第16話 冬きたる

 最北の都市アルントに冬がやって来た。

 この地は豪雪地帯なため、一晩で街が雪に覆われることなどザラにある。

 現に神殿や孤児院の屋根には、雪が多く積もっている。

 子供達が遊びや訓練で使う広場は、たくさんの雪だるまが並んでいる。

 雪だるまを作っているのは、もちろん子供達だ。

 その中には、レティシアも混ざっている。

 レティシアは、胴となる雪玉の上に頭を載せている。

 胴の雪玉は胸ぐらいの高さがあり、頭の方も腰ぐらいはありそうだ。

 子供達は夢中になって雪玉を転がすので、けっこうな大きさになっている。

 そうなると重さも、それなりにあるので、子供一人では持ち上がらない。

 一個あたり3~4人は必要だろうか。

 それをレティシアは、一人で軽々と持ち上げてしまう。

「ありがとう。お姉ちゃん」

 新たな雪だるまが完成したのを見て、子供達は口々にお礼を言う。

「うん」

 返事をするレティシアの声と表情は、いつものぼんやりと覇気の無いものではなく、明るく朗らかな笑顔になっていた。

 どうやらレティシアは、座学やじっと動かないでする仕事よりも、思いっきり体を動かしている方が生き生きとするようだ。

 楽しそうにしているレティシアの姿を見て、マルクは微笑ましい気持ちになる。

 この光景をいつまでも見ていたいと思う気持ちはあるが、これから屋根の雪掻きをしなければならない。

 後ろ髪を引かれる思いをしながらも、マルクはハシゴを運んで行く。

「よっしゃ。オレの出番だぜ!」

 ハシゴが屋根にかけられるのを見て、ジャックが大袈裟にスコップを振り回している。

「君は登るな!」

 はしゃいでいるジャックに、ヤクトが冷や水を浴びせるように注意する。

「なんでだよ?」

 気勢をそがれたジャックは、静止して来たヤクトにあからさまな不満な態度をとる。

「君は去年、屋根の上でふざけて落ちそうになったことを覚えていないのか?」

「そ、そんなことあったかな?」

 そう言われてジャックは、冷や汗をかいてそっぽを向く。

「ほら、一緒にハシゴを押さえたまえ」

 ヤクトに強く言われて、ジャックは渋々ハシゴの片側を押さえる。

 両側をヤクトとジャックに押さえられたハシゴで屋根へと登るのは、マルクとロジャーだ。

 二人とも斥候の訓練を受けているので身が軽い。

 スコップを持ったまま、猿のように素早く登って行く。

 そのまま二人とも危なげなく屋根に積もった雪を落としていく。

 特にアクシデントもなく雪かきを終えると、大きく伸びをしてから周囲を見わたす。

 一面は、すっかり銀世界となっており、ここと同じように雪かきをしている人も見える、

「マルク」

 下から声が聞こえたので見てみると、レティシアが笑顔で手をふっている。

 マルクも、つられて手をふる。

「先に降りているぞ」

 幸せそうな雰囲気のマルクをよそに、ロジャーは一足先に屋根から降りることにする。

 再び、ヤクトとジャックにハシゴを押さえてもらってから、ロジャーが降りる。

 その間マルクは、雪掻きで火照った体を、冬の寒風で冷ます。

 しばらく、遠くをぼんやりと眺めていると、こちらに近づいてくる人影に気づく。

 何者だろうと目をこらして見ると、ガド達三人組だとわかった。

 帰ってくるガド達を見て、彼らが迷宮に潜っていたのを思い出す。

「マルク」

 今度は、ロジャーが声をかける。

 下からの掛け声で、ロジャーがハシゴを降りきったのを知ったマルクは、自分も続くことにした。


 マルク達がお茶を飲みながら暖をとり始めたところで、ガド達が帰って来た。

「フゥ。年をとると寒さが身に沁みるぜ」

 屋内に入ると、ガドはマントを脱ぎ捨てる。

 マントの下から出て来たガドの姿は、相変わらず上半身裸だった。

 迷宮に潜る時のガドの装備は、上半身は鎧どころか衣服も身につけていない。

 もちろん丸腰というわけではなく、籠手と脚甲と鉢金を装備している。

 このような偏った装備をしているのはガドだけで、ベックとベイロアは役職にふさわしい装備をしている。

 ガドが冬でも寒々しい格好をしているのには訳がある。

 それは、愛用している魔剣のせいだ。

 迷宮で取れた特別な素材で作られたガドの魔剣には、特殊な効果があった。

 それは、胴体に何も装備しないと攻撃力が上がるというものだ。

 あまりもの特殊性ゆえに、パーティーメンバーから失敗作だから持つのをやめろと言われた。

 逆にガドは、ギャンブル性の高さが気に入って愛用し続けている。

 ピーキーな魔剣の性能を引き出すための装備で、前衛を務める姿から『狂剣』と呼ばれるようになった。

 迷宮探索以外の普段着でも、胴に何もつけていないのは、感覚に誤差が生じないようにするためだと言っている。

「今日の収穫だ」

 ベックが、バックパックを下ろして中を見せる。

 入っていたのは、白くてツヤのある親指ぐらいの大きさの石だ。

