航 6月28日 II

第68話

 手紙に記載された住所を訪ねたが、八十島はすでにそこを引き払っていた。大家の女性に伺ったところ、居場所を知っている人物に心当たりがあると言うので連絡を取ってもらうことになった。


「でもねぇ、少し時間がかかっちゃうかも」


 その人物はちょうど海外に出張に出ているらしく、数日後の帰国を待たないと連絡が取れないらしい。


「僕の連絡先を渡しておくので、分かり次第電話を頂けますか」


 ホテルに帰った航は空いた時間で八十島の事件について調べ直した。彼は学生時代から友人関係にあった紺野を殺害し、数日後に知り合いの女性も殺している。


 紺野の殺害に関しては猟奇的な手口から藤咲菫の事件を彷彿とさせるものがあったが、二人目の被害者は首を絞められて殺害されている。


 刃物による殺害、凶器の消失、それに完全な密室……。これまでの藤咲菫の殺害手口はどれも立証の難しい状況が作り出されているのに対し、今回の事件はどちらも犯人の痕跡があからさまに残されていた。


「今まで見落としていたのも、無理はないか」


 大家からの連絡がないまま、三日間が過ぎた。その間に夢を見ることもなく、過去の状況が今現在どのように推移しているのか知り得る手段はなかった。


 碧の安否を確かめようと航は新聞のバックナンバーを読み返していたが、六月二十九日の記事から彼女の名前が除外されて以降、表立った変化は見られない。


 これよりも後の日付に亡くなったという可能性は大いに考えられるが、連絡を待つ間は東京に戻って新聞をまた一から調べ直すわけにもいかず、正確な情報は掴めなかった。


「もう少しバッファを持たせるべきだったか」


 仕事の際も繁盛によく注意されていた航は、その時の反省がまるで生かされていないことに少しばかり落胆していた。


 果たして八十島という男に接触するだけの価値があるのだろうか。こうして時間を無駄に費やしている間にも碧は身の危険にさらされているかもしれない。


 今日中に連絡がなければ、一度東京に戻って態勢を立て直すか。そんなことを航が思っていると、携帯電話が鳴り始めた。


 八十島の居所を知る人物とようやく連絡が取れたようで、航は彼の居場所を聞くことができた。


「ありがとうございました。助かります」


 航は住所を手帳にメモすると、大家の長話に付き合ってから電話を切った。


 翌日。教えられた住所に着くと古い日本家屋の一階に居酒屋の看板が見られた。情報が確かならば、八十島はその場所の二階に下宿しながら厨房で働いているはず……。


 引き戸を開けると、照明が落とされた薄暗い店内では右手から奥に伸びるカウンターの向こうで二人の男性が料理の仕込みをしていた。一人は初老の男で、短い角刈りの髪がすべて白髪になっている。


 そしてもう一人は、ひどくやせ細った男だった。


 事件が起きた七年前の写真を事前に調べていた航は、八十島の顔についておおよその見当が付くようになっていたが、いざ会ってみるとその男は本当に八十島なのかと疑いたくなる風貌だった。目つきは悪く、頬は痩せこけ、髪は短く刈り込まれている。


「あの、八十島という方を訪ねてやって来たのですが」


 航の言葉に店主らしき男は睨みを利かせながら、「マスコミの方でしたら、お断りさせて頂いておりますが」と冷ややかに答えた。


「いえ。あの……」


 恐ろしく目つきの鋭い爺さんだ。「藤咲慎二さんに紹介を受けて、八十島さんを伺わせていただきました」


 鞄から手紙を取り出して見せると、奥で米を研いでいた八十島は突然顔を上げ、「慎二が寄こしたのか……?」と言った。


 それを聞いた店主の男は一度鼻息を鳴らすと、八十島を見ながら顎で合図した。どうやら少しの間厨房を抜ける許可を頂けたようで、彼に続いて勝手口を出た航は店の裏側に連れていかれた。


「お前、慎二とはどういう関係なの?」


 煙草を咥えて火をつけ始めた彼は、訝しげに航を眺めながらそう言った。近くで見ると顔立ちが良く、歳のわりに童顔な顔つきをしている。女性関係が多かったであろうことは容易に想像できた。


「すっかり俺との縁を切ったものだと思ってたけどな」


「関係というほどの付き合いはありません。会ったのは数日前が初めてです」


 航は藤咲慎二から預かった手帳を見せ、「ここに書かれた内容についてお話を伺っている時に、彼からあなたについて聞きました。――率直に伺います。夢の中であなたが藤咲菫に襲われましたというのは本当ですか?」


「夢の中……」


 煙草を口から離した八十島はそれをじっと見つめると、次いで周囲に人影がないか窺っていた。


「慎二からどこまで聞いた?」


 小声で尋ねる八十島に対し、自身の知り合いが同じ目に遭ったことを語った航は、藤咲慎二が菫を過去に殺害していたことを伝えた。


「本当に死んだのか……!?」


 八十島はひどく驚いた表情を浮かべている。「そうか。あの慎二がやったか……」


 しばし感慨に耽る彼だったが、続いて思い出したように航に迫ると「あれはどうなった!」と声を上げた。


「あれとは何のことでしょうか?」


「赤い石だよ! あれがすべての元凶なのはもう知ってるんだろ?」


「赤い石を頭部に移植したせいで、菫さんが錯乱状態に陥ったという話は聞いています。それについては藤咲慎二さんが警察に出頭すれば、遺体のあった場所からいずれ回収されると思いますが」


「それじゃ駄目だ! あの赤い石がある限り、同じことが繰り返されるぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る