第9話 戦争というもの

 ロシアがウクライナに侵攻を始めてから一年が過ぎた。ロシア側の当初の期待に反してウクライナは国際社会の支援を得て良くねばっている。寧ろロシア国軍の弱体が目立ち、それをロシア内部、とりわけワグネルという傭兵組織を指揮するブリゴジンが批判するという奇妙な状況が現出しつつある。

 そもそもこの戦争の大本おおもとは2014年に遡り、当時のヤヌコービッチ大統領が国民の意に反しロシアとの関係を継続することを選択した結果、政権が崩壊し大統領自身がロシアへ逃亡、その反撃を口実にロシアがウクライナに侵攻しクリミアなどの地域を併合した事である。

その時、クリミアを不法に占拠したにもかかわらず国際社会がそれを許容したかに見えたことでロシアは勘違いをしたのだ。即ちウクライナを侵攻したとしても国際社会はそれを許容するであろうと・・・。ウクライナはNATOに加盟することによってロシアと対抗しようと目論んだ。そのゼレンスキーの戦略をロシアは「ロシアを盟主とする体制」への裏切りと断じ、侵攻を決意したのである。しかし、その「盟主とする体制」そのものがロシアの抱く幻想である事にロシアとプーチンは未だに気づいていない。

 日本に拘わらず世界の一部の政治家、論客に「ウクライナは自国民を助けるためにロシアの意図を汲んで戦争を収束させるべきだ」という主張がなされている。こうした主張の論旨は多岐にわたっているため一概に批判するわけではないし、その一部には傾聴すべき内容が全く欠けているというわけではないが、基本的に容れられない主張である。そもそもウクライナ国民の考えをそれ以外の国民が決めようとすることが不遜であり笑止千万なのだ。そうした主張に加担している日本の政治家を見ると、それらの政治家はもしロシアが日本に侵攻してきたならすぐさま「ロシアの手先」になるのであろうと確信した。そうした輩は日本にもアメリカにもいるが、その発想は地政学的な色を帯びてはいる物の幼稚な「過去の遺物」的発想である。

 そもそもウクライナは「民意に基づいて」ロシアと離反したのである。「ロシアとウクライナは一体」というプーチンの主張を是とするならば歴史的な観点から見てもあるいは現在の政体のあり方から見てもロシアがウクライナに統一されるべきであろう。愚かな思想の下にある政体が領域外の国を自らの物にしようとするのはもってのほか、である。それはロシアと同盟関係にある別の国家にも当てまる。

 渋々であるがロシアの立場に立てば、離反した味方は最大の敵になり得る。また離反を許せば、同じ事が周辺国家に起きる。その事はソビエト連邦が崩壊し、旧東欧諸国、例えば東ドイツ・ハンガリー・チェコなどの国家がドミノのように離反した時に痛切に感じたことであろう。しかしまさにその時、彼らは本質的な変革をすることを怠り、従来と同じような軍事に力点を置いた支配形態を継続したことが今回に繋がり、これからも同じ事を恐れなければならないという状況を招いている。それはロシア「自らが招いた厄災」なのだ。

 実は時代と共に国家の役割は少しずつ変容している。第二次世界大戦に至るまで、国際社会を構成する全ての国家はその役割を「自らに所属する国民の利益のために、場合によっては他国の利益を侵害してでも、国際社会で自国の利益を最大限に追求する」ことを目的とした共同体として認識していた。当然、自国の利益は他国の損失、ないしは利益の減少に繋がるというゼロサム理論が成立する、という前提を踏まえた上で、なおかつそれを追求する「自己認識」と「レゾンデートル」が国家の共通認識であった。第一次世界大戦後に国際連盟という上位の存在を作り出してもなお、国家に関する概念は何ら変容することなく継続した。もちろんそのために国際連盟は機能不全に陥り、二度目の世界大戦を招いた。この頃、西欧のmodernizedされた国家においては、明示的ではないが従来の国家観を多少、修正する必要を認識したのであろう。

 即ち、戦争という(どう考えても全体としては負であり、おおよそ、その成り行きの制御が不可能である・・・つまり賭としては危険極まりない)行為を防ぐには「国家がその利益を可能な限り追求するという行動形態を是とせず、何らかの形でそれを防ぐ」ことが重要になったのだ。もちろんそれまでも「外交による戦争の回避」の努力は成されたのであり、タレーランやメッテルニヒが活躍する余地はあったのだが、最終的には「国家の利益の追求」は常に優先的な位置にあり、また「戦争を辞さない」という姿勢こそが戦争を防ぐ最善の手段であったわけで、回避へと行くベクトルの効力は限定的であったのである。

 プーチンはウクライナの政権を「ネオナチ」と非難しているがそもそもプーチンのやり方こそがナチズムに親近性が高い。ナチが戦争によってのみ政体の生存をかけたのを同じように引き継ぐつもりなのであろうか?

 さすがにそれを引き継いで行くには「戦争」に使用される兵器がそれこそ、「世界を破滅させる」可能性が出てきた事、つまりは核分裂と核融合という技術要素こそが「戦争」というものの概念をそれまでと変えたことまでは共通認識なのだ。だがそれにも拘わらず領土思想に基づく古い「地政学」をロシアも中国も続けている。それが自分たちにとっての安全保障であるという旧弊きゅうへいなロジックは「旧弊」だけに(昔は効力を発揮したという経験則があるために)有効で愚かな体制はそれにしがみ付くことによってのみ維持できると考えられている。

 要はプレーヤーの質の問題なのだ。この「プレーヤーの質」問題は実はこちらの側にも存在している。フランスの現大統領は、ドゴール気取りで中国に接近している(アメリカに対抗して)が、もしドゴールが今存命していたらマクロンなど一瞬のうちに蹴散らしてしまうであろう。1960年代のロジックで2020年という時代をマネージする事は出来ないし、先達のやり方を単に真似るというだけではこの複雑な世界を渡っていける筈もない。年金改革で不評を買っているのは可哀相だし(というのも年金改革というのは現政権が批判されるべき性格の物では、常に、「無い」ものだから)ルペンなどと戦わされるのも同情の余地はあるのだけど、どうもこの大統領はフランスという複雑な国家を経営するには軽率過ぎる。現政権が登場するまで(現政権も時々どうかと思うが)日本の首相は何代か(少なくとも二代は)どうしようもないレベルだったので他の国を批判するのもどうかとは思うけど。

 この旧弊の思想は本来なら戦争を抑止する目的であった筈の核兵器を引きずり出すことで「旧弊のロジック」を生きながらえさせようと目論んでいる。だが、それを行ったとき、その国家と国民には死のみが待ち受けているのだろう。それは致し方のない制裁なのである。生き残った国家にも無関係の国家にも地球という生態系にもそれは膨大な損失を招くであろうが、おそらくそれを目の当たりにしないことには愚者は

「理解」さえできないのだ。中国にしてもロシアにしても」統治の能力がない国に限って無理やり力で制圧して国土を拡大する愚かな行為をするという迷惑行為を憚らず、それが自らの「核心的な国益」だという馬鹿な主張をする。「核心的な国益」という言葉は狂気に駆られた犯罪者の持つ刃物のような意味のつもりだ。君たちの支配に入りたくないのだよ、という初歩的な理解さえ拒む膨張主義者を止めるのはどのような方法があるのか、今ひとたび我々は考えるべきであろう。まずは支配領域に対する経済的負荷をかける(とりわけ占領的領地には)のがまず最初のステップであろうか?


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