第55話
放課後になって自宅に帰ると、二人組の刑事がリビングのソファに座って彼女を待っていた。事件について少しばかりの情報を寄こした彼らは、犯人の心当たりについて尋ねてきた。まるで見当がつかないと碧が答えると、髪を短く刈り上げた大柄の刑事は胸元から手帳を取り出した。
「同じ学校の藤咲菫さんとは、仲が良いみたいですね」
「別にそれほどでは」
碧が目を逸らすと、すかさずもう一人の刑事(こちらは目つきが悪く、細身で神経質そうな男だ)が「真鍋朝陽さんの通夜の最中に遠山亜美さんと彼女が口論をしていたという情報を耳にしたんですが、あなたはその場にいましたね?」と言った。
彼らはすでに情報を一ダースばかり揃えているのだ。じわじわと相手をいたぶるようにその中の手札を切り、反応を見てさらなる情報を引き出そうとしている。
「どんな言い争いだったか、覚えていますか?」
「それは……」
覚えていないわけがない、とでも言いたげな顔つきを男はしていた。たとえ生還した碧が警察に事情を話したところで、菫が犯人である物的証拠は出てこない。余計な話をしてこれ以上の犠牲者を出すべきでないのかもしれない。
「お互い、疲れていたんだと思います。だから些細なことで言い合いになって……」
「会話の内容はどういったものでしたか」
「思い出せません」
碧はしらを切った。「些細なことで始める喧嘩って、きっかけが何だったのか分からなくなることってあるじゃないですか」
「君ねぇ。昨日の今日で覚えていないなんてことが――」と目つきの悪い刑事が言いかけたところで、大柄の刑事が割って入った。
「まぁ、そういうこともありますわな。ご協力ありがとうございます」
聴取を終えた二人の刑事は、新たな聞き込みをするべくその場を去って行った。
翌日の夕方には、亜美の通夜が行われた。表では雨が降り始め、傘をさして碧が通夜に参列すると亜美の母親は涙の枯れた顔で挨拶を寄こした。それは一昨日の葬儀で見かけた亜美の姿を連想させ、彼女は溢れ出る涙を止めることができなかった。
「来てくれてありがとうね」
口元に笑みを浮かべてはいるものの、亜美の母親は心の中で泣いている。そんな姿を見た碧は決意を新たにしていた。
菫ちゃんと、もう一度話をしないと。
納棺されて死装束を纏った亜美の棺に花を入れ、焼香をした碧が席につくと、突然室内に現れた喪服姿の菫に一同が目を奪われた。棺の前で泣き崩れた彼女は亜美に向かって何か言葉をかけている。その姿に圧倒されたのか、はたまた美しさに魅了されたのか、周囲の者たちは彼女に釘付けになっていた。
猿芝居に耐えきれず退席した碧は、外に出ると自販機で飲み物を買った。それを口に含んだところで、いつの間にか彼女の背後に立った菫が声をかけた。
「私にも、一口くれる?」
「菫ちゃん……!」
思わず碧が距離を取ると、菫は腫れた瞳で笑みを浮かべながら彼女に近寄り、「安心して。もう怒ってないから」と穏やかな声で言った。
続いて碧の身体を抱きしめた菫は、「怖い思いをさせてごめんなさいね。私、反省しているのよ」と背中を擦りながら言った。
「やっぱり碧さんは、私にとって大事なお友達だもの」
厭らしく背中を触る指先の感覚にぞっとした碧は、彼女の身体から離れると「じゃあ、どうして亜美を殺したの!」と声を上げた。
驚いたように目を見開いた菫は、自分のそばから碧が離れたことが信じられないような表情を浮かべている。
「もちろん、亜美さんのことは私もショックよ。あんなに自分のことが大好きだった人が、自殺してしまうなんて」
「自殺って、あなたが殺したんでしょ……」
詳しい仕組みは分からないが、菫が彼女を殺したことは明白だった。それが夢の中での犯行によるものなのか、はたまた現実での犯行なのか。
問題は今井莉緒菜の存在だった。彼女が無傷で生きていることから夢の中での犯行ではないように思われたが、碧と夢を共有したことは確かだった。仮に夢の中での犯行が可能だとすれば、あの瞬間の亜美には当てはまり、今井莉緒菜には当てはまらなかった事象を探し出す必要がある。
「条件があるって、菫ちゃん言ったよね」
夢の中で彼女が発した言葉を思い出した碧は、引き続き情報を得られるか試したかった。「今井莉緒菜は、元気に学校に来てたよ。あなたが思っていた条件と違って残念だったね」
「…………」
あからさまに不機嫌な表情を浮かべた菫は、鋭い視線を碧に送った。「あなたは分かるっているのかしら」
彼女の人間離れした気配に恐れをなした碧は、その場から一歩後退した。
「あの子はもう十分に罰を受けたよ。これからも記憶にない恐怖心に怯えながら、ずっと生き続けて行くの」
「ふふ。記憶にない恐怖心って、ステキな響き」
満足そうな笑みを浮かべた菫は、次いで碧を睨みつけながら「次は碧さんに止められちゃうかもね」と言った。
傘も差さずに雨の中を歩き出した菫は、葬儀場の出口付近で黒い傘をさしたスーツ姿の男と合流した。彼女の父親だろうか。男はエスコートするように菫を車の助手席に乗せると、すぐさま走り去った。
車が視界から消えるのを見送った碧は、自販機に凭れてため息を漏らした。すると今になって、がくがくと膝が震えだすのを感じた。
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