碧 5月15日
第13話
「えっ」
非常階段の最上階で昼休みに朝陽と二人で待機していた碧は、亜美の後ろに続いて現れた少女を見るなり驚いて口元に手を遣った。「うそ……」
「藤咲菫さんよ」
亜美は二人に向かって菫を紹介すると、続いて碧と朝陽を順に紹介していった。朝陽は黙ったまま彼女のことを見つめていたが、自分が紹介されると僅かに腰を浮かして会釈し、何事もなかったように座り直した。
碧が無言で菫に見入っている間に亜美は彼女を座らせ、「私たちはお昼になるといつもここに来て、一緒にお昼を食べてるの」と言った。
小ぶりのお弁当箱を両手で包み込むようにして持つ菫は、間近で見ると恐ろしいまでの美少女だった。体育倉庫の薄暗がりで見た時に比べ、陽の下で見るとその輝きは格段に増しているように感じられた。
「は、初めまして」
ようやく菫に向かって挨拶の言葉を口にした碧は、先日の体育倉庫での件を口にして良いものかどうか迷った挙句、結局は何も言わなかった。
朝陽もそれに合わせているのか、それとも口数が少ないだけなのか、あの日彼女を見たという発言をすることはなかった。
「私たちのことは下の名前で呼んでね。代わりにこっちも菫って呼んでいい?」
亜美の言葉に首を縦に振った菫は、その後で気まずい表情を浮かべ、「私なんかがご一緒して、良かったんでしょうか」と小声で答えた。
「全然! むしろ私の方こそ突然誘っちゃって迷惑じゃなかったかな?」
「そんなこと」
菫が左右に首を振ると、潤った髪からお花畑のような匂いが漂った。碧が小声で「いい匂い」と呟くと、その声が聞こえたのか菫は照れたように俯いている。
「いつまでも遠慮し合ってないで、さっさと飯食おうぜ」
朝陽がぶっきらぼうにそう言ってサンドウィッチを食べ始めると、他の者も揃って弁当箱の包みを解き始めた。
「亜美のお弁当って、いつも茶色系が多いよね」
「そう? 私からしたら、碧の方がむしろパンチが足りてない気がするんだけど」
「お弁当にパンチを求めてどうすんの」
「それにしても菫はまた、碧に負けず劣らず野菜中心のお弁当ね。見た目は可愛いけど」
「そ、そうですか」
亜美の言葉に頬を赤く染めた菫は僅かに口元を緩ませ、「私、いつも自分で作ってるからお野菜ばっかりになっちゃって」
「えっ!? それ自分で作ったの?」
彼女の弁当箱を改めて観察した亜美は感嘆の声を漏らし、「朝からお弁当作って登校するなんてすごいね!」と言った。「お母さんは用意してくれないの?」
「えっと、ママは去年に亡くなったから」
「あぁ」
菫の反応を見てまずい話題に触れてしまったと感じた亜美は、すぐさま話を切り替えた。
「えぇと、放課後は何をして過ごしてるのかな?」
「放課後ですか?」
「うん。まぁ、趣味とか好きなこととか、何でも構わないんだけど」
「好きなこと……」
俯いて考え込む菫を見た碧は、どうにかして話題を繋ごうと「亜美はバスケが大好きだもんね」と言った。
「それでね、朝陽はサッカー部なんだよ」
「碧は悠々自適の帰宅部生活だよな」
朝陽が皮肉った口調でそう返すと、碧は不服そうに彼を睨み、「悠々自適とは聞き捨てならないよね」と言った。
「帰ったらお母さんに家事とか夕飯の食材の買い出しとか手伝わされて、結構大変なんだから」
そう言った途端、碧ははっと息を呑んだ。またもや母親という言葉を口にして菫が気を悪くしなかっただろうかと伺うように見遣ると、彼女は薄っすら口元に笑みを浮かべていた。
「夕飯の買い出しって、思ったよりも重労働ですよね」
「あ、うん!」と慌てて菫に応えた碧は、それ見たことかと朝陽に視線を遣った。
「へぇへぇ」
興味なさそうに答えた朝陽は、パックのジュースを力強く吸い込んでいる。
「好きなことって言えるのかどうか、分からないですけど」
三人の顔を順に見遣った菫は、少し間を置いてから息を吸い込み、「私、夢の中で遊ぶのが好きなんです」
「夢の中で、遊ぶ?」
箸の先をカチカチ鳴らしながらそれについて考えた亜美は、「要は昼寝するのが気持ちよくて好きとか、そういうこと?」
「えっと、眠ることじゃなくて、夢の中にいるのが楽しいっていうか、その……」
と、そこまで話したところで三人に不審がられたのではないかと勘繰った菫は続く言葉を飲み込んだが、彼女のそんな姿を見遣った朝陽はどこか昔を思い出すように「そういえば、碧も子供の頃に夢の中で一緒に遊んだとか言わなかったか?」と言った。
「あ、確かに! そんなことあったかも」
亜美は続けて同意すると碧の方を見遣り、「ねっ、あったよね?」
「さぁ、どうだったかなぁ」
ここに来て昔の話を持ち出されるとは思ってもみなかった碧は、口籠りながら目を逸らした。
確かに彼女は幼少期の頃に他人の夢の中に入り込めることを二人に話したことがあったが、その話は全く信じてもらえず、最終的にはしつこいと文句を言われてしまったのでそれ以来は誰にも口にしないと決めていた。
「具体的には思い出せないけど。亜美、何だっけ?」
「確かあれよ。夢の中でお腹いっぱいステーキを食べたとか。あれ、唐揚げだっけ?」
「いやいや。碧なら肉より野菜だろ」
「せっかくの夢なのに、野菜ってことはないでしょ。きっとお菓子系の類よ!」
「そんなこと言ってないから」
あれこれ適当なことを言い始める二人に碧がため息を漏らしていると、彼女の隣に腰かけた菫は膝の辺りを突き、「私も、その話聞きたいです」と囁くように言った。
「あ、うん。でもね、本当に大した話じゃないから」
焦ったように碧が手を振りながら答えると、菫はどこかがっかりしたように頷いた。
「ねぇ。今度テストが終わったら、四人でカラオケ行こうよ」
亜美がそう言うと、朝陽はすかさず肩を竦め、「カラオケってお前、亜美の声はでか過ぎるんだよな」と口を挟んだ。
「いっそ、亜美だけマイク切るか」
「何よ、あんただって歌う時にマイク傾けすぎてキモいっつーの!」
「本人と同じように歌った方が上手く歌えるだろうが」
「上手い人はどうやったって上手いの。あんたのは恰好ばっかり真似てるだけだもん」
「亜美は恰好すら真似できないだろ。……それに、音痴のくせに」
「あっ! それを言っちゃおしまいよ」
二人の言い合いを見た碧は、普段ならば慌てて止めに入るところだったが、今日に限ってはどうにもそんな気が起きなかった。
それはひとえに菫が目を輝かせながら二人の喧嘩を眺めていたせいか、その合間に碧と交わした彼女の視線が妙に魅惑的だったせいかは分からない。
いずれにせよ、碧と菫は周囲の者に対して遠慮しがちな互いに対し、どこかで共感を抱いたことは確かだった。
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