「いつもすまないわね」

 出迎えたライナが、感謝の言葉を伝えるとともに受け取る。

「何、これくらい朝飯前だ」

 寒さには弱気を見せていたガドだが、迷宮探索では苦難を感じていないようだ。

 ガド達が、迷宮から持って帰って来たものは、『霊石』と呼ばれる物だ。

 霊石は、迷宮のモンスターを倒すと出てくる報酬の一つで、必ず出てくるものだ。

 だからと言って二足三文の品かというとそんなことはない。

 常に需要があるものだ。

 霊石は、悪魔の遺物同様、魔法の道具や薬の材料になるものだ。

 特に神殿では、霊石は重要だ。

 バケツ一杯の水に霊石を入れて、神の奇跡を使うことで霊薬という回復薬が出来上がる。

 ただし、今の方法で作れる霊薬は最低品質の物なので、かすり傷が治る程度だ。

 もっと治癒力の高い霊薬を作るには、強いモンスターから取れる大きくて品質の高い霊石と、薬効成分の高いアイテムを混ぜなければならない。

 霊薬は、混ぜるアイテムによって、効果と効用が変化する魔法の薬なのだ。

 過去には、死んだ人間さえ生き返らせる薬もあったと言われている。

 今は、製法も現物も失われている。

 蘇生薬に関しては、神殿が権威を示すために流したデマだと思っている人もいる。


 ライナは、神官達に命じて霊石を運び込んでいく。

 迷宮からは、他にも価値のある物が出てくるが、霊石以外の物は見当たらない。

 彼らは、いつも浅い層で狩をしているからだ。

 老年の三人組に無理はさせたくないという思いもあるが、霊薬の収入で神殿と孤児院は、今のところ十分に回っているからだ。

 今日、取ってきた霊石も早速霊薬に加工される。

 ヤクトのような神官見習いの人間も、修行の一環として手伝うことになっている。

 明日になれば、神殿に併設された売店で売りに出されるだろう。

 マルクとレティシアは、明日は売店の手伝いをすることになっている。

 これも記憶を取り戻すきっかけになればと思って始めることにした。

 もしかしたら、レティシアを知っている人間に出会えるかもしれないという期待もあった。


 神殿の売店には、霊薬以外にも色々な物が売っている。

 護符や聖書に神像、宗教画といったものだ。

 神像と宗教画は、生徒達の習作を売っている。

 護符は、神官達が奇跡の力を封じたものだ。

 これの制作にも霊石が使われている。

 効果の方は、それなりにあるようだ。

 売店の手伝いに参加しているマルクの担当は、バックヤードだ。

 売れ行きの商品を、右から左へと移動させている。

 ここでの売れ行きの商品は、やはり霊薬だ。

 迷宮探索をする冒険者でなくても需要があるからだ。

 やはり、もしもの時のために一本は持っておきたいと、誰もが思っている。

 マルクは、今まで何度か店の手伝いをしたことがあるが、今日はいつにもまして忙しい気がする。

 原因はわかっている。レティシアだ。

 神官服を特別に着せてもらっているレティシアが、売り子をしているからだ。

 目の覚めるような美人であるレティシアは、売り子をするのは今日が初めてだ。

 にも関わらず、その姿を一目でも見ようとする人間で列ができている。

 レティシアは、外に出るときはフードを目深に被って素顔を見せないようにしていた。

 この辺りには、素行のよろしくない人間が多いのと、レティシアがうっかりやりすぎないようにするためだ。

 それでも、神殿にすごい美人がいるという噂は流れている。

 今、列に並んでいるのは、耳ざとい人間なのだろう。

 噂の美人に会えると聞き及んで、ここにいるのだから。

 実物のレティシアに会った彼らの感想は、強面の男達が鼻を伸ばしてだらしない顔をしているのを見ればわかるだろう。

 裏方にいるためよく見えないが、レティシアは順調に接客をしているように見える。

 普段からぼんやりしているが、受け答えはできるので対応はできている。

 ゆったりとしているように見えるが、無駄のない動きで客をさばいている。

 時々、キザったらしいセリフで口説こうとしてくる人間がいる。

 そんな人間が何かを言っても、首を傾げて不思議そうに見ている。

 惚けているように見えるが、本当に何をいっているのかわからないのだろう。

 記憶のないレティシアには、男女の恋愛の機微というものはわからないのだから。

 そんなことなど知らないナンパ男は、レティシアの反応に戸惑ってしまい、後列からの怒号でスゴスゴと退散していく。

 さっきから、色男を自称する人間がやってきては、そういったやり取りを繰り返している。

 もちろん、レティシアが誘いに乗ることはなかった。

 しかし、バックヤードにいるマルクはハラハラした気持ちになる。

 ナンパ男が、剣士とは思えないほど綺麗なレティシアの手を握ろうとするたびに、怒鳴りつけて張り倒したくなる。

 しかし、仕事があるのでグッとこらえる。

