第18話 試練の迷宮へ

 新しい旅立ちの朝が来た。

 孤児院を卒業する子供達のために、ガド達がちょっとした贈り物をしていた。

 渡されているのは霊薬だ。

 最低品質のものを回復薬10級とするなら、渡されているのは一つ上の回復薬9級といったところだろう。

 これを一人一瓶と、数枚の銀貨を餞別として配っている。

 これらを受け取った子供達は、それぞれ自分の進むべき道へと進んで行く。

 それは、商人や職人であったあり、役人や冒険者でもあった。

 マルクは、列の最後尾に立って待っていた。

 隣にはレティシアがいる。

 列から人の流れが無くなった頃合いで、ガドの元へと近づいて行く。

「オレ、レティシアと冒険者になることにしたよ」

 悩みも迷いもなくなった顔で、マルクは言う。

 身にまとう雰囲気をみて、ガドは満足した顔になる。

「決めたんなら何も言うことはない」

 そう言いながら、マルクに餞別を渡し、レティシアのほうを見る。

「お嬢ちゃんも、それでいいんだな?」

「うん。マルクと一緒」

 ガドに聞かれたレティシアは、マルクに抱きつきながら答える。

「フッ。ベタ惚れじゃねえか」

「別に、そんなんじゃ…」

 からかわれて否定しようとするが、レティシアに見つめられて尻すぼみになってしまう。

「そうからかうものじゃないぞ、ガド」

 見かねたベイロアが、横から口を出す。

「そのようなことを言うと、発展するものも発展しないだろう」

「そいつは悪かったな」

 まったく反省してない顔でガドは謝る。

 それに対してマルクは、顔を赤らめてそっぽを向いてしまう。

「フッ。お嬢ちゃん。こいつはお前さんのぶんだ」

 まったく気にした様子を見せないレティシアにも、ガドは皆んなと同じ餞別を渡す。

「うん。ありがとう」

 お礼を言うレティシアの笑顔は、今日も咲き誇る花のように美しかった。

「行こう。レティシア」

 不貞腐れた顔のまま、マルクはレティシアの手を引いて孤児院から旅立つ。

 レティシアの満面の笑顔を、独り占めするかのように。

「困ったことがあったら、いつでも相談に来たまえ」

 この言葉は二人だけではなく、旅立つ全ての子供達に送る言葉だった。


 広大なアルントの街を、マルクはレティシアの手を引きながら歩いていく。

 向かうのは、街の東側。距離が結構あるので一時間以上かかってしまった。

 日が明るいうちにたどり着くことができた場所は、堀に囲まれていた。

 水のはられた堀の向こう側には行けないのかと言うと、そのようなことはない。

 南側に橋が一本かけられている。

 橋の先には台形をした巨大な構造物があり、正面には仄暗く開いた入口がある。

 古代の墳墓のように見える、この不思議な建物がアルントの街にある試練の迷宮だ。

 試練の迷宮とは、神話の時代に神が人間に悪魔と戦う力を与えるために、世界中に作り出したものだ。

 迷宮には、モンスターと呼ばれる異形の怪物がさ迷っている。

 モンスターは、人を見つけると襲いかかってくる。

 それを撃退することで、人間は力を得るのだ。

 力が及ばなければ死ぬこともありえる。

 迷宮の中で死んでも、生き返るなどということは決してない。

 モンスターとの死闘を制することができた者だけが、悪魔を討ち破る英雄になることができるのだ。


 マルクは、堀にかかった橋の手前で一息ついていた。

 急ぎ足で来てしまったためか、少し息が乱れている。

 後ろにいるレティシアは、悪い虫がつかないようにフードを目深にかぶっていて表情はわからない。

 何も変化が見られないから、涼しい顔をしているのだろう。

 照れ隠しの勢いのまま来てしまったマルクは、息を整える。

 大きく息を吐いた後に、レティシアの方へと向きなおる。

「レティシア。このまま迷宮に挑もうと思う。大丈夫か?」

「うん」

 予想通り、疲れを感じさせない声で、レティシアは返事をする。

「よし、行こう」

 マルクは、意気揚々と橋を渡る。

 孤児院にいる時は、迷宮に行くのを禁じられていた。

 何の訓練も受けていない人間が、いきなり行って攻略できるほど、迷宮は甘い場所ではないからだ。

 色々と迷いはあったが、こうして冒険者としての第一歩を踏み出せたことに心を躍らせていた。

 逸る気持ちを抑えながら橋を渡る。

 レティシアを、置き去りにしないように気をつけながら。

 マルク達は、このまま正面にある入口へと向かう。

 しかし、ここに向かう人の流れは三つに別れる。

 マルクと同じように正面の入り口に向かう者と、左右に分かれて歩いて行く者達だ。

 実は、ここにある迷宮の入り口は一つではない。

 東西南北に、それぞれ難易度の違う入り口があるのだ。

 目の前の入り口が、一番難易度が低く、右回りにあがっていく。

 アルカスの迷宮は、このような形をしているが、全てが同じという訳ではない。

 地域によって様々な形の迷宮がある。

 噂によると、壁面にびっしりと百の入り口がある場所もあるという。

 そういうのも見て見たいというのも、マルクが一人で世界中を旅してみたいと思う理由の一つであった。


 初めて迷宮に挑むマルクが入る入り口は、当然一番難易度の低い南の入り口だ。

 無理して背伸びした結果、死んでしまっては元も子もない。

 その点いついては、よく言い聞かされていたので、それにならうつもりだ。

 橋を渡り終えたマルクは、猪突猛進せずに装備を確認する。

 マルクの武器は、ショートボウと解体用のナイフだ。

 弓も矢も、ベックに教わって作ったお手製だ。

 それだけでなく、鏃とナイフも手作りだ。

 金属製品は、高くて手が出ないので、解体の時に出た動物の骨で作ったものだ。

 これらの製法は、ベックが知っていた。

 ベックは、孤児院にいた子供時代に、先輩の卒業生から教えてもらった。

 こうして技術というのは、後輩へと受け継がれていくのだ。

 武器のチェックを終えたマルクは、その他の装備を確認していく。

 迷宮までは、勢いで来てしまったので、もらった霊薬が一本と、わずかばかりの銀貨しかない。

 本当なら、一旦引き返してほうがいいのだろう。

 アルントの東側は、迷宮を中心に栄えているので、周辺には冒険者向けの店がたくさんある。

 そこで、必要なものを揃えてから、迷宮にくるのが正しいだろう。

 しかし、マルクも冒険者として活動しようとする身。ここまで来て引き返すという選択をすることができなかった。

 身の丈にあった迷宮に挑もうとしておいて、準備不足でも突き進む。

 矛盾しているように見えるが、冒険に情熱を燃やす若者とは、こういうものなのかもしれない。

 念願の第一歩を踏み出そうとしたところで、入り口の横で言い争っているパーティーがいることにきづいた。

 気にせず通り過ぎる人と、野次馬になって見学する人がいる中で、マルクは野次馬になることにした。

「行ってみようか」

「うん」

 興味が引かれるままに近ずいてみると、そこにいたのは、よく見知っている四人組だった。

「何をやっているんだ?」

 ジャックとヤクトが何かを言い合っている。

 それを横からロジャーが、不快な顔でツッコミを入れ、ロンがオロオロしながら宥めている。

 しばらく見ることはないだろうと思っていた寸劇が、早速目の前で繰り広げられていた。

 何だか面倒ごとに巻き込まれそうな気がするので、マルクは見なかったことにして立ち去ろうとする。

 しかし、一足遅かったようだ。

 今にも泣きそうな顔をしているロンに見つかってしまったからだ。

「マルクくん」

 情けない顔で泣きつかれたマルクは、仕方がなく言い争う二人へと割って入る。

