第69話

「……えっ?」


 航は不穏な空気を感じ取った。この男は何をそれほど恐れているのか。


「詳しく教えてもらえますか」


 煙草を深く吸い込んだ八十島は時間をかけてそれを吐き出すと、自身が経験した夢の中での体験を語った。今ではほとんど覚えていないとのことだったが、藤咲菫に危害を加えられた夢を見た直後に目が覚めた彼は、そっくり同じ場所に傷を負っていたそうだ。


「この首の辺りにある傷跡が、その時につけられたものだ」


 シャツの首元を捲って見せた八十島は、首筋にある直線状の傷跡を指でなぞった。


 自身の体験から紺野の殺害方法について確信を持った彼は、対抗策を練るべく赤い石について調べたが、あと一歩という所で眠ってしまい、再び彼女から襲撃を受けた。


「俺はあの時、確かに殺されたんだ。あいつにナイフでめった刺しにされて意識が飛んだと思ったら、そのすぐ後に目が覚めた。気づいたら床の上に宏美の死体が転がってたよ」


 どこか悔やむように歯を食いしばった彼は、吸い終わった煙草を放り投げて足で押しつぶした。彼の話が本当なら、紺野を殺害した犯人はやはり藤咲菫ということになる。


 だが記事を読んだ限り、二人目の被害者は明らかに彼の手によって殺害されている。あまりの恐怖に錯乱した彼が、目の前にいた女性に手をかけたのだろうか。


「赤い石とは一体何なのですか? それについてのあなたの記述はどれも暗号のような文面を用いられていて、内容が分かりませんでした」


「お前、慎二から聞いたんじゃないのか?」


 驚いたように八十島が尋ね返したので、藤咲慎二も内容を理解できない様子だったと航は伝えた。すると彼は首を傾げ、「奴なら必ず分かるはずなんだが……」と呟いてしばらく考え込んだ後、航に顔を近づけた。


「俺たちが赤い石と呼んでいたものは、実は花の種だったんだよ」


「花の種?」


「恐らく人間の脳に寄生する植物で、菫や百合子はそいつに洗脳されていた。いつから精神を乗っ取られていたのかは不明だが、紺野はそこのことをいち早く掴んでいた。奴はこのことを世間に公表しようと考えていたせいで怒りを買ったんだろうな」


「そんな……」


 花の種と聞いて航の脳裏に浮かんだのは、藤咲慎二が大事そうに見つめていたあの花だった。藤咲菫の遺体を埋めた場所から偶然咲いたという花。それは偶然などではなかった? あの不思議な魅力は、対象を罠に嵌めるためのもの……。


「赤い石を放っておけば、また同じように取り憑かれる者が現れると?」


 ……取り憑かれる。


 藤咲慎二は、種の事に気づいていたのではないか? すべて知った上で花を始末しなかった。いや、娘の存在を消したくない一心で始末できなかったのか。


「そうだ! あれを処分しない限り、また犠牲者が出るかもしれん」


「処分とは、具体的にはどのようにすれば? 花を燃やせば良いんでしょうか? それとも破壊する?」


 航が早口に尋ねると、八十島は二本目の煙草に火をつけながら不敵な笑みを浮かべた。


「いや、あれは高温で焼いても燃え尽きない。恐らく破壊もできないだろう」


 次いで彼が教えてくれた処分方法に、航は思わず面食らった顔を浮かべた。


 彼と別れた航はすぐさま藤咲慎二に連絡を取った。まだ警察には出頭しておらず、区切りをつけるために部屋を整理していると答えた。


「伺いたいことがあります!」


 半ば怒鳴りつけるように言った航は、八十島から聞いた話を彼に伝えた。やはり彼は手帳の内容についてすべて把握していたようで、「娘を失いたくない一心で嘘をつきました……」と暗い声で答えた。


「もしも警察が掘り返していたら、また犠牲者が出てしまうかもしれなかったじゃないですか!」


 航の言葉に泣きながら謝罪した慎二は、「八十島に会えば、あなたの方であれを処理してくれるのではないかと薄々期待していました」と正直に答えた。


「自分の手で始末するのは、とても辛くて……」


 震える声で訴えかける彼に航は、大きくため息を漏らした。それではあまりに無責任すぎやしないか。大事に思うなら、最後まで自分で面倒を見るべきだ!


「僕と一緒にやりませんか?」


 航がそう言うと、慎二はようやく娘と決別する決心がついたのか、共に最後まで見届けたいと答えた。


「人目に付くといけません。夜になってから実行しましょう」


 藤咲慎二と合流した航は、日が暮れるのを待ってから山に登った。スコップを背負って例の花の咲く場所までたどり着いた航は、白樺が聳え立つ空間で月の光を浴びるその花を見て不思議に思った。


 なぜだろう。前回と比べてどこか花の魅力が半減したように感じられる。甘い匂いもなく、確かに感じたはずの強烈な引力がすっかり失われていた。


「……おかしいですね」


 慎二も全く同じことを思ったようだった。長年見てきた彼が言うのだから、やはり間違いない。


「ひとまず、掘ってみましょう」


 花が植えてある付近の土は異様に柔らかかった。スコップを突き刺すとすんなり奥まで入っていき、さほど苦労せずに穴を掘ることができた。


「あっ、花が!」


 ある程度土を掘り返したところで、突然花が倒れてしまった。手袋をはめた手で慎二がそれを持ち上げると、なんと花は途中で切断されていた。


「一体、どういうことでしょうか……?」


 二人掛かりで地面を掘り進むと、やがて遺体が見え始めた。とはいっても年月によってすっかり白骨化が進み、生身の肉体はほとんど見当たらない。


 頭部の白骨には大量の根が張っていた。恐らく赤い石から伸びたものに違いない。慎二が根からむしり取ったそれを回転させると一部に窪みが見られたが、赤い石は見当たらなかった。


「……ない。移植したはずの赤い石が見当たりません!」


「遺体が白骨化したため、土中の別の場所に埋まっているのでは?」


 航に促されて慎二は土の中を探ったが、やはり赤い石は見当たらない。


「きっと誰かが持ち去ったんだ! 誰がこんなことを……」


 地面に膝をついた彼を見ながら、航は考えていた。藤咲菫のように花に魅了された何者かが、土を掘り返して持ち去ったのか。最悪の場合、すでに体内に取り込んでいる可能性も……。


「どうにかして探し出す方法はないんですか?」


 あの花と同じように、赤い石を所持している者には何か気配のようなものが感じられるのではないかと航は言ったが、地面に手をつきながらうな垂れた慎二は首を振って応えた。


「近くで話せば気づくかもしれませんが、どこへ行ったのか分からない相手を探し出すのは困難でしょう。あぁ。私がもう少し早く決断していればこんなことには……」


「今さらそんなことを言っても仕方がないでしょ!」


 慎二に向かって怒鳴った航は、あることをふと思いついた。「いや、手遅れじゃありませんよ」


 スコップを地面に刺しこんだ彼は、地面で横になった花を拾って眺めた。菫色の綺麗なその花は、種からの栄養が途切れたせいかすでに萎れ始めていた。

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