第17話 卒業

 長らく雪に覆われていたアルントの街に春が訪れた。

 身を切るような寒風は過ぎ去り、陽気で暖かな春の風が、代わりに頬を撫でる。

 マルク達も数えで13才になり、この春で孤児院を卒業する。

 毎年この時期になると、孤児院では宴の席が設けられる。

 春の訪れと、子供達の門出を祝うためだ。

 酒はでないが、豪勢な料理を皆で協力して作っていく。

 昼から作り始めた料理は夕刻には出来上がり、テーブルに並べられて華やかな雰囲気を作り上げていく。

「ふう、やっとご馳走にありつけるぜ」

 肩がこったような仕草をしながら、ジャックが席に着く。

「そうだね。君のせいで遅れてしまったがね」

 向かいに座ったヤクトが愚痴をこぼす。

「オレが何をしたっていうんだ!」

「つまみ食いをしようとしただろう」

「ウッ」

 ヤクトの言葉を聞き捨てならないとジャックは突っかかるが、あえなく返り討ちにあう。

 うなだれているジャックに、ヤクトは容赦ない追い打ちとして説教を始める。

 内容は、食事係の当番になると、必ずつまみ食いをしようとすることだ。

 もちろん、今日もつまみ食いをしようとしていた。

 ロンがいち早く見つけて注意するが、聞き耳を持たずに口に放り込もうとする。

 そこをロジャーが妨害して、ヤクトが叱りつけるということを、何度も繰り返していた。

 ジャックがしょぼくれたところで、ロジャーが隣に座る。

「ロジャー。助けてくれよ」

 話し半ばでジャックが助けを求める。

 それに対してロジャーは、不機嫌な顔で一瞥する。

「自業自得だ」

 ジャックとの、つまみ食いの攻防に辟易しているロジャーは冷たい態度をとる。

「そ、そんなこと言うものじゃないよ」

 最後にやってきたロンが、恐る恐るといった感じで席に着き、二人をなだめる。

「そう言ってくれるのは、お前だけだよロン」

 唯一味方をしてくれたロンに感激したジャックは、両手を握って喜びを表す。

「そうやって、甘い態度をとるから、この男はいつまで立っても調子にのるんだぞ!」

「ご、ごめん」

 ヤクトに、お人好しなところを注意されたロンは、しょんぼりとしてしまう。

「まあまあ。そんなに目くじらを立てるなよ。ロンがかわいそうだろう」

 先ほどまで説教をされていたことなど忘れたのか、ジャックがヘラヘラと笑いながら間に入る。

 ジャックが、全く懲りていないと思ったヤクトは、さらなる激しさを増して説教をし始める。

 失敗したという顔になったジャックは、助けを求めるように二人を見る。

 目で訴えられたロジャーは、我関せずといった態度をとっている。

 ロンは逆に、あたふたとしてしまい、この場をどう治めればいいかわからず困り果てていた。


 四人が織りなす寸劇を、マルクは少し離れた所から見ていた。

 孤児院では、おなじみになっている日常の一コマだ。

 しかし、それももうすぐ日常では見られなくなるのだろう。

 孤児院を卒業して、それぞれが異なる道を行くからだ。

 もちろん、あの四人はパーティーを組んで冒険者をするので、どこかで今日のような寸劇をやり続けるのだろう。

 それに対して自分はどうなのかと問いかけて見る。

 マルクはずっと、一人で冒険者をするか、狩人をするかで迷っていた。

 迷うくらいなら、いっそのこと両方ともやってみればいいのではと思うが、マルクは自分が両立させることができるほど器用な人間とは思っていなかった。

 さらに、マルクはソロで活動しようとも思っていた。

 ジャック達のパーティーに加わることを誘われたことがあったが、断ってしまった。

 別に孤高を気取っていたわけではない。

 一人で世界中を回って見たいという思いも、強く抱いていただけだ。

 けれども、ライナをはじめとする大人達からは、人との縁を大事にするようにも言われてきた。

 そのためか、ソロ活動をしようとしている自分の考えが正しいのか考えてしまう。

 だが、最近では心情に変化が現れ始めた。

 きっかけは、レティシアとの出会いだ。

 レティシアは今、子供達に囲まれて笑顔でいる。

 子供達は皆、レティシアの笑顔の魅力に夢中になっている。

