第17話
「お前はこの石を持っていて、何か感じなかったか?」
「さぁ。どうだろうな」
首を捻る慎二を見た紺野は、少し誇らしげに胸を張り、「この石は魔性だよ」と口にした。
「持っていると手放したくなくなるんだ。夢にまで見るほどだよ。気のせいなんかじゃない。こいつが発する電磁波にはきっと、鎮静効果がある」
「鎮静効果だと?」
「藤咲にとっては少し話しにくいことかもしれないが、生前の百合子さんについて少し教えてほしいんだ。どこか変わった様子は見られなかったか?」
「百合子の……」
慎二は険しい表情で俯き、「そうだな。庭で倒れてからは確かに少しぼんやりしていたように見えたよ。庭に立ってぶつぶつと独り言をすることもあった。
定期的にメンタルケアは行ったが、あれは夢の話ばかりしていたな。その印象はいつも安らぎに満ちたものばかりだった。草原で寝ころぶ夢だったり、大きな花の上で蜜を吸う夢だったり。だから心配はないと思っていたんだが、ある時を境に彼女は夢の話を一切しなくなった。メンタルケアも嫌がるようになり、しまいには八十島なんかと裏で会うように……」
「そう、安らぎだよ!」
興奮したように声を上げた紺野は机の上を指先でコツコツ叩き、「その物質に含まれる電磁波が、脳内に漂う電磁波と共鳴した結果かもしれない」と言った。
「俺にも少なからず同じような現象が起きたんだ、その幸福感は計り知れないぞ。何にせよ、この石が何らかの形で精神に干渉しているのは間違いないはずだ。立証にはまだしばらく時間がかかるだろうが、俺ならそれを証明できる」
自信満々に話す紺野の姿を眺めながら、慎二は別のことを考えていた。
四月の中旬に自宅の庭先で倒れていた菫を発見した彼は、その姿が一年前の妻と重なって肝を冷やしたものだ。
すぐに意識を取り戻した彼女が病院を嫌がったので数日間学校を欠席させるだけに留めたが、今からでも妻と同じように脳の検査を受けさせた方が良いのではないだろうか。
仮に脳内の電磁波が遺伝性のものだとすれば、娘の身体の中で妻と同じようなことが起きていないとも限らない。電磁波の可否については未だどちらとも言えないものの、その存在の有無については何としても調べておく必要がある。
「紺野。今度お前の所でうちの娘をみてもらいたいんだが」
一人で盛り上がっていた紺野は、思い詰めたように話す慎二の顔を見るとすぐさま眉間に皺を寄せ、「菫ちゃん、どこか悪いのか?」と尋ねた。
「いいや。単なる俺の心配性さ」
ぬるくなった珈琲を啜りながら慎二がそう答えると、「もちろん構わない」と紺野は笑みを浮かべて言った。
「友達のよしみで、安くしといてやる」
「助かるよ」
テーブルの上に置かれたルーフケースを手に取った慎二は、それを鞄にしまおうとした。すると紺野は素早く腕を掴み、「まさか、持って帰る気か?」
「まぁ、そうだな」
慎二の回答を聞いた彼は掴んだ手に力を込め、「もう少し、俺の方で研究をさせてくれないか! それは世紀の大発見に繋がるかもしれん代物なんだ! お前もそれの正体が何なのか気にならないか?」と早口に言った。
紺野の目つきはどこか常軌を逸していた。
……執着。
その言葉が脳裏をよぎった慎二は、「悪いけど、俺はまだそんな気分にはなれない」と答えて腕を払った。
鞄の中にルーフケースを突っ込む慎二の動作を執拗に目で追っていた紺野は、視界から石が消えるとふと我に返ったように「……すまない。取り乱した」と言って目を逸らした。
「お前は昔から、研究熱心だからな」
残りの珈琲を一気に飲み干した慎二は、一万円札を置いて席を立った。「診察日については、また連絡させてもらうよ」
午後の診察を終えて帰宅した慎二は、自室で着替えを済ませるとリビングに向かった。菫と一緒に夕食をとった後で風呂に浸かりながら、彼は赤い石のことを考えていた。
摂氏八百度を超える温度で焼かれてもなお原型を留める耐久性、内部に漂う電磁波、おまけに脈打ってるだと? 隕石にしたって不可解な点が多すぎる。百合子の体内で生成されたものなのか、はたまた外部から取り込んだものか。彼女の脳内に帯びた電磁波の原因にしても、その正体は分からずじまいだった。
鎮静効果? ふん、笑わせてくれる。紺野はあの石をもとに新種のコカインでも精製しようって腹なのか?
くだらない研究のために妻の形見を利用されるのはどうにも腹立たしく思えたが、慎二はその一方で赤い石と妻の身体の因果関係が気になって仕方がなかった。
同一の電磁波を帯びた二つの存在とそれらの共鳴。仕組みを理解できれば、妻を失った悲しみや不可解な死に方を選んだ彼女に対する疑念が少しは晴れるのではないか。
「やはり、もうしばらく紺野に預けておくべきだったか……」
風呂から出た慎二は身体を拭いて寝間着に着替えると、自室に戻った。
扉が少し開いているのを疑問に思いつつ部屋に入ると、暗がりの中では娘の菫がこちらに背を向けて立っていた。
「菫?」と呼びかけながら彼が近寄ると、娘はゆっくりと振り返った。左手にはルーフケースを持ち、右手の人差し指と親指で摘んだ赤い石を彼に見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます