4.玉ねぎの皮を求める女

 10円というせこい賽銭は相変わらずながら、電子決済が主流になりつつあるこの世の中で、小銭を確保することこそが難儀だった。

 現金支払いでおつりをもらうつもりが、ついうっかり小銭を出そうと硬化を数えはじめて、「ああそうだ」とまた大きいお金を財布から出す。

 レジ店員の「早くしろ」という視線にも耐えつつ、毎日の参拝は滞りなく続いていた。


 今までなんのこだわりも持たずに暮らし、ルーティン動画にも面白さを見いだせなかったわたしであるが、あの神社で目撃する見知らぬ女子高生に心動かされるとは不思議なものだ。

 カラコロと賽銭箱に転がっていく10円玉。

 まだ自分の未来を悲観していない証は、賽銭箱の底に溜まり続けた。


 比嘉のキッチンカーは『ヒグラシヒガッチ』というとんでもないセンスの屋号で、本当にその日暮らしをしているかのような不定期で営業しているらしかった。

 フォローして「サルサがほどよい辛さと酸味で最高」とコメントをつけたら、「タコライスも最高なんだぜ」と返信がきて、また来てほしいということなのかなと深読みをしていると、すぐにその時はやってきた。


 土曜日。場所はうちの会社近くにある公園。

 フリーマーケットが開催されるという。

 出店するので来ないかという誘いがDMで届いた。ランチメニューは一種なのだが、試しに「ゆし豆腐」も提供してみるという。


 休みの日にバスに乗ってそこまで向かうのは初めてだった。

 いつもと違う時間だからか、さすがに女子高生とは出会わなかった。

 わたしだって休日はサボっている。

 今日は奮発して100円だ。

 手を合わせながら、浮かんだ顔は比嘉のほう。柊さんごめんなさいって、まだなにもはじまってないのに、いわれたほうも困惑だろう。


 会社の近所はマンションが建ち並んでいるような土地柄、ファミリー層も多い。

 バザーのような気軽な出店から昔ながらの古物商、ハンドメイド風の小物や朝採り野菜などなど、雑多に並ぶ。

 比嘉のキッチンカーはすぐに見つかった。

 レモン色とスカイブルーのツートンカラーが目立つ。

 お昼時より少し前だ。並んでいる客はまだなかった。


「まだ準備中?」

 声をかけると比嘉はわたしに気づいて破顔した。反応の良さに気分がよくなる。ひとりで来たのは正解だったかも。

「ゆし豆腐ならすぐに出せるよ」

「じゃあ、いただく」

「トッピングも考えてみたんだ。これね」


 比嘉は車の中から身を乗り出してメニュー書きを指した。

 名称は『うちなーゆし豆腐』にしたようだ。

 あたたかいだし汁におぼろ豆腐がたっぷり入ったおかゆ感覚の沖縄ソウルフードという説明があり、小口ネギがのっている写真があった。

 別料金のトッピングは明太子、おぼろ昆布、もずくのナムル風、油揚げの醤油焼き。

 どれもおいしそうだ。


「入れてみたことないから、もずくにしようかな」

「さすが。もずくはもちろん、沖縄産ね」

「いいねぇ」


 沖縄ではできたての温かいままの豆腐を売っているから、だし汁をかけるだけですぐに完成するが、やはりおぼろ豆腐をだし汁で煮たのだろうか。

 比嘉は慣れた手つきで寸胴から豆腐をすくって器に盛っている。


「タコスミートもトッピングとしてありかな?」

「ありだよ! 担々麺みたいでいいじゃん」

「タコスミートも、このあいだ食べてたハンバーグも、大豆ミートを混ぜてるんだ」

「ええ? そんなふうには思わなかった。普通に肉だったよ」

「大豆ミートのクセを消すのはちょっと苦戦したけどね」


 おまたせと、どんぶり鉢に入ったゆし豆腐が差し出された。

 琥珀色のだし汁からおぼろ豆腐が顔を出し、脇のほうに小口ネギともずくがのっている。

 ゆらめく湯気に、もずくナムルのごま油がふわりと香った。

「おいしそう。久しぶりのゆし豆腐」


 支払いをするしないの一悶着があって、結局サービスということで宣伝に貢献することにした。

「ごゆっくり。とはいっても、テーブルが1つしか用意できてないんだけど」

 比嘉が用意したのかと、キッチンカーの目の前にあるテーブルを見やると、すでにひとり座っていた。

 立ち食いでもよかったのだが、目が合い「よければどうぞ」といわれてしまっては断りにくい。

「すみません、相席させてもらいます」


 先客はわたしよりも少し年上に見える女性だった。

 ひとりできたのだろうか。短い髪をひとつに結った上品な顔立ち。

 彼女もゆし豆腐を食べたのか空のどんぶり鉢とレンゲがひと組テーブルに置かれている。


 腰掛けて、まずはだし汁と豆腐をすくって口に運ぶ。

 かつお節がきいたシンプルな出汁。

 豆腐はややしっかりしていて、沖縄の豆腐より塩味が少ない。