「二人とも、こんな所で騒ぐと邪魔になるぞ」

 声をかけられた二人は、一旦黙り込んでから、マルクのほうを見る。

 誰に声をかけられたかわかると、ジャックはマルクへと突撃する。

「聞いてくれよマルク!」

 ロンと同等か、それ以上に情けない顔をして、嘆いた様子を見せる。

「東の迷宮に行こうと言っただけで、皆んなが怒るんだぜ」

 ジャックの泣き言を聞いて、マルクは理解するとともに、呆れ果てていた。

 初心者がいきなり、この街で一番難易度が高い迷宮に挑もうというのだから。

 見た感じだと、いつもの軽い調子で言って、ひんしゅくを買ったのだろう。

 そのため、ヤクトに、いつものように説教をされ、ロジャーに呆れられ、ロンが右往左往する羽目になったのだろう。

「お前が悪いぞ」

 ため息とともに、マルクが断言する。

 言われたジャックは、ひどくショックを受けた顔になる。

 そのまま数歩よろめいた後、すぐ側にいるレティシアへと抱きつく。

 フードを目深に被っていても、共に過ごした時間があったおかげか、本人だと間違えなかったようだ。

「レティシア! お前はオレの味方だよな!」

 みっともなく胸に顔をうずめて、ジャックは泣き言を言う。

 抱きつかれたレティシアは、嫌がる様子を見せることなく首をかしげる。

 何かを考えこむような素振りを見せた後、幼子のように頭をなでる。

 そのようにされたジャックの表情は、たちまちだらしなくにやけたものになっていく。

 だらけた顔をしたジャックを見て、マルクの心中に暗くて不愉快な感情が、すぐさま湧きあがる。

「ジャック。離れろ!」

 嫉妬と憤怒の感情に任せるままに、マルクはジャックの首根っこを掴んで引っ張る。

「わっ! なにすんだ」

 突然のことに驚いたジャックは、レティシアのマントを掴んで、慌てて抵抗する。

 しかし、思いのほか力が強かったためか、掴んでいたマントごと引き剥がされてしまう。

 そうなると、当然フードが外れて素顔もさらされる。

 腰まで伸びる金の絹糸のような髪。

 白磁のように白い肌。

 若葉を思わせる鮮やかな緑色の瞳。

 覇気のないぼんやりとした表情をしているが、それが逆に神秘的な雰囲気があるように見えてしまう。

 ジャック達の言い争いを見ていた野次馬達は、降って湧いたように現れた絶世の美女に、視線が釘付けになる。

「レティシア!」

 これはヤバイと思ったマルクは、ジャックの手にあったマントを急いで奪い返してレティシアに被せる。

 うまく身に着けられたかなど確認せずに手を引いて全速力で、その場から離れる。

 手を引かれているのがレティシアでなければ、とっくに転倒していたかもしれない勢いで。

 どこをどう進んだか覚えていないくらい必死で走ったマルクは、人気のない路地裏に来た所で足を止める。

 息が乱れたので、胸に手を当てて呼吸が落ち着くのを待つ。

 手から伝わる動悸が、自分がどれだけ慌てていたかを物語る。

 目をつぶって天を仰いでいるうちに、息が整う。

 心に余裕が生まれたところで、レティシアの方を見る。

「うっ!」

 なんとも気まずい顔になるマルク。

 確かにレティシアの顔はマントで隠れていた。

 ただし、覆いかぶさった状態になっている。

 前方が完全に塞がれていて、何も見えなくなっていた。

「ごめん」

 心から反省した顔でマルクは、レティシアの顔を覆うマントをはずした。

「うん」

 こんな状態で、よく転ばなかったと感心してしまう。

 ひどい目にあったはずのレティシアは、気にした素振りも見せずに、息を乱すことなく微笑んでいる。

 一旦落ち着いたマルクは、これからどうするのか考える。

 本来なら迷宮に挑むつもりだったが、興が冷めて行く気になれなかった。

 それ以外に何かすることがあるとすれば、街をぶらつくことぐらいだろう。

