第24話

 航はそれについて少しばかり考える素振りをしてみせたが、やはり馬鹿馬鹿しく思えてきて「当然できないだろうね」と答えた。


 そんなことが可能なら、この場に杖やクーラーボックスは必要ないはずだ。


「願いが容易には叶わないと教えてくれたのは、君じゃなかったか?」


「確かに言いました。私も少し前まではそういう仕組みなんだと思ってましたし」


「“思ってました”ということは、今はそうは思わない?」


「考え方の問題じゃなくて、実際に見たんです。夢の中で欲しいものを出したり、空を飛んだりする姿を」


「まさかそれが、しがない高校二年生の君だって言いたいのか?」


「そんなわけないですよ」


 左右に首を振った彼女は渋い表情を浮かべ、「私にできるのは、せいぜい夢を渡ることくらいですから」


「それも十分に誇れる個性だよ。まるで超能力者だ」


「そうですかね」


 どこか不満げな顔で俯いた彼女は缶ビールを一口含み、「私の友達はもっとすごいんです」と言った。


「同じ学校の一つ後輩なんですけど、すっごく綺麗な女の子で、葉瀬川さんが見たらきっと走り出しちゃいますよ」


「ほう。そりゃ嬉しい限りだね」


「一度見たら目が離せないです。綺麗すぎて」


「そりゃ、大変だ」と話半分に聞き流した航は飲み干した缶をごみ袋に放り込み、「その子が僕の足を治してくれるのかな?」と言った。


「あ、信じてないでしょ?」


「いやいや、信じるよ。でもね、女の子の言う可愛いっていうのは大抵――」


「そっちじゃないですよ!」と言って航を睨みつけた彼女は、続いてビールを一息に飲み干した。


「菫ちゃんは私なんかと違って、本物の超能力者なんです」


「すみれちゃんっていうのか」


「あの子は瞬きする間に紅茶を出せます」


「ほう、素早いんだな」


「あと、空も飛べます!」


「それでも、さすがに他人の夢を渡り歩くような真似はできないだろ?」


 航がそう言うと、両手で空き缶を握りしめた彼女は表情を強張らせた。


「この間私が教えたら、すぐ出来るようになっちゃいました」


「君だけの特権じゃなかったのか?」


 呆れた様子で航が言うと、彼女は椅子の中で膝を抱え始めた。


「私、すごく嬉しいんですよ。本当に。だって、やっと夢の中で一緒に遊べる相手が見つかったんですもん。でも、やっぱりちょっと悔しいっていうか。その……」


「……なるほどね」


 自身の葛藤に苦しむ少女を見ながら、航は静かにため息を漏らした。彼も高校生の時分には似たような感情を何度も抱いたものだ。友人にユース選抜の推薦通知が届いた時、部活で一緒だった連中が次々に活躍する場面を見た時、しまいにはその辺の公園で球を蹴り合う少年の姿まで。


 嫉妬の対象というものは、およそ際限がない。


 彼女はそれに打ち勝とうと努力している。妬む気持ちを飲み込み、友人を心から受け入れようとしている。自分が高校生の頃は、果たしてこんな風に思えただろうか。


「まぁ、現実とはそういうもんさ」


 航がそう言うと、「夢の話ですけどね」と碧は冷めた声で返した。


「とにかく、君も今言ってたろ。同じ世界で遊べるお友達は貴重さ」


「そうですよね。菫ちゃんとは相性もいいし、……可愛いし」


「そうそう。可愛いのは大事だ」


 航が合いの手を入れると、彼女は突然不機嫌そうに彼を見つめ、「やっぱりみんな、可愛い子には目がないんですよね」と言った。


「気になるなら今度紹介しますけど」


「そうやって今度は、二人揃って僕の夢を荒らしに来ようってわけか」


「良いじゃないですか。若くて女の子が二人に増えるんですから」


「そんなに自分を卑下するな」と苦笑いを浮かべた航は、「正直に言って、高校生の女の子なんてもう見飽きてるんだよ」と言った。


「毎日生意気なことばっかり言ってくるもんだから、こっちもついつい本気になってしまうね」


 立ち上がった碧は空き缶をごみ袋に捨てると航の前に移動し、「お話聞いてくれて、ありがとうございました」と言って突然頭を下げた。


「おかげですっきりしました」


「いつか空を飛べるようになったら、僕にもやり方を教えてくれよ」


 航が冗談交じりにそう答えると、顔を上げた彼女は笑みを浮かべ、「どちらかと言うと、ビールの出し方を知りたいんじゃないですか?」と言った。


「まぁ、その方がいいかもな」


 目の前に立つ彼女がどこか妹の姿に重なった航は思わず頭をなでながら、「無駄話の相手なら、いつでも付き合ってやるから」と言った。


「……うん」


 短い返事を寄こした彼女は小さく頷くと、振り返って砂浜を走り出した。


「それじゃ、また遊びに来ますね!」


 海に向かって勢いよく飛び込んだ彼女は、しばらく経っても浮かんで来なかった。心配になった航は水辺に向かったが、彼女が水中にいるような気配は感じられない。


「まさか溺れ死んだりしてないだろうな」


 彼の夢は、突如静けさを取り戻した。月が雲に覆われ、光源を失った海はまるで大きな落とし穴のようだった。


 暗闇の中で杖を投げ捨てた航は、心の中に風を切る風景を思い描きながら砂浜の上を走り出そうと試みた。けれどやはり左足はいうことを聞かず、一歩進んだ途端に彼は勢いよく倒れ込んだ。


「なんだかなぁ」


 仰向けになって夜空を見上げた航は、雲間から覗き始めた月の欠けた部分がひときわ大きくなったように感じられた。

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