るり子、王子様に出会う 1
物音は近づいてきた。
怖いわ、襲われるのかしら。
るり子は豊満な胸を両腕で押しつけ、胸を抱く。
余計に胸が強調されるがるり子は気づかない。
男に襲われた経験がないからるり子には本当の恐怖がわからない。
男と付き合ったことはあったような気もするけれど、何十年も前の記憶は霞がかかって、その時の男の顔も思い出せない。
あれは夢か幻か、と時々思う。
物音はさらに近づいてくる。
葉擦れの音が止み、遊歩道のぬかるんだ土を棒で突くような音。
歌が好きなるり子は、リズム感のない音にイライラする。
ああ、カラオケ行きたい、と咄嗟に思う。
ゴツゴツと地面を突く音が徐々に近づいてくる。
るり子はベンチに座り直して、音のする方の耳にパラボラアンテナみたいに手を当てる。
意識しなくてもそういう動作がるり子の身にはついている。
集音効果はバッチリで、ゴツゴツという音がさらにはっきり聞こえてきた。
何かしらあの音。
るり子はとうとう立ち上がり、音のする方へ歩き出す。
音を立てないようにしてみたが、物音よりるり子の足音の方が響いてしまう。
音の方がるり子を警戒したようで一旦止む。
るり子の鼻息が暗闇の中、突風のように吹き抜ける。
再び音は動き出す。
るり子はスマホを持っていないから、懐中電灯のアプリも使えない。
暗闇の中、鳥目のるり子にはもうほとんど何も見えない。
「マツさん!マツさん!」
突然男の人の声がした。
すごく慌てている。
最近るり子には無縁の若い男の声が、ゴツゴツという音の方へ突進していく。
るり子はほとんど座頭市のような立ち方で音のする方に耳を傾けている。
そしてバシャンと浄水路に何かが落ちる音。
バシャバシャと派手に飛沫が上がる音が続き・・・。
「誰か!救急車をお願いします!誰か!」
浄水路から飛沫を掻い潜ってさっきの若い男の声が響いた。
るり子はガラケーを持っている。
どこにしまったかしら、と慌てて探す。
さっき駅で田舎に電話をしようとして止めて、その後どうしたかしら、とるり子は救急車を呼ぶことよりもガラケーがないことに焦る。
ひとつのことに気を取られると他に意識が向かない年寄りをるり子は馬鹿にする。
るり子はガラケーを探す。
「そこにいますよね!早くしてください」
ああ、そうだった。
救急車を呼ぶのよね。
でもるり子のガラケーは見つからない。
バシャバシャと飛沫が上がり続けていたが、やがて少しずつ静まり、そして止んだ。
え?
死んだの?
るり子は玉川上水路で自殺した太宰治を思い出す。
本など読まないけれど、ワイドショー的な話題ならだいたい把握している。
やがてズボズボと大量の水を落としながら、黒い二つの塊がるり子の方へ近づいてきた。
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