 もずくはレンゲですくっても食べやすいように刻んであった。

 濃いめの味付けでこれもだし汁とよく合う。

 忙しい朝でも、真夏の暑い日でも、また食べたくなるやさしい味だった。

 だし汁まで飲み干せば、しっかり食事を取ったような満足感が得られた。


「わたしは油揚げにしたんですよ」

 わたしが空になったどんぶり鉢をテーブルに置くと、女性は話しかけてきた。

「大豆ばっかりになっちゃったなと思ったけど、まったく別の食感だからおもしろかったわ」

「沖縄ではそばにも入れますから、きっと豆腐ってなんにでも合いますよ」

「へぇ。そうね。いわれてみれば豆腐って何にでも合いそう。温かくても冷たくてもいいし。そういえば、隼斗くんも沖縄出身っていってたけど、お知り合い?」


 親しげな呼び方に誰のことかと一瞬頭をひねったが、すぐに比嘉のことだと思い当たった。

 なんとなくマウントを取られているような気がしたが、勘ぐりすぎだろう。


「……はい、同級生で」

「そうなんだ。わたし、彼の料理が好きでよく食べるの」


 常連なのか。わたしよりも早く来て一番乗りでゆし豆腐を食すとは。

 比嘉はどこでこのメニューの着想を得たかいっていなかったのだろか。いや、わたしだと気がついたからこその相席か。

 だが、彼女は探りを入れるどころか自分のことばかりを話しはじめた。


「それでね、どんな食材が使われてるか食べながら検証しているうちにふと思いついたの。あ、これ使えるなって」

「家での料理にってことですか?」

「まぁ、そういうこともあるけど、染め物にね」

「染め物?」

「草木染めのワークショップをやってて。身近にある自然のもので布を染めるのよ。こんな都会でも外を歩いていたら使えるものが結構あってね。選定している枝葉をもらったり、料理人からは玉ねぎの皮とか」

「ええ? そんなものでも?」

「意外と黄色っぽいきれいな色が出るの。だから、今度は紫玉ねぎの皮はどうだろうと思って。このあいだはサラダに紫玉ねぎが入ってたから、また使うことがあったら皮がほしいってお願いしてたんだ。とにかく、たくさん必要だから」


 何回も来る口実にもなるというわけか。

 見かけによらずしたたかだ。


「今日はタコライスに使うらしいよ。お腹いっぱいになっちゃったから持って帰ることにしたけどね、楽しみ」

 さらにこの場に居座る口実まで。


 彼女は人のよさそうな笑みを浮かべてキッチンカーを振り返った。

 比嘉は仕込みに集中していて、こちらのヒリヒリしたやりとりに気づきもしない。

 先制パンチを食らったわたしは、けしかけるべきかと考えあぐねる。

 だがしかし、取り合おうとしている相手は比嘉だ。

 自分を突き動かす情熱がそんな程度だから、彼女を動揺させる言葉も浮かばない。

 しかも、比嘉はこちらがどんな会話をしているのか関心がなさそう。


「全部売れるといいね」

 彼女はそういって向き直った。

 そうですね、と相づちを打っているうちに、独り相撲をしているようで気抜けしてきた。


「……比嘉くんが料理に興味あったなんて、全然知らなかったです」

 わたしには、そういうの、なにもない。

 ルーティンどころじゃなく、なにもないのだ。

 その日暮らしをしているような比嘉を半人前扱いして、自分は定職に就いているというだけで、一日をただやり過ごしているにすぎない。


 彼女はイスにかけてあったバッグを探ると一枚の名刺を差し出した。

「興味あったら」

 あいまいにうなずきながら受け取った。


 正直、興味はない。

 面倒な行程が目白押しなんだろうなと、突っ込んで話しを聞くのも長くなりそうで、腰が引けていた。


「やってみておもしろいと初めて気づくこともあるかもよ。最初から興味なんてないことのほうがほとんど。恋愛だってそうでしょ? 一目惚れなんて、ほとんどないもの」

「たしかに、そうですけど……」


 休日にまで出向いて、わたしは何かに期待していた。

 心惹かれる何かが比嘉にあったのか、まだわからない。

 まだ、わからないままでもいいのだろうか。それなら何をしに来たのかもわからなくなってしまう。


「隼斗くんね、あなたが明確に来るか来ないか返信しなかったから、どうなのかなぁって、心配してたよ」

「ええ! 話し、してたんですか」

「半分はわたしの空想で埋めたんだけどね」


 うろたえるわたしに、彼女は口元に手を当てていたずらっぽく笑い、なにもかもお見通しみたいな満足げな顔をしていた。


 よく見れば、その指には指輪があった。

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