第2話 イライラスッキリふんわり優しいオムライス

 それから。

 私は仕事が終わった後、毎日家に帰る前にあの通りを覗くようになった。

 けれど、シロさんの屋台はどうやらいつも出ているわけではないようだった。あの日から毎日あの通りを覗いているけれど、シロさんの屋台のいい匂いも、屋台の影もなかった。

 また来て、と言われてから実際にゆかりがシロさんの屋台を訪れることができたのは、初めてシロさんの屋台を訪れてから二週間後のことだった。

 その日は仕事の会議の書類整理が終わらなくて、ほとんど終電と変わらない時間だった。

「はぁ〜今日も一日疲れたぁ……」

 とぼとぼと歩いていたゆかりが、家への曲がり角を曲がろうとした、その時だった。すぐ近くからふんわりと柔らかいあのお出汁のような匂いが漂ってきて、疲れきっていたゆかりははっと目を見開いた。通りを覗きこめば、少し入った所にシロさんの屋台がぽつんと出ているのを見つけて、すぐに早足で屋台へと向かった。ゆかりが近づいてくるのにシロさんも気づき、柔らかそうな手を小さく振ってくれた。

「シロさん! こんばんは!」

「こんばんは、お客さん。とりあえず座るにゃ」

 シロさんにそう促され、ゆかりはうきうきとしながら席に座る。

「シロさん! 私ずっとシロさんの屋台来てないかなって帰りに覗いてたんですけど、なかなか来ないから心配になってるところでした」

「それはごめんにゃ。僕は修行中の身だから、ここ以外にもいくつか回らないといけないところがあるんにゃ」

 シロさんは申し訳なさそうに頬をぽりぽりと掻いた。その仕草が飼っていたシロの毛繕いにとても似ていて、ゆかりは思わずにこりと微笑んだ。

「ソレで、今日は何か食べたいものはあるにゃんめか?」

「はい。それなんですけど……私、オムライスが食べたいです」

 この前と同じ質問をされて、ゆかりは期待をこめた目でシロさんをみつめながらそう呟いた。オムライスは、昔からゆかりの大好物だった。

「ふむ、オムライスにゃんめね……。何かアレンジしてほしいとかあるにゃんめ?」

「え、アレンジ? ん〜……今日は仕事がなかなか終わらなくてイライラしたから、気持ちがすっきりするようなオムライス……なんて、そんな抽象的なリクエストじゃ難しいですよね」

「いや、できるにゃ」

「え、できるんですか?」

「僕は修行中の身。お客さんのリクエストに完璧に答えていくのも理想の料理猫になる第一歩にゃ。任せるにゃ」

 シロさんはそう言うと、どこからか材料を取り出して、また慣れた手つきでざくざくと切っていく。イライラがスッキリするような料理……ゆかりはシロさんがどんなオムライスを作るのか気になりながらも、無言でシロさんが料理を作るのをじっと眺めていた。

 そうして少し時間がたった頃、ゆかりはまたうとうとしていたところを目の前にことり、と料理が置かれる音で慌てて飛び起きた。

「おまたせにゃ。イライラがすっきりする、名づけてイライラスッキリふんわり優しいオムライスにゃ」

 シロさんが出してくれたオムライスは、一見すると普通のオムライスのように見えた。ふわふわの卵で包まれていて、上には白いホワイトソースがかかっている。どこがイライラスッキリするんだろう、とゆかりは思いながら、手を合わせた。

「いただきます」

「どうぞ、にゃ」

 シロさんに促されるまま、ゆかりはスプーンでオムライスを掬ってぱくりと一口咥える。途端、スッキリするという理由がわかった。

「わ! 冷たい……?」

「そうにゃ。イライラしてカッカッしちゃったお客さんのイライラ熱をすぅーっと吸い取ってくれるようにゃ冷たさにしたにゃ。でも食材にもこだわってるから、体が冷えちゃうこともないにゃよ」

「おいし〜! それに、これよく見たらソースも普通のホワイトソースじゃない? なんかふわふわしてる……」

「そうにゃ。イライラを吸い取って、お客さんがふんわり優しい気持ちになれるようにちょっととろっとしたスフレみたいにゃソースを目指したにゃ」

「すごーい! 本当にひんやりしてて、それでいてまろやかで、それに、ちょっと甘みもあって……ん〜ほっぺが落ちそう〜」

「にゃにゃ? ほっぺが落ちちゃうと危なくないかにゃ?」

 言葉の意味が分からず本気で心配するシロさんに、ゆかりは笑いながら意味を説明した。するとシロさんは真っ白な頬をほんのりピンク色に染めて、ありがとにゃ、と小さくぽそりと呟いた。猫も照れると頬が赤くなるんだな、とゆかりは不思議に思いながら、ひんやり冷たいオムライスをあっという間に食べてしまった。

「あ〜今日も美味しかった! ありがとうシロさん」

「お客さんの役に立てたなら嬉しいにゃ」

「あの、お代は……」

「だめにゃ、もらえないにゃ。だから、また今度、次は近いうちに来ようと思うから、もう一度来てほしいにゃ」

「……うん、わかった。じゃあ、またシロさんの料理食べれるの楽しみにしてるね」

 ゆかりはそう言って屋台を後にした。通りの角を曲がるまで、ゆかりは何度か振り返り、シロさんに小さく手を振った。シロさんは嬉しそうに手を振りかえしてくれた。


 そうしてゆかりが曲がり角を曲がった後、シロさんは小さくため息をついた。

「また今度……でも、次が最後かもしれないにゃ。……ゆかりちゃん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る