第43話

 事件に関連する記事のコピーを取った航は、図書館を後にした。外はすっかり日が暮れ、大事な休日を無駄に過ごしたという気がしてならなかった。


 彼女が再び夢に現れるようなことがあれば、供養の一つでもしてやろうか。


 そんなことを思いつつ、航は家路についた


「ただいま」


 家に着くなり自室で年賀状を漁り始めた航は、さして苦労もせずに目当ての一枚を探し当てることができた。事件の起きた地名や学校名を見た時から頭の片隅で何かが引っかかっていたが、やはりその場所は今年から友人が赴任した高校だった。


 赴任してまだ数か月足らずだが、奴に聞けば過去の事件について何か話が聞けるかもしれない。


 彼はすぐさま行動に移した。


「もしもーし」


 友人の城島じょうじまは、思いのほか短いコールで電話に出た。


「城島? 僕、葉瀬川だけど……」


「え、葉瀬川!? なんだよ、久しぶりじゃーん!」


 久方ぶりにも関わらず、城島は陽気な口調で航に応えてくれた。運動が得意だった城島は現在バレー部の顧問を務めているらしいが、酒好きが祟って腹が出てきたとかで、生徒たちにからかわれているそうだ。


「そっちも上手くやってるみたいで安心したよ」


 城島は彼が仕事場で順調に過ごしていると知ってひどく喜んでくれた。やはり足のことを気にかけているのかもしれない。


「城島の高校ってさ、昔に事件があったんでしょ?」


 近況報告をひと通り終えたところで、航はそう切り出した。


「ほら、生徒が一人失踪したとか」


 あえて名前は伏せて伝えたが、城島は興奮したように「藤咲菫失踪事件か!」と声を上げた後、「その事件って、そっちでも有名なの?」と言った。


「まぁ、多少はね」


 城島は事件について知る限りのことを語ってくれたが、それは新聞の記事とほぼ合致しており、真新しい情報は得られなかった。


「初めはちょっと不気味な印象だったけど、住んでみると案外平和な所だわ」


「でも、一応用心はしておけよ。もし城島に失踪なんかされたら、僕は一緒に飯に行く相手を失うことになっちまうんだから」


「お前はほんと、俺以外にも友達を作れよな」


 照れたように答えた城島は、ふと思い出したように「そうそう! そういえば失踪した藤咲菫の父親は、まだこの町に住んでるらしいんだよ」と言った。


「周りの連中の噂じゃ、夜な夜な町を徘徊して娘の身代わりを何人も攫ってるって話だぜ」


「そんな馬鹿な」


 鼻で笑った航は、続けて顎に手を遣って考え込み、「その人の住所ってわかる?」と尋ねた。


「住所? 何でそんなもん知りたがるんだよ」


 すぐさま城島に突っ込まれたが、航はなるべく平静を装いつつ「そりゃ、城島が攫われたら大変だろ」と冗談めかして言った。


 彼の答えに城島は面白がって笑ったが、結果的には大まかな住所を教えてくれた。


「俺が使う道とは反対方向だから、まぁ誘拐の心配はないな」


「それ以前に腹が出た息子なんて向こうも御免だと思う」と航が返すと、「先に言ったのはお前の方だろ!」などと悪態をつきながら城島はまた別の話を始めた。


 通話を終えた航は、事件に関連する内容を手帳に書きとめておいた。夢の中で再び彼女に出会う機会があれば、この胸のもやもやも解消されるように思われたが、仮に相手が霊体だとすると少し薄気味悪くもあった。


 部屋を出ると、キッチンでは紬が食事の準備をしていた。忙しなく手を動かす妹の後ろ姿を眺めながら、航は高校二年生にして命を失った沢渡碧のことを思った。


 自殺……。そんなことをするような子にはどうにも思えなかったが。


「何よ? そんなにお腹空いてるわけ?」


 気づけば妹から睨まれていた航は、キッチンから退散するとテレビ番組を観ながらソファに横たわった。


 食事の支度を待つ間にうとうとし始めた彼は、彼女に会えることを少しばかり期待しつつ、暗闇の中に落ちていった。


「…………」


 焚き火の爆ぜる音がする。耳をすませば、水面で跳ねる魚の音も聞こえてきそうだ。


 目を開くと、そこは慣れ親しんだ海沿いの風景だった。闇夜に輝く星々と、ほんの少し欠けた月。彼の左側では焚き火の炎が音を立て、それを跨いだ先に赤いアウトドアチェアが置かれている。


「まぁ、駆けつけ一杯ってことで」


 右手のクーラーボックスから缶ビールを取り出した航がプルタブを引くと、周囲に“プシュッ”という音が鳴り響いた。静寂を破ると誰かに迷惑をかけたような気持ちにさせられる彼は空気の震えが治まるのを待ったが、その時背後からヒタッ、ヒタッという足音が聞こえてきた。


「結構、久しぶりだよね」


 航が振り返ると、後ろに立った沢渡碧は泣き腫らした表情を浮かべていた。ぶるぶると身体を震わせ、上手く言葉も発せない状態の彼女は、その場に蹲って自身の手のひらを眺めた。


「どうしよ……私……」


「おい、どうした?」


 慌てて立ち上がった航は、杖をついて彼女に歩み寄った。


「怪我してるのか? どっか痛い?」


 顔を覗き込むと、碧は涙を流していた。手早くクーラーボックスの縁に掛けていたタオルを掴んだ航は、それを彼女に手渡した。


 タオルを受け取るや否や必死になって顔を拭った碧は、次いで手のひらに広げたそれを食い入るように見つめながら、「……消えてる」と呟いた。


「何が消えてるんだ?」


 航が首を傾げていると、碧は自身の衣服をひと通り確認してから彼を見上げ、「どうしよう、葉瀬川さん……」と言ってまた泣き始めた。


 杖を捨てて地面に座り込んだ航が彼女の背中を擦ると、彼にしがみついた碧はいっそう激しく声を上げて泣いた。


「やれやれ」


 仕方なく航が抱き寄せると、彼女は呼吸を荒げたまま「私、とんでもないことをしちゃった!」と言った。


「とんでもないことねぇ」と背中をさすりながら航が調子を合わせていると、顔を上げて向き合った碧は彼の腕を勢いよく掴んだ。


「私、亜美を殺しちゃった……」


「亜美……。それってもしかして、遠山亜美のことか!?」


 緊張した面持ちで彼女の瞳を見返した航は、自身の鼓動が早くなっていることに気がついた。


 遠山亜美……。


 それは航が図書館で調べた新聞にも載っていた、七年前の被害者のうちの一人だった。

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