第52話

 翌日は天候も良く、外出にはうってつけだった。旅行用の鞄を引っさげた航は新幹線に乗り、噂の地方都市に向かった。


 市内のホテルに荷物を預け、ローカル線に揺られるとやがて辺ぴな田舎町に辿り着いた。森林や田畑が多く、緑が多い印象である。


 駅前に停車していたタクシーに乗り込んだ航は久々に城島の元を訪ねたい気持ちがしたものの、訪問の上手い言い訳が思い浮かばず結局は連絡しないでおくことにした。


「この住所までお願いします」


 航が住所の書かれた紙を手渡すと、運転手の男性はすぐに車を発進させた。「あんた、この辺じゃ見ない顔だね」


「ちょっとした観光です」と航が答えると運転手は鼻で笑い、「大して見るものもないでしょ」と言った。


「長いことコンクリートに囲まれていると、こういう自然に溢れた場所に憧れを抱くものなんですよ」


「そういうもんかね」


 運転手は納得のいかない表情を浮かべて前に向き直ると、遠方に見える山を指さし、「悪いことは言わんから、あの山にだけは近寄るなよ」と言った。


「あの山に何かあるんですか?」


 背もたれの間から身を乗り出して航が尋ねると、「これは単なる噂に過ぎないんだがね」と前置きした後で運転手は苦笑いを浮かべた。


「あの辺りは放射能で汚染されてるっていう噂があるんだよ」


「放射能?」


 航は首を傾げて考え込んだ。この地域で核を扱っているといった話は聞いた覚えがなかったし、ましてや放射能漏れがあれば大問題だ。


「いつからですか?」


 ひょっとしたら、大昔にそういった事件があった可能性もある。


「詳しくは知らんよ。噂が耳に入ったのがざっと七年くらい前かな」


 運転手は窓を開き、煙草を吸い始めた。「何でも政府の実験施設から放射能が漏れたとかで、今はその場所も放棄されてるらしい。俺も近寄ったことがないから分からんが、聞いた話では施設があった付近に有刺鉄線が張られてて、立入禁止の看板が設置されているみたいだよ」


「へぇ、こわいですね」


 航が唸るような声を出して腕組みすると、運転手は少し吸ってからすぐに煙草を押し消し、「汚くても良けりゃ、旨い店を紹介してやるぞ」と言った。


「何が食いたい?」


「いえいえ、そんな」


 左右に首を振った航は姿勢を正し、「ご厚意は大変ありがたいのですが、そういうのは自分で探すのが好きなんですよ」と言って笑みを浮かべた。


「兄ちゃんもなかなか物好きだねぇ」


「はは。よく言われます」


 その後は運転手の好意で通りすがりの店の説明を受けたり、(半分はご近所さんの悪口だったが)昔の自慢話を聞いたりして乗車時間を過ごした。


「たぶん、あれだな」


 運転手は住所の書かれた紙を確認すると、庭付きの広々とした一戸建てを見上げた。「あの家に知り合いでも住んでるのか?」


「まぁ、そんなところです」


 航が支払いを済ますと、運転手の男はわざわざ車から降りて彼が座席から降りるのを手伝ってくれた。「どうも、ご親切に」


「良いってことよ。足が不便じゃ大変だろ。また困ったらいつでも呼んでくれ」


 運転手はポケットから名刺を取り出して航に手渡すと、来た道を戻って行った。


「ごめんください。誰かいませんか?」


 呼び鈴を何度か鳴らしてみたが、家主は一向に現れない。ちょっとした留守なのか、それとも長い間家を空けているのか。失礼とは思いつつ庭の方へ回ってみると、カーテンがすべて閉め切られていた。やはり誰かが在宅しているような気配はない。


「参ったな」


 困ったように頭を掻いた航が周囲を見回すと、庭の一角に花壇があった。そこには乾いた土があるだけで花は植えられておらず、伸び放題の雑草がある程度だったが、塀の一部には黒い染みが見られた。


 近づいてみると、それは焼け跡のようだった。以前にここで何かを燃やしたのかもしれない。


「それにしても管理の行き届いてない庭だな」


 花壇以外の場所も雑草が覆い茂り、立派な庭がまるで台無しだった。現在は失踪した藤咲菫の父親が一人住まいだと聞いているが、この分だと家の中も荒れ放題に違いない。


「僕も、気をつけないと」


 来年には妹が実家を出て行くことを考えると、航はぞっとする思いだった。破天荒な父親と二人であのおんぼろを管理してかなければならないが、ずっと仕事漬けだった父親は洗濯すらしたことがないし、ましてや料理なんてできるはずもない。


「今のうちに、紬に色々教えてもらわないとな」


 航がふと玄関の方を振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。入口の柵の外からこちらを窺うように見つめているその子は、驚いたように口元を両手で覆い隠している。


「……先輩? どうしてここに?」


「今井……!」


 辺ぴな田舎町で偶然再会したことにはもちろん驚かされたが、それよりも航は、彼女が生きていたことが思いのほか嬉しかった。建物の五階から飛び降りたと聞かされていたが、彼女は奇跡的に生還を果たしたのだ。


 航が近寄って行くと、柵を開けて中に入った今井は「あっ! そこに大きな石があるんで気をつけてください」と彼に言った。


「おう、ありがとう」


 地面から剥き出しになった石を避けた航は、玄関の前で今井と向かい合った。「実家に戻ってたのか?」


「はい。父親が体調を崩したと聞いて。でも、単なる貧血でしたね」


 今井は航の顔を真っすぐに見つめ、「まさか先輩をこの町で見るとは思いませんでした」


「そりゃ、僕だって同じさ」


 航はどこか照れたように彼女の視線を躱すと、「君がこの間話してくれた藤咲菫の失踪事件、それが妙に気になっちゃってね」と言った。


「えっ……? まさかそれを調べるために、わざわざここまで来たんですか?」


 今井は正気を疑うような目つきで彼を見つめていたが、やがて思いついたように「そういえば先輩、火曜日まで代休取ってましたよね?」と言った。


「何か分かりましたか?」


「お前は、俺のスケジュールのことまでよく把握してるもんだな……」


 感心したように答える航の手を引いた今井は、「ここで立ち話してると目立ちますから、ひとまず移動しましょうか」と言った。


「お、おう。そうだな」

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