第26話 「カス」ハラ考察

 カスハラという言葉が最近いろいろな場所で流行している。だが、爾来じらい、customer harrasmentとかcustomer's harrasmentという英語は聞いたことはない。

 そもそもharrasmentという言葉の定義は元来権力のあるものが優越的な立場からいやがらせをするという意である。欧米における供給者と消費者の間に一方的な優越関係は存在しないと承知しているので、ハラスメントという言葉は馴染まないのだろう。ちなみに客による執拗なクレームというのは英国でも存在していた。自分で対応したことはないが、プリンタの消耗品に関して何度となくクレームを受けた部下から報告を受けたことがあり、最終的に自ら顧客対応に至るまで対応した事がある。これも日本であればカスハラという事になるのかも知れないが、余り件数は多くなかった。5年間でわずか1件、カスタマーセンターに掛かってくる電話は純粋に技術的な質問が多かった。顧客が暇に飽かせて嫌がらせをするという形は確かに日本に特徴的なものなのであろう。

 とはいえ洋の東西を問わず、嫌がらせやいじめをするのは共通の行動様式である。英国でもドイツでもアジア人に対する人種差別的な行為には何度か出会ったことがある。日本でも隣国に対するヘイト行動に事欠かないし、お返しとばかりに同じ事が隣国でも起きている。こんなのは大抵無視すれば良いのだけど、下手をすれば社会問題になるし、東西ドイツの統合時はベトナム人への襲撃が実際にあった(そのおかげでアジア人社会には注意情報が出回った。僕らがドイツ人とオランダ人の区別がつかないように、欧米人の目にはベトナム人と日本人の区別はつかない)ので笑い事ではなかった。

 こうした行為自体は人間と言うより動物の縄張り意識的なものがベースとなっているので、猿山のボス猿がやっていることと大して変わらない。つまりは嫌がらせの根源というのは動物の本能にあるのであって、従って「人間的」ではない「動物的」な行為と認知して差し支えない。動物的な行為を含めて人間的と定義するか否かは、定義する側の問題であるが、個人的にはそうした情動は単に「動物的」と位置づけている。つまり、日本にもヨーロッパにも隣国にも猿のような人間は一定程度いるのだ。その猿の行為を放置していると、人種差別的なグループや、カスハラの主が現れる。結局、これは人間の本能を矯正できないまま放置している社会の歪みである。カスハラもそうしたものの1つの属であろう。

 僕はしかし、どうも世間がやたら「カスハラ」という形で取り上げるのはかなり偏った建付けであると思っている。確かに日本では「お客様は神様です」という言葉に代表される「見せかけの優越関係」がある。しかしそもそも商人が客を神様と敬っているとは到底思えない。せいぜい客と面倒を起こしたくない、という逃避意識があるだけで、それを間違った表現で表しているのであろう。

 三波春夫が「お客様は神様です」と言ったのがいけないのだ、などというような話があるが、もちろんそれは言いがかりである。いくら八百萬の神がいます大和の国とは言え、顧客の全てが神では数が不足してしまう。とにかくちょっとした優越が「神」と崇められるのは昔からの日本の特質(?)であって、古事記なんて登場するのがほぼ全員神だものだから、逆に「人間」を人、と指定するという不思議な現象が起きるのである。現代に於いてはネット上でも神とレジェンド(伝説の人物)に溢れ、大安売りで困ったものだ。ワンジェネレーションも持たない神様と伝説・・・。まあ、神様の大安売りは神の価値を暴落する事にしか繋がらないのは明白ではあるが。

 閑話休題。

 さっきも指摘したように世の中には勘違いしている人間というのは普遍的に一定以上いる。しかしそれが客先にだけいるというのは「もちろん」明白な誤りである。勘違い野郎は客であろうと、店主であろうと勘違い野郎なのである。そうした「教養のなさ」がどこに現れるか、人種差別に現れるのか、ハラスメントという形で出現するのか、それは社会の有り様によって変わってくるが根源は1つなのである。

 それは「自分の間違った(マイルドに言えば、殆どの場合どうでもいい)主張を相手に押しつける」という行為であり、常に客側から商人側というベクトルで成立しているわけではない。特にラーメン店など「供給側に勘違い野郎が多発する業種」ではharassment towards customerというケースが多発しているように見受ける。某系列ラーメン店では店主と常連客による新人(客)いじめが常態化しているように聞くが、まあ、「猿並の行為」と言って良いだろう。ラーメン屋さんの全てがそうであるとはもちろん言わないが、実態を見たり話を聞いたりするとかなりラーメン屋で起きる確率が高いのは何故だろうか?余り蕎麦屋とかうどん屋では聴いたことが無いのだけど・・・。