 もちろんマルクもだ。

 記憶のないレティシアのサポート役を任せられてからは、ますます惹きつけられた。

 だからこそ思ってしまう。このまま彼女と冒険の旅ができたらなと。

 でも、今のレティシアを見ていると、自分が勝手にここから連れ出していいものかと考え込んでしまう。

 それほどまでに、子供達と触れ合っているレティシアの笑顔は素敵で幸せそうだった。

 周りにいる子供達にも、同じことが言えた。

 子供達に引っ張りだこになっているレティシアと目が合った。

「マルク」

 姿を見つけた途端、一も二もなくこちらにやってくる。

「いこう」

 目の前に来たレティシアは、にっこり笑ってマルクの両手を握りしめる。

「いいのか?」

 照れた顔をしながらも、後ろにいる子供達を見て尋ねる。

 子供達は誰もが、レティシアの隣に座りたいと言っている。

 レティシアがどれだけ周りに慕われているのかが分かろうというものだ。

「マルクと一緒」

 それでもレティシアは、マルクと一緒にいることを希望する。

 周りからは、嫉妬とからかいの入り混じった声が浴びせられた。

 そういった声は、なるべく無視してマルクは、レティシアの手を引いて適当な席につく。

 恥ずかしそうに顔を赤くしているが、内心ではレティシアをうまくエスコート出来たか気になってしまう。

 囃し立てる声がうるさくて、レティシアの顔を直視できない。

 それでも気になって、ちらりと見る。

 レティシアの表情は変わらずに、太陽を思わせるほどに暖かい笑顔をしている。

 ずっと見ていたくなる思いにかられるが、神殿長であるライナが姿を現したので、そちらを注視する。

 その後ろを、ガド達神殿の重鎮が続いて行く。

「皆さん。今日という日を迎えることができたことを神に感謝しましょう」

 ライナの演説が始まり、皆が静かに聞いている。

 もちろん、お調子者のジャックもだ。

 それが終わると、何人かの職員が話をする。

 その中には、ガドの姿もあった。

「お前ら、無茶するなよ」

 ガドの言葉は、説教くさくなく、単純だけど力がこもっていた。

 それゆえに、皆の心に染みわたるものがあった。

 話をする人間が全ていなくなったところで、日々の糧を得られることを感謝して宴を始めた。


 孤児院での最後の晩餐は、つつがなく終わった。

 今年の宴も、皆が満足できるものだった。

 皆がご馳走を平らげてまったりと談笑している中、マルクは一人表に出ていた。

 夜風に当たろうと、思っていたわけではなかった。

 ただ単に、用を足している間に、レティシアの周りに人だかりができて戻れなくなっただけだ。

 人混みを掻き分ければいいと思うかもしれないが、自然とそのような考えは浮かばなかった。

 食事の間は独り占めできたという思いがあったからなのだろうか、負い目のようなものを感じて譲ってしまったのかもしれない。

 夜空を見上げて深呼吸する。

 希望を吸い込んで、不安を吐き出すつもりで。

 喧騒の余韻が冷めたと思ったところで、背後に気配を感じとる。

 敵意は感じないので、ゆっくりと振り向くと、ロジャーが立っていた。

「さすがだな」

 自分が認めている人間の感覚の鋭さを、素直に称賛する。

「どうしたんだ?」

 てっきりジャック達とバカ騒ぎをしていると思っていた人間がいることに、マルクは驚いた顔を見せる。

「今日中にどうしても話しておきたいことがあってな」

 そう言いながら、マルクの横に並ぶ。

「オレ達のパーティーに入る気はないか?」

 それは度々されてきた誘いの言葉。

 正直いって嬉しい気持ちはあるが、一緒に組もうという気持ちにはなれなかった。

 別に、彼らのことが気に入らないというわけではなかった。

 ただ、入り難いと思える何かがあっただけだ。

 言葉にできない、漠然とした何かが。

 それと、一人で冒険の旅に出たいという憧れがあるからだろう。

 きっかけが何だったのかは、よく憶えていないが誰かがしてくれた物語だったと思う。

 それは、たった一人で世界の果てに到達する男の物語だったような気がする。

 ベイロアに聞けばわかるだろうか?