 この辺には、冒険者向けの店が多くあるから、それらを見て回るのもいいだろう。

 気分を持ち直したマルクは、早速レティシアと向き合って、これからのことを相談する。

 だが、その前に何者かが近づいてくるのに気がついた。

「誰だ?」

 弓を構えて、裏路地の暗がりに注意を向ける。

「オレだマルク」

 姿を現したのはロジャーだ。

 どうやら、後を追いかけて来たようだ。

 慌てて逃げたので気がつかなかった。

 相手が誰かを確認したマルクは、緊張を解いて弓を下ろす。

「ジャックがすまなかった」

 先程のことでロジャーが謝る。

 ロジャーは、マルクがレティシアに寄って来るナンパ野郎を、疎ましく思っていたのを知っていた。

 神殿の売店の手伝いをしていた時に、辟易する思いをしていたのを、憶えていたからだ。

 あの時のことと照らし合わせて見ても、あのまま迷宮の前にいたらヤバイことになっていただろう。

 レティシアほどの美人なら、あっと言う間に囲まれて、勧誘という名のナンパ合戦が始まっていたかもしれない。

 そうなっていたら、収拾がつかずに丸一日動けなかっただろう。

 考えただけでも、身震いしてしまう。

「そこにいたのかロジャー」

 遅れてヤクトがやって来た。

「おっ。本当だ」

 次いでジャックが。

「ハァ ハァ。みんな速いよ」

 最後に、少し間をおいてロンが辿り着く。

 一番体力がないためか、一人だけひどく疲弊している。

「いやぁ、さっきは悪かったな」

 ロンが落ち着いたのを見て、ジャックが謝る。

 頭をかいてヘラヘラ笑っている姿からは、とても反省しているようには見えない。

 それでも、自分もジャックに悪いことをしたという思いがあるので、謝罪を受け入れる。

「そうか。それなら良かった」

 マルクが、思ったより怒っていないように見えて、ジャックは安心した顔になる。

「なら、これから皆んなで迷宮に行くか」

 続けた出た言葉に、皆んなが驚いて目玉が飛び出るような顔になる。

 レティシアは、相変わらずぼんやりとしている。

「何を言っているんだ。あんなことがあったばかりだぞ!」

 ジャックの言葉に、真っ先に反応したのはヤクトだ。

 騒ぎを起こした自分たちが、間をおかずに再び向かえば、トラブルを起こすのではないかと心配している。

「えっ。でも、ヤクトは明日から神学校に行くんだろう?」

 そう言われて言葉に詰まるヤクト。

 神官の適性のあるヤクトは、これから三年間街の南側にある神学校で、修行することになっている。

 そうなると、毎日ジャック達と迷宮に行くことができなくなる。

 毎日潜る人間は滅多にいないが、それでも行ける回数に差が出るのは確かだろう。

 だからこそ、皆で行くことができる迷宮の第一歩は、今日でなければならないのだ。

 普段能天気なジャックが、そこまで考えてくれていたことに、ヤクトは感動していた。

 不覚にも涙が出そうになったので、上を向く。

 それから、皆の方を見渡す。

 ロジャーとロンは、異存がないようだ。

 それから、自然とマルクのほうへと視線が集まる。

 まさか自分も数に入っているとは思わず、マルクは戸惑う。

「オ、オレは…」

 今ままで彼らの勧誘を断ってきたマルクは、素直に賛成できなかった。

 しかし、そんなことなど構わず、ジャックはマルクの肩をたたく。

「今日だけでいいから組もうぜ」

 頼りになる笑顔で言われたマルクは、思わずレティシアのほうを見る。

「いこう。マルク」

 レティシアは、ぼんやりとした顔はせず、優しい笑顔で答える。

 マルクは、レティシアは賛成してくれたのだと思い、ジャック達と一緒に行くことに決めた。

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