3.いまさらながら、この豆腐って?
そろそろ昼休みが終わる。
しゃべりたおしたニシジマは満足げに立ち上がった。
「あー、おいしかった。玉子のってなかったけど、ロコモコ丼におぼろ豆腐とか、はじめて食べた」
「え? あれ、おぼろ豆腐っていうの?」
「ほかになんていうのよ」
「ゆし豆腐。だし汁とかに入ってて、温かいのが普通だけど」
「ええ? そうなの? 聞いたことないけど」
わたしたちはお互いに顔を見合わせて首をかしげた。
「ウエハラって、沖縄出身だっけ?」
「うん。ゆし豆腐が沖縄にしかないとは思わなかった。それとも、実際、違う製法なのかな」
「どうだろ。せっかくだからキッチンカーのお兄さんに聞いてみようか」
ニシジマはお店の人にも気さくに声をかけるタイプだった。
料理に興味があるのかといったらそうでもないようで、顔なじみになって損はないという理屈らしい。
キッチンカーの男性はちょうど片付けをしているところだった。
用意した分はすべてはけたのだろう。
まだ粘ってみようかなという後ろ髪引かれる思いではなさそう。外に出したボードなどをテキパキと片付けている。
500円のランチってどれだけ売れば儲けが出るのか。
手軽にはじめられるのがキッチンカーとはいうけれど、仕入れからなにから全部ひとりでやるとなったら、経験のない者が手軽にはじめようだなんて軽率すぎるだろう。
「ごちそうさまでした」
ニシジマが声をかけると男性は「ああ、どうも。どうでしたか?」と愛想よく答えた。
「おいしかったですよ。あれだけ色とりどりそろえて料理しようと思ったら、ムリってなっちゃいますし。今日はゲットできてラッキーでした」
「それはよかった」
「あの豆腐っておぼろ豆腐ですよね。汲み上げたてってかんじがおいしくて」
「そうなんですよ。知り合いの豆腐屋が朝から作ってて。自分もそのおいしさに感動して。実は自分、沖縄出身で――」
言い終わらないうちにニシジマは「え! うそ! この子も沖縄」とわたしの背中を押した。同郷だからって縁をつなげようとしていることに戸惑いつつ、「どうも」と頭を下げた。
すると男性は「ああ、やっぱり」と見開いた目でこちらを見つめた。
なにがやっぱりなのか、わたしは沖縄出身であることを当てられることはないくらいには薄い顔をしている。
前の彼には幸まで薄いといわれほどだ。
「上原さんだよね?」
いきなり名前を呼ばれてちょっとビビる。
どこかで会ったことがあるのだろうか。
さらに戸惑っていると男性は失望したように頭をかいた。
「比嘉だけど……」
ひが、ひがひがひが……。
知り合いの比嘉さんが多すぎてわからない。
けれども相手もわたしと同じくらいの年格好だから、同級生かその兄弟といったところか。
「小学校と中学校が一緒だった、比嘉隼斗……」
その名前にハッとなって、思い当たった。
小学生の時、児童会長に立候補して落選した比嘉隼斗ではないか。
あの存在感があった太い眉は整えられていて、別人のような顔つきに見えるが、人懐こい目元はたしかに面影がある。
ぽっちゃり気味だった体型も、痩せはしていないが、かっちりとした体躯に変貌して、すっかり出来る調理人風情。
年に何度か帰郷しても顔を合わせたことも噂話も聞いたことがなかったのに、こんなところで出くわすとは。すぐに思いつかなかったはずである。
「比嘉くんだ。気づかずに通り過ごすところだった」
「マジか……。接客しているときから視線送ってたんだけどな」
「そうなの? 全然気づかなかった」
すっかり気落ちしている比嘉に笑いがこみ上げてくる。そうそう、なんかこういう三枚目なところがあった。
「これだから、チャンスを逃すのよ」
ニシジマに軽口たたかれ、「ちょっと」と小突く。
ニシジマは気にもせずにぐいぐい迫った。
「比嘉さんは店舗は持ってないんですか」
「今のところ、キッチンカーだけで。小回りきくかんじが性分に合ってるみたいなんですよ。おかげで、バイト掛け持ちから抜け出せないですけど」
自嘲気味にいうが、どこか楽しげで、帳簿を睨みつけるような毎日ではないことがうかがえる。
そういう暮らしなら所帯持ちではなさそう――というのも、わたしの物差しで見ているだけなのかもしれないが。
「沖縄出身なら、さっきいってた、なんだっけ? なに豆腐?」
ニシジマに聞かれ「ゆし豆腐」と補足する。比嘉は「ああ、そうそうゆし豆腐」と懐かしそうにうなづいた。
「島豆腐とかもよく食べたよなぁ」
「モーニングとかやってないの? だし汁に入ったあったかいゆし豆腐、食べたいんだけど。おかゆみたいでほっとするんだよね」
「モーニングとかいってないで、比嘉さんところに行って、朝、作ってもらえばいいじゃない」
「な、なに、いってるの」
さらりととんでもないこと言い出すニシジマにしどろもどろになる。
行くってもうそれは泊まるってことじゃないか。
「ああ、それもありだね」
わたしの中ではいまだ三枚目の比嘉までそんなこといってドキドキしてきた。
「うん、モーニング、いいね。『うちなーゆし豆腐がゆ』とか沖縄っぽい名前つけて」
あれ? メニューの話し? なにげにさらりとかわされている?
ひとりで舞い上がってジタバタしてしまう。
「試作品ができたら食べに来てよ」
「え?」
それはどこへ来てほしいということだろうかと、逡巡する。
「あ、いや、朝とかじゃなくても、いや、なんだったらキッチンカーで作るし」
「もちろんだよ。インスタも見てるし。いつでも誘って」
実のところインスタをチェックしているのはニシジマだが、あとで教えてもらおう。
こんなにも気が多くていいものかとためらいつつも、柊さんとも比嘉とも、どちらともまだなにも始まってないのだと思い直す。
もし、この先を一生一緒に過ごすとなれば、もっともっと知っておきたいことがあってもいいはず。
それがイヤなら、わたしのことをしっかりたぐり寄せてくれって、それは自分のことをいい女だと勘違いしているみたいだが、心の中でくらい本音を言わせてほしい。
「神社の願掛けはどうなりそう?」
比嘉と別れたあと、ニシジマは耳打ちしてきた。
「うちの社員と、夢追い人、さぁ、どっち?」
詰め寄られてしかたなく答える。
「それこそご縁があったほうかな」
「やっぱりウエハラはウエハラだ。のんきすぎるよ」
ニシジマはわかってない。
どちらも虎視眈々と狙っていることを。
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