしろ、あれだけの使い手だもの。私達の手では無理かかも。かえで、よく聞いてちょうだい。このままの気持ちじゃあたぶん失敗するでしょう。それならいっ、そ二人で死にましょう。そうすれば、父様も母様も殺されずに済むでしょう。だから・・・ね。今夜・・・その・・・」


「姉様・・・」


二人は見つめ合うと、頷いて涙を流した。

月明かりが、二人の顔を照らしていた。


※※※※※※※※※※※※※


「おりょう殿・・・どこまで行くのじゃ?」

定康の声に、時々いたずらっぽい笑顔で振り返りながら、かえでは前を歩いていく。


月が、二人の影を濃くおとしている。

かえでの小さな胸では支えきれない程の、激しい鼓動がこだましている。


(姉様はうまく、やっているかしら・・・?)


※※※※※※※※※※※※※※※


和正は腕を組んで、じっと月を見ている。

あやめは、うつ向きかげんにその後ろに寄り添うように立っている。


風がやんでいる。


「せつ殿・・・」

和正のかすれた声が闇の中で、しかしはっきりとあやめの耳に達した。


「はい・・・和正様」

和正がゆっくり振り返ると、長いまつ毛に涙をためたあやめが見つめている。


月が一瞬、雲間に隠れた。

遠くで犬であろうか、遠吠えがこだましている。


あたたかった。

二人はお互いの柔らかな口びるを、ゆっくりと味わっている。


あやめの吐息がせつなく、和正の頬をなでる。

男のたくましい腕に、すっぽり身体が包まれている。


初めての温もりであった。

きゃしゃに見えて、意外にたくましい男の身体であった。


「和正・・・様」


あやめは、ただ涙を流している。

まるでそうする事が、今の自分の愛の証であるかのように。


和正は、あやめの頬に手をかけ涙を拭おうとした。

あやめの顔が、ぼんやり滲んでいった。


和正は、あやめの身体にもたれるようにして気を失った。

月が再び雲から顔を出し、男の顔を浮かび上がらせている。


あやめは、男の頬をそっと撫でている。

涙が一粒、男の頬に落ちた。


※※※※※※※※※※※※※※※

 

かえでは木にもたれ、潤んだ瞳を定康に向けている。

定康は切れ長の目を優しく女に向けている。


そっと二人の影が重なった。

女は、初めての口づけの余韻を楽しむかのように目を閉じている。


やがて両目から涙があふれ、二本のすじをつくっている。

男はじっと見つめたまま、囁くように呟いた。


「かわいそうに・・・。

 誰が、お前に命じている・・・?」

 

かえでは驚きに目を開くと、とっさに小刀を抜いた。

男は身構えもせず、透んだ瞳でかえでを見つめている。


優しい瞳であった。


「おりょう、俺を斬るか・・・。

 今なら良いぞ・・俺は女は斬らん。

 それに、お前が好きじゃ・・・」 


かえでは握りしめた小刀を地面に落とすと、定康の胸に飛び込んでいった。


「おりょう・・・」

かえでは男に身をまかせ、小さな肩を震わせている。


葉ずれの音がした。


定康が顔を上げると、あやめが和正を背負って立っていた。


あやめは何も言わず、定康の瞳を見つめている。

定康もかえでを抱きしめたまま、同じ目を向けている。


月が四人を照らす。

川のせせらぎの音がする。


雲が、月に近づいていった。


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