 この、どうしょうもないほどの憤りは、仕事が終わるまで続いた。


 今日の仕事を終えたマルクとレティシアは、礼拝所で休んでいた。

 客の入りは良かったが、レティシアのことを知っている人間には会えなかった。

 いたのはナンパ野郎だけだ。

 ここが神殿であるためか、脈がないとわかるとがっかりした後、おとなしく立ち去って行くものだらけだった。

「よう、調子はどうだ?」

 レティシアはぼんやりと神像を眺め、マルクが疲れ切った顔をしていると、背後から声をかけられる。

 マルクが声の方を見ると、冒険者装備に身を包んだガドが立っていた。

 どうやら、迷宮から帰ってすぐに様子を見に来てくれたようだ。

 声の主を確認したマルクは、ため息をついてお手上げといった仕草をとる。

「まあ、すぐに何かがわかるわけじゃないからな」

 落ち込んでいる様子のマルクを見て、気休め程度の言葉をかけて、肩を叩いてからさっていく。

 マルクも一朝一夕で、何かがわかるとは思っていなかったが、本当に何もわからないと残念に思ってしまう。

「戻ろうか、レティシア」

「うん」

 手がかりが見つからなかったといって、いつまでも呆けているわけにもいかず立ち上がる。

 そのまま孤児院のほうへと歩いていく。

 並んで歩くレティシアを、マルクはちらりと見る。

 今のレティシアの表情は笑顔をしている。

 最近のレティシアは、ぼんやりとした表情以外にも笑顔が増えたような気がする。

 それも、体を動かしている時の方が多い。

 剣の訓練をしている時以外にも、掃除、洗濯をしている時もだ。

 他の子供たちと、歌いながら行っている時もある。

 感情の起伏ができてきたのは喜ばしいことなのだろう。

 いつから、そうなったのだろうかと考えてみると、やはりアルカスの用心棒と戦った時からなのだろうか。

 一の実戦は百の修練に勝るという。

 きっと、その時に精神的な成長を促したのだろう。

 そうでなければ、悪魔の心臓を食べた時だろうか。

 食べれば悶絶して死ぬほどの猛毒を食べて、何の影響がないとは考えられなかったからだ。

 どちらが原因でも、今のところは良い影響が出ていると言える。

 悪魔の心臓を食べたことを知ったベイロアは、経過観察が必要だと言っていた。

 何か異常があれば、すぐに知らせるようにとのことだ。

 マルクが見た限り、レティシアの体に、異常があるようには見えない。

 だからといって、ベイロアの言ったことをないがしろにする気はなかった。

 これからも、注意深くふるまおうと思っている。

 だが、マルクが今後もっとも注意するべきなのはナンパ野郎ではないだろうか。

 レティシアのことを知っている人間を捜す試みは、これからも続けるつもりだ。

 そのために、最も有効な手段は、今回行った売り子をやることだろう。

 似顔絵の張り紙も一時は考えたが、よからぬ人間が奴隷として攫うために偽証するかもしれないと思って取りやめた。

 しかし、売り子をやるのにも問題がある。

 それは、ナンパ野郎が寄ってくるということだ。

 綺麗な花に集まる虫のように。

 マルクには、それがたまらなく不愉快だった。

 思い出しただけでも腹立たしい気持ちがよみがえってくる。

 ああいう連中は、出入り禁止にしてやりたかったが、そういう訳にもいかない。

 彼らも、レティシアの美しさに釣られて、お金を落としてくれるのだから。

 内心に割り切れない感情が生まれ、マルクの表情が剣呑なものへと変わっていく。

 その瞬間、マルクの手が温かい感触に包まれる。

 驚きはするが、不快感はなく、逆に心が癒されるのを感じる。

 気づけば、レティシアがマルクの手を握り、見つめていた。

 何だか気恥ずかしい気持ちになるが、手を離す気にはなれなかった。

 こんなところを誰かに見られたくないという気持ちと、手から伝わる温もりを離したくないという気持ちが拮抗する。

 顔を赤くしながらも、マルクはレティシアの顔を見る。

 若葉を思わせる緑の瞳には、先ほどまでの葛藤が見透かされているかのようだ。

「ねえ、レティシア」

 無邪気な感じのレティシアの瞳に耐えかねたかのように、マルクが口を開く。

「今日、店に立って見てどうだった」

「うん。楽しい」

 満面の笑みを浮かべて答える。

 答えは簡潔だが、笑顔からは気持ちが十分に伝わってくる。

「また、やりたいか?」

「うん」

 続けて聞かれて淀みなく答える。

 そこには、渋々言わされたという感情はなかった。

 まぶしい笑顔を見てマルクは、自分の中にモヤモヤとしたわだかまりがあることを恥じた。

 それと同時に、負の感情が浄化されるのを感じた。

 これからも、この仕事をやってみようという気持ちになる。

 しかし、ナンパ野郎に対する憤りは、レティシアが売り子になるたびに沸き上がった。

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