 ということでカスハラは再定義する必要がある。カスハラというのは「カスによるハラスメント」というのが正しい。優越的な地位にあるとは到底言えないのに、優越的な地位にあると信じ、相手を屈させようとする「カスによるハラスメント」こそがカスハラなのだ。

 と言うのも、ラーメン店に限らず「どうもカスが供給側にも随分いるぞ」という経験をしたからである。以前母が亡くなった時に、様々な手続きが必要になった。ガス・水道・電気・郵便、様々なものを止め、銀行や証券会社、カード、行政、税金・・・。様々な手続きをしている最中にも「人が死んでいる」にも関わらず供給側に「カス」はぞんざいした。

 一つは新聞の代理店である。同居していたわけではないので、新聞を止めるというのは最初に行う必要がある作業であった。止めない限り、郵便箱が溢れても新聞配達は配達し続ける。なので、すぐに電話を掛けて止めた。最初の反応は、と特に問題は無かった。

「分りました。明日から止めます。料金は前払いで頂いているので、後日こちらから精算金額と方法をご連絡します」

 「ご愁傷様です」の、一言もなかったが、言っていることは特に問題は無い。相手に連絡先を伝える。

 その後一通り、最初に行うべき事を済ませた僕は自宅のパソコンを使い、エクセルで作業工程表を作った。昔、M&Aを行っていたときに必ず必要とした作業なので得意と言えば得意の作業であり、「新聞」という項を作って一ヶ月先に*マークを入れて「精算確認」と記載した。一月もあれば精算は可能だろうと踏んだからである。

 それ以降様々な作業を順次こなし、葬儀を終え、役所への届けを済ませ、忙しく片付けをしている内に一月が過ぎた。しかし、新聞販売代理店からは連絡は来ない。たいした金額ではない事もあって暫く放置することにして、一ヶ月先の*マークを2週間ほど先延ばしした。しかし、2週間経っても連絡は無い。

 仕方ないのでこちらから連絡すると、電話に出た男は、

「すいません。担当者がいないのでまたこちらからかけ直します」

 と答えた。何という連絡の悪さであろう?代理店の方は「それが当たり前」と思っているのかもしれないが、そんな思考が斜陽産業の特徴である。駄目になる産業には駄目になる思考しか残っていない。仕方なしに更に2週間ほど先延ばししたが、案の定連絡は無い。小銭をしらばっくれてがめようとする魂胆は明らかになりつつある。まあ、それだけ厳しい業界なのかもしれないが・・・。しかし、放置するつもりはないので、こちらからかけ直した。出てきた男は、

「ああ・・・。それは精算する代金はございません」

と平然と答えた。

「いや、止めたのは○○日で、支払いは前月の××日ですから、精算金は残っていますよね。それに最初に電話を掛けたとき、精算があると言っていましたよ」

「それは・・・その時の担当者の勘違いで・・・」

「何が勘違いなのですか?」

 こう言うときは一方的に詰める必要がある。カスタマハラスメントと思うなら思えば良い。

「すいません。責任者が今いないので、追って連絡します」

 責任者でもないのに、「払えないとか、勘違いだ」とかどの口が言ったのであろうか、とは思ったけど

「分りました。今まで何度もそちらから連絡いただけると言うことでしたけど、今度は確実に連絡してください」

 と伝えた。理屈は詰めても出口を完璧に塞ぐのは余り得策ではない。さすがに日を置かずに電話が掛かってきて責任者と覚しき人が、

「千五百円ほどの精算になります」

と伝えてきた。

「そうですか・・・」

 答えたときの僕の心はもう冷え始めていた。

「では、そのうち伺います」

 実家からバスで3つめの停留所、20分ほどで行き着ける距離は千五百円という金額の多寡に関わらず、遠く、億劫な距離に思えてきた。

 結局、その代理店には手紙を送りその金額をその代理店が配達している新聞社が実施している子供のための募金に寄付するように求めたのだが、あれはどうなったのだろうか?募金に行かずに社員の昼飯のラーメン代に消えてしまったような気がしてならない。僕は勝手に世間が名付けているオールドメディアである新聞には敬意を払っているが、新聞代理店にはどうしても敬意が払えない。これが初めてではなく、新聞代理店の強引な営業には辟易したし、新聞の凋落の1つの要因はサブスクリプションビジネスに胡座をかいていた新聞代理店の責任だと密かに思っているくらいである。


