慎二 5月16日
第16話
「藤咲先生。お客様がいらしてますけど」
受付に呼ばれて診察室から顔を出した藤咲慎二は、大学時代からの友人である紺野がそわそわした様子で待合室の椅子に腰かけているのを見てため息を漏らした。
「次の患者さんの予定は?」
受付の女性はバインダーに挟まった用紙を眺め、「午前中の予約はもうないですね」と答えた。
「それじゃ、午前の診察は終わりにしよう。川上院長には、これでね」
慎二は唇の前で人差し指を立て、「何か困ったことがあったら携帯に連絡して」
診察室に戻って白衣を脱いだ慎二は、鞄を持って待合室に向かった。
貧乏ゆすりをしながら親指の爪を咥えていた紺野は、彼の姿に気づくとすぐに立ち上がった。目が血走り、落ち着きなく身体を揺する姿はまるで患者と見間違うほどだった。
友人を連れて診療所を出た慎二は、休憩時間によく利用する近所の喫茶店に向かった。
「病院まで押しかけて来るなよ。迷惑だろ」
「鑑定結果を早く伝えたくてな」
彼の言葉にふと立ち止まった慎二は「何か分かったのか!」と迫ったが、紺野は口元に笑みを浮かべ、「まぁ待て。続きはどこかに腰を落ち着けてからだ」と言った。
喫茶店に着いた二人は隅にあるボックス席で向かい合うと、手早く注文を済ませた。珈琲は作り置きなのかすぐに運ばれてきた。
「まず結論から言うと、これの正体は俺にも分からなかった」
紺野は鞄から黒いルースケースを取り出すと、蓋を開いて中身を見せた。僅かに照りのある赤い石が中央に置かれ、リカット前の宝石のように歪な形をしている。
「ただの石ではないということか」
慎二は指先で石を掴むと、それを光に翳した。透過率が低く内部の構造を見ることはできないが、不思議とそこには光るものがあった。
こんな不格好な石のどこにそれほどの魅力があるのかは分からないが、どういうわけか簡単には目を逸らせなかった。
紺野が机の上を指先で叩いたことでふと我に返った慎二は、一度咳払いをするとそれをルースケースに戻した。
「パイロープガーネットの原石にも似ているが、友人に頼んで分析機器を使わせてもらった結果、成分が一致しないことが分かった。全くもって未知の物質と呼べるだろう」
「未知の物質か」
煙草に火をつけた慎二は、目の前の石を発見した時のことを思い返していた。
昨年の夏、不幸にも妻を亡くした彼が葬儀を終えて火葬場で骨上げを行っている時のことだ。白と灰色に塗れた妻の残骸の中に混ざり、小さな赤い石があるのを見た。
火葬場の担当者はその存在に気づいておらず、他の者の目を盗んで石を摘まみ上げた慎二はそれをポケットの中に収めて持ち帰った。
今思えばどうしてあのようなことを行ったのか全く理解に苦しむが、その時の彼の頭の中では、この石を誰にも渡したくないという確かな衝動があった。
妻の身体のどこかにあったと思われる赤い石は、彼女の死と何か関係があるのだろうか。
慎二は友人の紺野に石の分析話を持ちかけた。紺野は都心の脳神経内科に務めているが、医学部時代から顔の広い彼にはあらゆる方面のコネクションがあるため、宝石の専門家に分析を依頼することができた。
「この物質の中には、百合子さんの脳内に見られたものと同一の電磁波が検出されたよ」
慎二の手元で揺れる煙草の煙を眺めていた紺野は、両手を組みながら前かがみになり、「それに加え、こいつは僅かに脈打っている。まるで生き物みたいにな」と声を潜めて言った。
「なんだって!?」
慎二が声を上げると、紺野はそれを抑えるように両手を前に出した。
「藤咲よ。お前さんは一体、こんなものをどこで拾ってきたんだ」
「前にも言ったろ。偶然拾ったんだ。珍しそうな石だったから金になるか見てもらっただけさ。こんな田舎町じゃ精神科医なんてやってもろくに儲からないし、残された一人娘に苦労をかけたくないもんでね」
「百合子さんのことは、本当に残念だったな。あんなに聡明で美しい人を失くすとは惜しいことをした。大学時代からの友人は俺を含め、みんな悲しんでるよ。そりゃお前とは比べものにならないだろうが」
「どうかな。
「藤咲……。八十島だって反省していたじゃないか。お前と話したいのに電話に出てくれないと嘆いてたぞ」
「反省? 反省だって?」
紺野の言葉を鼻で笑った慎二は、次いで煙草を灰皿に擦りつけ、「百合子はあいつのせいで死んだんだ。そうに決まってる」
「そりゃお前の気持ちも分かるよ。無理もないさ」
優しい口調で返した紺野は彼の腕を掴み、「でもな、少しくらいは話を聞いてやれよ」と諭すように言った。
「奴に罪を償うためのチャンスを与えてやっても良いじゃないか」
「俺の心が狭いって言いたいのか?」
「そうは言ってない。ただ俺には――」
「俺たちの関係がぎくしゃくしたせいで、お前に迷惑がかかっているのは分かってるよ。でも俺は、やはり奴が許せそうにない」
「分かるよ。俺も同じ立場なら、きっとそう思うはずだ」
深く頷いた紺野は、窓辺から見える週末の人混みを眺めた。
「ただ俺は、お前たち二人の友人だからな。一方的にどちらかの味方をするってことが出来そうにないことはお前も分かってくれるよな?」
「あぁ。理解はしてるよ」
お前さんが自分の立場を重んじることは、十分にな。
「ありがとう」
八十島の件を一人で締めくくった紺野は再び声を抑え、「なぁ、藤咲。さっきの石の件に話を戻すが、俺にはまだこいつのことで気づいた点があるんだ」と言った。
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