第24話 百貨店私見

 この章を書き始めたのは随分前の春の初め、夏に向けてポロシャツを買おうと思ってデパートに赴いた時、感じたことをもとにしたものであった。

 後述するけれど、従来、東急本店が(滅多に行きはしないけれど百貨店としては)僕のメインの買い物先であったのだが今年になって閉店してしまったのである。僕は東急電鉄の株式も持っており、優待もあるのでなるべくそこで買うようにし ていたのだけど、そもそも狭い優待(例えば従来から書籍、食料品や季節の贈答品などには使えなかった)の使える範囲はどんどん狭まっていった。仕方なく行った先の吉祥寺店ではもう殆ど使えるところはなく、それならば廃止して他の優待にするか、配当を増やしてくれた方がよほど良い。

 それはともかく、だらだらとこの章を書き足したり削除したり、こねくり回している内に時間が過ぎ、先日そごう西武の池袋本店の売却を巡って百貨店業界では60年ぶりのストライキが起きた。日本の主要企業でストライキ自体が起きることが滅多にないわけで「日本の経済全体がそこまで追い詰められてしまった」感は強い。もっとも正直なところ、ストライキ自体は「なんちゃってスト」の様相であった感はのがれないが。

 そもそも今回の豊島区まで巻き込んだ案件の最初のボタンの掛け違いはセブン&アイ ホールディングスという会社が百貨店事業を買ったことにある。日本の会社のM&Aが自分の事業さえろくに展開できないのに周りに手を伸ばして失敗する、そのてつを踏んだにすぎない。セブン&アイ ホールディングスはコアであるコンビニは今のところ順調なようで、百貨店などという事業に手を伸ばしさえしなければこんな目に遭わずに済んだのだろうが、それはそれで「先見の明は全くなかった」事業体が「百貨店」という過去の「憧れ」に飛びついたことによる大失敗と言って良い。もう一つ付け加えると、コンビニ事業自体日本での成長は限界にあり、海外に展開すると言ってもその流通形態はアジアを超えて発展するか相当疑問である。大丈夫か?というのが日本の流通産業の失敗の歴史を繰り返し見てきた人が持つ素直な感想であろう。

 これからチャイナリスクはどんどん肥大するであろう。中国を顧客の前提に据えたビジネスモデルはもはや成立し得ない(一時的に成立したとしても長期的に成立しない)。となれば、コア事業も成長という局面では相当リスクを抱えているわけでこのままではヤオハンのような「かつてのスーパーの二の舞」を演じかねない。流通の規模の拡大というのは常にそうした課題を抱えている。正直なところ流通は規模の拡大が順調な成長を促すビジネスモデルではないのである。それは規模の拡大と同時に発生するリスクの増大とコストの増大、管理能力の低下などを総合的に見れば明白な歴史的事実である。

 そんな流通業態の中でも百貨店事業が凋落を始めて久しい。消費者の購入パターンの変化、低価格路線、スーパーの台頭(と衰退)、ネット販売など様々な原因が取り沙汰されているが、要は販売形態の多様化によるチャネルとしての物量が固定的な販売体制の固定費と見合わなくなってきたのが実態であり、その中で誤った方針を(業界全体として)取ってしまったため、ネガティブな(回転)に引き摺りこまれてしまったというのが実態であろう。

 決定的な誤りは「そのチャネルが全く不要だ」という事ではなく「そのチャネルが扱える量が固定的要素を下回った」という事実を調整する機能が業界として迅速に働かなった事である。その結果、不要に傷が大きくなり、「百貨店」というビジネスモデル自体が否定されるという誤謬ごびゅうが成立した。

 僕が思うに「百貨店は必ずしも不要な存在ではなく、一定の需要があるチャネルであり、その規模にできるだけスムーズに移行する事でしか業態を守れない」ということである。地方都市で残ることが出来なかったのは、地方都市でその業態を守ることが出来る規模に至る以前に競争を始めとした誤った処方によって体力が落ちたことが大きな要因なのであって、特に大都市に於いては今でもやり方次第で「百貨店」が存在する余地は十分にあると思う。

 百貨店には、そのチャネルのみが供給できる重要な要素、信頼・高級感・品揃えなどの要素が存在したのであって、凋落の中でそうした要素を削っていったのは他ならぬ百貨店自身であった。だからこそ残るのはそうした要素を極力削らなかった会社の方であり、鉄道系の百貨店は全滅を遁れないだろう。


 個人的に言うと、以前は溝ノ口に住んでいたので二子玉川の高島屋をメインに使っ ていたのだが品川に引っ越してからは主に東急本店を使うことにしていた。贈答や高額商品の買い物の他に書店や場合によってはレストランなどなかなか便利に使っていたのだが、規模の割に客数が少なくて不安に思っていたら案の定、つい最近閉店してしまった。閉店間際になると、何処からか「客」や「ファン」が集まって蛍の光を歌う事になるのだが、そのファンなり客がもう少し買えば閉店に追い込まれることはなかったのではないかしら?東急本店は私鉄系の百貨店の中では質としては比較的まともな方だったのだけど。残った鉄道系の百貨店はかなりの数を回ったけれどもはや店舗貸しの不動産事業に堕しつつある。そんな中途半端な百貨店ならばない方がいい、とは思う。ファストファッション・百円(ないしは三百円)ショップ、廉価な靴の販売店・・・僕らはそんなものを百貨店に求めていないのだ。


そうしたものを百貨店に取り込むのは短期的なモデルとして、キャッシュフロー上では正しいのだろうが、実際は百貨店の本質を崩壊させるがん細胞のようなものである。何もそうしたビジネスががん細胞と行っているのでは無く、百貨店というビジネスモデルにおけるがん細胞なのであって、そうした無理をしてまで百貨店に存在して貰いたいとは思えない。残念ながらターミナルにある私鉄系百貨店の殆どはそうした状況に陥っていて(東急の本店はそうでもなかったが)遅かれ速かれその役目を終えるものだろう。寧ろそれ以外の百貨店にそうした状況が感染しないように祈るしかない。


 かつて百貨店事業がめざましい発展を遂げた所得倍増時代に鉄道事業者を始め、様々な事業者がその事業に参入し、それが一段落して消費者が安さを求めたときスーパーに素人までが参入した。コンビニはその事業形態に参入障壁が多いことから一見、過剰感がなさそうなのだが、コンビニ事業者は「フランチャイズ方式」によってそのパートナーであるべきフランチャイジーを搾取することで維持され、その持続性をスケーラビリティに大きな疑問がつく。事業者もそれを意識し、海外への展開を模索しているが、その行き先にも疑問符がつく。流通業は常に青い海を赤い血で染めてきた。その始原は百貨店事業にあるのだから、百貨店事業が立ち直ることは「流通業のあるべき姿への再生」への道を提示することになるかもしれない。

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