 もう一つは信販会社である。本来なら誰かが死去すると銀行に届け出をする必要があるのだが、届け出た途端に口座は閉鎖されるので紐付いている信販会社のクレジットカードの代金の引き落としが出来なくなる。出来なくなっても信販会社が諦めることはないので、面倒が発生するのは容易に分ったので、信販会社に連絡して趣旨と「引き落とし」を続けるように口座を数ヶ月はそのままにすると伝えた上で、引き落としの最終予定がいつになり、口座をいつ閉めることができるのかを尋ねた。相続の申告期間は10ヶ月の猶予はあるが、放っておけばろくな事はない。回答は「情報の開示はできない」というような内容で、一体誰に忖度しているのか分らないような曖昧な回答であった。それでも、二・三ヶ月もすれば引き落としの手続きは終わるであろう。それから銀行口座の閉鎖をしても構わないだろう、とその口座だけを残して残りの口座を閉鎖した。三ヶ月ほど経って再度確認する。残っている引き落としがないかを確認すると、またしても答えられないようなことを言う。答えられないはずがないではないか?そもそもお金を使った人はもう亡くなっているのだし、債務も債権も

唯一の相続人である僕のものになるわけで、言っている意味が分らない。そう詰めると、

「いずれにしても口座を閉めて頂いて結構です。万一残っていても方法がありますから」

 というような趣旨の事を答えたので、債権債務を確定し相続手続きに入るために口座を閉めたのである。それから暫くして葉書が届いた。見ると「これこれの引き落としが出来なかったので、支払え。ついては手数料はそっちで払え」という趣旨である。もちろん、文面はもっと穏当であるが、内容は極めて乱暴である。こういうものを慇懃無礼と呼ぶのだ。こちらが何度も確認したにも関わらず、答えもしないで最後には手数料こっち持ちで支払えとは何事かと、思わず激怒した。早速電話をする。脳内は激怒しているが、話は論理的に、過去の経緯を繙き、

「従って、支払いはするが手数料は絶対に持てない」

と言い切った。本来なら過去分を含めて電話代だって払いたくないくらいである。しかし、もごもごと答える相手の回答は「社内の決まりなので手数料は顧客持ちで」みたいな趣旨である。仕方なしに、ついにクレームをつける際の伝家の宝刀、

「お前じゃ話にならん、上司を出せ」

 という言葉を使ってしまった。だって、話にならないんだもの。

 暫くして上司らしい女性が電話に出てきた。もう一度同じ事を繰り返したが、さすがに頭に血が上っていたことは否めない。

「そうですか、では録音があるので一度確認させてください」

という相手の回答で我に戻り、

「ならば○月×日の何時、担当者はAさん、それと△月▲日、担当者はBさんの録音を確認してください。こちらは間違えなくそういう趣旨で話をしています」

 と答えた。もちろん、こう言う電話は確実に記録を取ってある。

「はぁ・・・」

 相手は気圧されたように答えると、

「では後で連絡させて頂きます」

 と答えた。そこからの処理は速かった。木偶の坊のような担当とは違って、それなりに能力があるのであろう、あっという間に電話が掛かってきて、手数料分を引いて振り込んでくださいという回答がきた。

「確かに、お電話したとおりの内容でしたので」

 そう言った相手に

「お願いしますよ。支払わないと言うつもりはないが、いくら少額でも理由のない分を払わせられたら不愉快です。残念ながらお宅のカードを持っているから、僕が死んだときに同じ事が起こっては嫌なので」

「それは、もう」

 それは、もう・・・はその会社の中でどう消化されたのか、或いは昇華されたのか、僕には分らない。もしもNoだったなら、会社の幹部にまで文句を言っただろうからその方が結果が分ったかもしれないが・・・。これは会社のマニュアルがカスなのだ(し、それに疑問を持たない担当者もカスである)。

 だが、僕のしたような行動をクレーマーだとかカスタマハラスメントと言うならばそんな企業の商品を僕は使わない。それだけではない。電話やインターネットを使って会社に注意をしたこともある。値段を間違えているスーパー(最近は日本でも珍しいことではない。昔はそんなことはなかったのに。これは値付けが日々変更したり、時間で変更したりと複雑になっているのに技術でそれに対応せず、人力でしか対応していないからである。こんなのは店の問題ではなく本部の方に問題があるのだが、たいていは店が謝ることになる。こちらが本部の問題と指摘しているにも関わらず、だ)、空けにくい容器を使っているメーカー、そのほか品質問題や顧客対応。でも、それは純粋に「問題だと提起することが企業に取ってプラスであろう」と考えているからで、見返りも謝罪も求めていない。無視されたらそれまでである。(とあるファミリーレストランは完全に無視してきたので、その系列のレストランはこちらからも「ないもの」扱いになっているけど、そのトランザクションでは彼らは客を一人、失ったに過ぎない)

 カスタマーの声を聞かないとしても別にこちらは困らない。世の中にはまともなレストランはたくさんあるし、値札をしっかり管理しているスーパーだってたくさんある。僕はハラスメントをするほど暇ではないが、過ちを無視するほど不親切でもない。しかし、不親切にして欲しいというなら、それはそれでも構わない。いずれにしてもまともな会社とまともな顧客が残れば良いのである。カスに時間を使うほど、僕らは暇ではないし、暇であるべきでもない。

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