第71話

「持ち去ったって……。誰が!?」


「それは分からない。探そうにも頼りになるのは至近距離に寄った際に感じられる香りのみで、それも香水などと混ざると判別は難しいだろう。こちらではこれ以上犯人の手がかりを追うのは難しいという判断になった」


 航は飲み物を一口飲むと、少々言いづらそうに「そこで君に、またお願いしたいことがあるんだけど……」と言葉を濁らせた。


「菫ちゃんの遺体をこっちでも掘り返せって言うんですか」


 事情を素早く把握した碧は、暗い表情を浮かべて俯いた。「だって、菫ちゃんはまだ死んでないんですよ? 殺される前にどうにかする方法はないんですか!」


「その可能性も考えたが、すでに脳の奥深くまで植物の根が侵入しているため、除去は困難だろう。それに八十島が逮捕された以上、事情を知ったうえで手術を行える人間がいないんだ」


「そんな……」


「辛いことをお願いしているのは分かってる。でも、未来の世界で遺体を処理できない以上、過去に生きる君にお願いするしかないんだ」


 どのみち過去の遺体を処理しなければ、碧がこのまま未来で生きられるという保証はない。そう言いかけたが、航は口を噤んだ。あくまで友人を正しく供養してやるために行う行為だと思ってもらいたかった。


「これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかないんだ。藤咲菫だってそれを望んでいるとは思えないよ」


「…………」


 碧は黙り込んだまま、焚き火を眺めていた。やがて顔を上げると航を見つめ、「……どうすれば良いですか?」と尋ねた。


「ありがとう。具体的な処理の方法はね――」と航が言いかけたところで、背後から足音が聞こえて来た。


 二人が振り返ると、そこには制服姿の藤咲菫が立っていた。右手にはカッターナイフを握り、殺意を剥き出しにして航を見つめている。


「菫ちゃん……!」


 碧が悲鳴に近い声を上げると、彼女を見た菫はどこか意外そうに目を見開いた。


「碧さん……? どうしてここに……」


「君を追って来たのか? 何にしても、まずいなこれは……」


 椅子のひじ掛けを掴みながら腰を浮かせる航を見た碧は、この状況では彼の身が最も危険だと思った。彼女は海に飛び込めば別の夢に逃げることも可能だが、航は夢を移動することはおろか、走って逃げることさえできない。もしも菫に致命傷を受ければ、彼は確実に死んでしまう。


「君はすぐにここから離れるんだ。なるべく彼女と顔見知りではない人間の所に。そうすれば、彼女はきっとすぐには探し出せないだろう」


「でも、それだと葉瀬川さんが……!」


 二人が話している間にも、彼女は少しずつそばに近づきつつあった。対象の位置を確認しながら碧を見遣った航は、「大丈夫さ。あれが過去に生きる亡霊だとすれば、未来に生きる僕のことは恐らく殺せないはずだ」と言った。


「どうにかして助かってみせる。それより君は藤咲慎二を頼れ。彼ならすべてを知っている」


「菫ちゃんのお父さんが……?」と呟いた碧は一瞬考え込みそうになったが、すぐさま航の顔を見ながら「葉瀬川さんが死なない保証なんてないじゃないですか!」と言った。


「確かに気休めかもしれないが」と言って椅子から立ち上がった航は、クーラーボックスの上に置いたアイスピックを手に取った。


「君がここで死んでしまっては、今までの僕の努力が無駄になってしまうからね」


 彼が振り返ると、藤咲菫がすぐそばに立っていた。噂で聞いていた通り美しい容姿をしたその女からは、夢の中だというのにあの花と同じ甘い匂いが漂っている。


 抵抗を試みようと航は身構えたが、彼に近づいた菫はナイフの先を彼の腹部めがけて素早く突き刺した。身体を捻って致命傷は避けたものの、わき腹の辺りには切り傷の跡が見られ、衣服には血が滲んでいた。


「葉瀬川さん、危ない!」


 態勢を崩して倒れ込んだ航に向かって菫は容赦なく二度目の攻撃を加えた。思わず目を閉じた航だったが、まるで痛みが感じられず、再び刺された形跡もない。


 恐る恐る目を開くと、すぐ目の前にはこちらに背を向けた状態で碧が立ちはだかっていた。見ると菫が突きつけたナイフは碧の腹部に命中しており、口から血を吐き出した彼女はその場に膝をついてうつ伏せに倒れ込んだ。


「碧!」


 航が屈んで碧に近寄ると、彼女の身体はその場から一瞬にして消え去ってしまった。


 嘘だろ……。まさか彼女の死の運命が、今この瞬間だったなんて……。


 碧の姿が見えなくなって再び眼前に視線を移すと、藤咲菫は冷淡な顔つきでまたもナイフを振り上げ始めている。


 そこでようやく覚悟を決めた航は、手に握っていたアイスピックを構え、自身の首に勢いよく突き刺した。

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