 頭の中で、いろいろな思いが駆け巡った後、マルクは断った。

「そうか」

 マルクの答えを聞いたロジャーには、怒りの感情はなかった。

 最初に断られた時は、不機嫌になったが、何度も袖にされている内になれてしまったのだろう。

 だが、今日のロジャーは、いつもと違って引き下がらなかった。

「ならば、オレと賭けをしないか?」

「賭け?」

「そうだ!」

 いつもと違う展開になったことに、戸惑いの顔になるマルク。

 ロジャーは、そんなことにはかまわず話を続ける。

「オレが勝ったら、俺たちのパーティーに加わる。お前が勝ったら、お前が組みたい人間とパーティーを組めばいい」

 真剣な眼差しを向けられて、マルクはためらう。

 迷いはしたが、ロジャーが見にまとう雰囲気から、逃げてはいけないと思い覚悟を決める。

「わかった。どんな勝負だ」

 マルクの表情の変化を見て不敵に笑うロジャーは、ポケットから銅貨を一枚取り出す。

「勝負は簡単だ。オレが投げたコインの裏表を当てる。それだけだ」

「わかった。それだけだな?」

 ロジャーが、うなずき返すのを見てマルクは納得し、勝負が開始される。

「それじゃ、いくぞ。文句なしの一発勝負だ!」

 力強い言葉とともに、勢いよくコインがはじかれる。

 風も雲もない月が照らす夜空を、回転するコインがどこまでも高く昇っていく。

 孤児院の屋根の高さと同じところまで昇ったように見えたところで、上昇するのをやめる。

 一瞬、空中で静止した後、同じだけの勢いでコインは落ちてくる。

 マルクもロジャーも夜目を鍛える訓練は受けている。

 しかし、コインのように小さな物を捉えるのは難しい。

 それでも、月の光でキラリと輝く物を、目で追いかける。

 落ちる場所を予想して、立ち位置を修正する。

 ほど好い所に来たところで、目の前を回転する物体が通り過ぎようとするのを見た。


 パシッ


 確かな手応えがあった。

 これは、飛んでいた虫などでは決してない。

 自分は、うまくコインを掴むことができたと、ロジャーは確信した。

 さりげなく地面を見渡すが、コインは落ちてなどいない。

 そんなことになっていたら、恥ずかしくてかっこ悪い。

 やる機会などめったにないコイントスを成功させたロジャーは、マルクに気迫のこもった視線をぶつける。

「さあ、裏か表か。どっちだ!」

 問われたマルクは、ロジャーの手をジッと凝視する。

 ロジャーがコインを掴むのを、マルクは見た。

 しかし、表か裏かまではわからない。

 暗闇というのもあるが、そこまでの動体視力はなかった。

 目をつぶって先程までの光景を思い浮かべようとするが、まったくうまくいかなかった。

 だから、完全に直感勝負になる。

 マルクは、心臓が早鐘のようになっているのに気づいた。

 将来を決めるための選択をするためか、思った以上に緊張していたようだ。

 気分を落ち着かせるために、一旦深呼吸する。

 ほどよく肩の力が抜けたので、再びロジャーの手を見る。

 緊張して見えなかったものが、見えたような気がした。

 後は、直感信じて言葉を紡いだ。

「表!」

 自信のある力強い言葉。

 しっかりと答えを聞いたロジャーは、ゆっくりと右手を動かす。

 左手の甲にのっていたコインには、人の横顔が描かれていた。

 これは、この国の王様だ。

 結果を見たロジャーは、コインののった左手を突き出して不敵に笑う。

「フッ。お前の勝ちだ」

 言葉を聞きながら、そっと手にのったコインを確認する。

 自分が賭けに勝ったことを自覚したマルクは、大きく息を吐く。

 膝が震えて地面につきそうになる。

 賭け事は心臓に悪いと思った。

 ロジャーが肩を叩く。

 その表情には、悔しさよりも、ねぎらいの気持ちが現れていた。

「お前が組みたいやつと組め」

 それだけ言って、のんびりと立ち去って行く。

 ロジャーの後ろ姿を見送りながら、先ほどの言葉について考える。

 自分が組みたい人間は誰か?

 問うまでもなく、それはレティシアだ。

 初めて会った時から、マルクの心を魅了し続けていた。

 だからといって連れ出していいものかと、ずっと悩んでいた。

 しかし、今回のことで腹をくくることができたと思う。

 たとえ断られても、その時はその時だ。

 元々一人旅をしたいと思っていたのだから、どうということはない。

 マルクは、すっきりと覚悟が決まった顔になって歩き出した。

 ロジャーが、結果的に背中を押してくれたことに感謝しながら。


 屋内に戻って最初に目に入ったのは、子供達に囲まれて笑顔でいるレティシアだ。

 談笑している最中だったが、かまわず真っ直ぐ進んで行く。

「レティシア。話があるんだ」

 そう言ってから、手を引いて連れて行く。

 後ろから囃し立てる声が聞こえるが、無視して外に出る。

 中庭の中ほどで立ち止まってから向き合う。

 両肩を掴んで見上げる。

 レティシアは優しく微笑んでいる。

 それに対してマルクは、急ぎ足で来たためか、息が少し乱れている。

 だが、表情には疲労はなく、決意に満ちている。

「レティシア」

「うん」

「オレと一緒に冒険者になってくれ!」

 魂を搾り出すかのような声で、マルクは叫ぶ。

 思いを告げられたレティシアは、戸惑う様子は見せずに笑顔のままでいる。

 答えを聞きたくて顔を見つめていると、艶のある唇が動き出す。

「うん。マルクと一緒」

  レティシアの答えを聞いたマルクは、了承してくれたのかなと思ってしまう。

 聞き返そうとするが、すぐさま抱きしめられる。

 胸の間に顔を挟まれてしまい、何も言えなくなってあたふたする。

 その一方で、これはレティシアが喜びを体で表現しているのだと思っていた。

 月の光の下で抱き合う二人は、不思議と神秘的で絵になった。

 屋外に出て、ことの成り行きを見守っていた全ての人間が見惚れていた。

 画家を志す少年が、この光景を目に焼き付ける。

 記憶を元に描かれた絵は、後に名画として絶賛されることになるが、それはまた別の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る