第6話
「柳美人……?」
「碧のクラスでは、その子のこと噂になってない?」
クラスメイトと交流を持たない碧に他の学年の情報など入ってくるはずもなく、「うーん、一年生のことはよく分かんないかな」と彼女は答えた。
「碧はクラスの連中の名前すら怪しいもんだ」
朝陽の言葉に心配そうな表情を浮かべた亜美は、「まだクラスの子とあんまり話せてないの?」と碧に言った。「まさか、いじめられたりしてないよね?」
「ないない。私が勝手に人見知りしてるだけだから」
「いじめどころか、碧はいつも席に座ったままボーっとしてるよな」
「あんたがそうやって放っとくから、碧がクラスの子と話せないんじゃない!」
「なんで俺のせいなんだよ。それは碧の問題だろ」
「碧の問題って、そんな他人事みたいに――」と言いかけたところで碧は再び彼らの言い合いを遮るように「それで? 美人の一年生がどうかしたの?」と言った。
「柳美人ね」
人さし指を立てた亜美は「“柳のように美しい人”を簡略化したあだ名みたい」と説明すると続けて声を潜め、「それがね、私も後輩から聞いたんだけど、噂ではその子、クラスのみんなから避けられてるみたいなの」と言った。
「それって、……いじめ?」
「それとは少しニュアンスが違う気もするけど、とにかく誰も近寄らないんだって」
むしゃむしゃとパンを口に含んだ亜美は、すぐに一つ目を食べきってしまった。
「私の聞いた噂はその子の中学の頃の話でね、年上相手に売春してたとか、男を使って気に入らない女をレイプさせたとか、暴走族と一緒にバイクに跨って警察相手に大立ち回りとか。普通なら耳を疑うような話ばっかりなんだけど、みんな障らぬ神に祟りなしって感じで関わろうとしないらしいよ」
「それって、本当に全部嘘なのかな?」と碧は尋ねた。「中学の頃の同級生が広めたとか?」
「まぁ、だいたいは嘘なんじゃない?」
亜美は肩を竦めると、「私もそう思ったんだけど、その子は中三の途中でこっちに転校してきたとかで、二年までは都心の学校にいたらしいの」
「じゃあ噂を広めたのは、前の中学の子かな?」
「こんな田舎の高校にわざわざ進学する都会っ子がいるかよ」
朝陽が割って入ると、二人は揃って黙り込んだ。確かに都会から受験してやって来た新入生がいれば、今頃は耳に入っていても不思議ではない。
「じゃあ、一体誰が……」
碧が弁当箱を握りしめながら考え込んでいると、亜美はパンの包装をくしゃくしゃに握り潰し、「それよ」と言って得意げな表情を浮かべた。
「それって?」
「校内に出回っている噂話はきっと、彼女の美しさに嫉妬した誰かが流したデマなんじゃないかってこと」
「デマ?」
「そう。だって噂の真相も出所もはっきりしないなんて、何かおかしいでしょ?」
「噂ってのは、大抵そんなもんだろ」
朝陽は冷めた口調でそう言うと、「その子って名前は?」と続けて亜美に尋ねた。
「名前? えっと、藤咲
「何? あんた何か知ってるの?」
「知ってるっつうか、うちの部で騒いでたのがいたなと思って」
「それ誰?」
「相田」
「あぁ、あいつね。中学時代の異名は“ナンパ野郎”だって、女バスで噂になってる」
「その噂は間違ってない」
「もちろんよ。話したのは同じ中学出身の私だし」
「亜美もなかなかのやり手だな」
「友達想いって言ってよね」
「ねぇ、相田君は何て言ってたの?」
碧が尋ねると、朝陽は頭を掻きながら「俺も詳しくは聞かなかったけど、初めはやばい美人がいるって張り切ってたくせに、すぐにターゲットを切り替えたみたいなんだよな」と言った。
「噂を気にするような奴ではないんだけど」
「シンプルに相手にされなかったんじゃない?」
「柳のように美しい人だっていうしね」
亜美と碧が続けてそう言うのを聞いた朝陽は、「誰かさんが流した噂のせいだったりしてな」と皮肉っぽく答えた。
「私のやったことは、世の中の女性に対する救済行為だから」
「それほど悪い奴でもないんだけどな」
「何にしても、藤咲って子がピンチなのは変わりないってことよ」
亜美は意気込んでそう言うと、紙パックのフルーツ牛乳をストローで勢いよく吸い込み、「そこで二人に、ちょっと相談なんだけどさ」
相談――。
亜美は昔から、その台詞を用いて今までに何人ものはみ出し者を救ってきた。碧もそのうちに含まれる一人で、幼少期から人見知りで孤立しがちだった彼女に亜美が声をかけたのが友達になるきっかけだった。
今回はどのような試みをしようとしているのか、幼馴染の二人には大体の察しがついているものの、奇想天外な発想を持つ彼女の考えをすべて読み切ることは難しい。
「今度その子を、ここに呼んでみようと思うんだ」
「ここって、四人でお昼を食べるってこと?」
碧がそう尋ねると、亜美は力強く頷き、「正直学年も違うし、その子の反応次第になるとは思うんだけど、このまま放っておくのも何か気分悪いなと思って」と答えた。
思いのほか平凡なアイデアに拍子抜けした碧だったが、難しい提案をされずに済んだことに安心しながら「私は良いよ」と答えた。
「ずっと一人で過ごしてるのも、きっと寂しいだろうし」
まるで自分の話をしているように感じた彼女は、続けてぎこちない笑みを作った。
正直に言って、話し相手が増えた方が今の碧にとってはよっぽど気が楽なように思えた。幼馴染という関係性を大事には思っているが、恋人同士となった二人と過ごすのはやはり気まずく、ほんの少し虚しさを覚えてしまう。
「昼飯は三人って約束だったろ」
「ねぇ、あさひぃ」
朝陽はむっとした表情を浮かべたが、亜美の懇願するような眼差しに根負けするとやがて大きくため息を漏らし、「まぁ、ひとまず期間限定って話なら」と答えた。
「オッケー! 決まりね。じゃあ、今度その子に声かけてみるよ」と亜美が答えたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り始めた。
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