航 6月28日 I

第63話

「体育会系って感じのうるさい人で、全然話を聞いてくれないんですよ」


 情報共有のため航が前回と同じ喫茶店で今井に会うと、彼女は高校で若い男子教師に不審者扱いを受けたと語っている。


「他の先生に説明してもらってようやく校内を案内してくれたんですけど、だらしないビール腹で生徒たちにからかわれてましたね」


「まったく、ひどい男だよ」


 笑いながら城島の顔を思い浮かべた航は、温かい珈琲をちびちびと口に含み、「それで、何か分かったかな?」と尋ねた。


 相変わらず一息にアイスティーを飲み干した今井は、「菫さんに関しては、私たちが知ってる情報以上の話はなかったですね」と答えた。


「でも、生徒たちの間で面白い噂話が聞けましたよ」


「また噂話か」


 この町にはどれほどの噂話が蔓延っているのか。退屈な場所ゆえ、刺激を求めて様々な妄想に耽る者が多いのだろうか。


「どんな話だ? また放射能か?」


「放射能?」と首を傾げた今井は、店員を呼びつけて追加の飲み物を注文したのち、「夜になると、……出るらしいんですよ。山の方に」と小声で言った。


「出るって、何が?」


「見た人が言うには、幽霊らしいです」


 今井は鞄からメモ帳を取り出し、「立入禁止の場所があるんですけど、夜になると肝試しに訪れる生徒たちがちらほらいるみたいなんです」


「どの時代も、高校生のやることなんてみんな似たようなもんだな」


 呆れたように航が肩を竦めると、今井は続けてページを捲り、「肝試しに行った生徒たちの一部では、お化けを見たって話が出てるんですよ。他にも女の声を聞いたとか」


「それって、店を出て左手に見える山のことか?」


「あ、そうです。いつから誰が私有地としてその辺りを買い取ったのかまでは分からないですけど、噂が広まったのは私が卒業した後からですね。私有地に入ろうとすると、時々変なおじさんに怒られるらしいです」


「その人なら、昨日会ったよ」


「えっ!? ……怒られましたか?」


 窺うように彼を見つめた今井に対し、航は前日に出会った人物について説明した。偶然にもそれは藤咲菫の父親であり、失踪したと思われた彼女の命がとうの昔に絶たれていたということ、さらには赤い石にまつわる話や手術で脳内にそれを埋め込んだ話など、今井の巧みな誘導のせいか口を開き始めると航は話すつもりではなかったことまで彼女に打ち明けていた。


「赤い石……。手術……」


 さすがの展開に口元を手で覆い隠した今井は、険しい表情を浮かべていた。「まさか、菫さんが殺されていたなんて……」


「今井には驚きだろうけど、これで水橋嶺二の事件が藤咲菫の犯行である線は消えたな。だからもう復讐なんてものに怯える必要はないよ」


「遺体は警察が回収したんでしょうか?」


「いいや。山奥に埋めてしまったらしく、まだそこに眠ったままだね」


 首を振った航は、適温に近づきつつある珈琲を口に含んだ。


「だが、藤咲慎二は警察に出頭すると約束してくれたよ。遺体を掘り返すのは、彼の証言を聞いた後になるだろうな」


「そうですか……」


 今井は追加で注文したアイスティーが届くとグラスを両手で掴み、「父親が捕まったら、お葬式もしてあげられないんですね」


「……そうだな」


 瞳を潤ませる彼女を見た航は、藤咲慎二との会話を思い返していた。


 車で藤咲宅に招かれた航は、家の中が意外と散らかっていないことに安心したが、そこかしこに溜まった埃から生活感の乏しさを感じ取った。玄関から通りがけに見たリビングは家具の大半にシートを被せ、もう何年も前から使用していないのではないかと思われた。


「少し散らかっているが、二階にある私の部屋で話そうか」


 彼は玄関から廊下を真っ直ぐ進んだ先の階段を上り、航はそれに続いた。狭い階段で杖をつくのには多少苦労したが、普段から階段訓練をしているためそれほど負担は感じなかった。


 二階に着くと、彼は右手に見える扉を開いた。左手にはさらに二つの扉が見られたが、恐らくそのうちの一つが藤咲菫の部屋なのだろうと航は思った。


 彼の書斎は生活感に溢れていた。地面には書籍や衣服が散らばり、机の上には食べかけのカップ麺がそのまま放置されている。カーテンは締め切られ、空気が重たく感じられた。聞いたところによると、この部屋以外に使用している場所はほとんどないようだった。


 勧められて航が椅子に腰かけると、慎二は向かい合って話し始めた。彼は自ら娘を手にかけたことを語りだすと、次いで赤い石を彼女の脳内に埋め込んだ件に関する経緯を説明した。


「だが、すべては逆効果に終わったよ」


 亡くなった彼女の母親も同じ症状を抱えていたという所まで遡ったところで、彼は一度大きくため息を漏らした。


「なぜ彼女を殺そうと思ったのですか?」


 航の質問に黙り込んだ彼は、「……すっかり変わってしまったからかな」としばらくして答えた。


「あれは錯乱状態だった。警察から学友を殺害した容疑をかけられているようでした。あの頃の娘ならきっとやりかねない。私はそう思いました」


「それが殺害の動機ですか?」


「まぁ……。そうですね。今となっては、よく思い出せませんが」


 今井に聞いた話では、警察が藤咲菫に正式な殺人容疑をかけたのは彼女が失踪した後のはずだ。


 彼はきっと、警察から事情聴取を受ける前に娘を殺害している。それならなぜ、娘を殺すに至る動機を得たのだろうか。

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