第14話 ふるさと?納税

 最近の政策の中でもっとも愚かしいのは「ふるさと納税制度」である。

 もちろん一度も使ったことはない。退職してからは、地方税の納税もあまりしていないのだろう(全くしていないわけではないけれど)といわれればそれまでだけど、とんでもない金額を納税していた時でさえ、この政策はあまりにも愚かだと考えていて使わなかった。まさか今に至るまでこんな制度が存在し続けるとは思ってもいなかったが。こんな政策でも論理的に反対できない政党と行政が今の日本の実態なのだろう。

 ふるさとに対して納税する、ということに異を唱えているわけではない。ふるさとに一部を納税して自らの故郷の財政逼迫をたすける、という事なら諸手もろてを挙げて賛成である。しかし、現行のふるさと納税制度はすべての参加者(この制度で人気取りを図った政治家、この制度を推進して本来有るべき制度の作り込みに手を抜いた総務省、この制度を活用するといえば聞こえが良いが他の自治体の税金を横取りする自治体、税金の対価としてものを受け取ろうとする納税者、そしてその制度に乗っかってテレビ広告などをしている事業者)が「浅ましい」としか思えないのである。このような制度を思いついた人間が一瞬たりとも一国のトップに立ったと思うと唖然あぜんという思いしかない。

 「納税は国民の義務」である、ということは小学生でも知っている。その義務の範囲は国税だけではなく、地方税にも及んでいるはずだ。にもかかわらず、政府自身がその先を国民の恣意しいによって変更できるとしたことで、都道府県の徴税権がないがしろにした。本来、自身の属する地方公共団体に納められるべき税金が一部の人間によって(その彼ら自身の利益のために)他の地方公共団体に移管される事に対して誰も文句を言わないのが不思議である。もともと地方税は制度的に欠陥があり(豊かな財政のところはますます豊かになり、その逆もまた真である)そのために地方交付税という形で国家が調整をする機能として存在する。その交付税という制度にもある程度、欠陥があるのは承知している。しかし計算式によって行われるこの税金の再配賦に問題が存在するなら、その問題点を解決するように論理と計算と実行方法を見直すべきであり、無責任な制度でごまかすべきではない。

 ふるさと納税という仕組みは単純に考えても「地方が負担すべき事業、即ち自治体の住民が払う税金の総額」から「ふるさと納税に対して支払われる対価、およびそれに付随する作業費、事業者に対する手数料などの総額」を減ずる結果を招く。本来なら整備されるべき社会的インフラ、即ち河川、道路、水利その他の事業は「納税者に対する景品」に劣後する扱いを受けざるを得ないのである。それが長期的にどんな結果を齎すのか、普通に考えれば分ることであろう。

 もちろん、ふるさと納税に経済的効果がないといっているわけではない。しかしこれは明らかに間違った制度なのである。こんな制度が成立する国家などありえないであろう。単純に、僕が住んでいる東京都のある「区」から本来納められるべき税金がどこかの「市」に寄付されることによって、「区」で提供されるべきサービスが提供されなくなった場合、「ふるさと納税」をした納税者の責任で「区」はその事業を提供できなくなり、その余波は通常の納税者に及ぶのである。もし、その事業が不要というならば、「税金」を減額するのが「筋」なのである。その「筋」を守らなければ、やがて「全ての住民」が「自ら居住している地域への納税をしない」という選択が合理的になる。そんな「合理」を作り出した馬鹿はどこの何奴どいつだ、という話なのである。それに「ふるさと」などという実態とかけ離れた命名をした無責任な奴はどこにいるという話なのである。こういうくだらない政策で人気取りをする政治家も政治家なら、こんな政策を認める国民も国民なのであるが、もっとも駄目なのは官僚である。一昔前ならこんな政策を官僚が黙っているはずはなかったのであるが、官僚を政治の下に置こうとした政治家のせいで官僚がほんとうに劣化してしまったのだ。


 納税は国民の義務と憲法で規定されている。もし、この制度がどこかの自治体の財政悪化を招き、結果としてその自治体が破綻するに至ったら(地方自治体の実質的財政破綻は世界的に見ても日本に於いてもさして珍しいことではない)義務として住民に負担がかかることは容易に想像できるのである。もしかしたらこの制度は「ふるさと納税」という制度で金集めをしなかった地方公共団体は自らの責任で破綻したのだというお粗末な論理を押しつけるために実施しているのだろうか?だとしたらそのへっぽこ頭をたたき割るしかない。

 地方自治の仕組みには浅ましく下らない制度ではなく、きちんとした制度設計が必要なのであるが、総務省はそれを放棄した。まあ、その程度の省庁なのである、とは思っていたが、旧内務省という誇りは未だに捨てていないのだろうか?しかし、少なくとも「自治」省という名前はもう元に戻す権利はなさそうである。名は体を表すと言うが、総務省などと言う「何でも屋」みたいな名前を冠した時点でこの組織は駄目になったのであろう。

 

 いずれ、この制度は何らかの形で壊滅するだろうけれど、こういうmal-economy、mal-sysytem(本来はあってはならない経済、社会システム)を政治の側から作り出すという病気は最近の日本で顕著である。「大学全入制」とか「ふるさと納税」とか一見口当たりの良い政策ほどとんでもない仕組みなのである。そんな仕組みに嬉嬉ききとしてだまされている内に、日本は学問でも経済でも様々な他の指標でも他国の後塵こうじんを拝するという仕儀しぎに陥っており、その状況はさらに悪化していくのであろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る