第14話 アニーの憂鬱

 アニーは地震で散らかってしまった孤児院をかたずけていた。

 生まれて初めての地震に慌てふためいてしまったが、今はすっかり落ち着いている。

 混乱する子供達を落ち着かせているうちに、冷静になれたからだろう。

 そのため、孤児院にいる子供達総出でかたずけを行うことができた。

「みんな少し休みましょう」

 屋内のかたずけが終わったと思ったアニーは、休憩をとることにする。

 それを聞いて子供達は、元気よく返事をする。

 その様子に微笑ましい気持ちになったアニーは、年長の子供達に手伝ってもらいながらお茶を用意する。


 コン


 台所で作業をしていると、勝手口を叩く音がする。

 最初は気のせいかと思った。

 けれども、二度、三度と続けてしてきたので、誰かが呼んでるのだと思った。

 後は子供達に任せて、用心して外に出る。

 誰もいない。子供のイタズラだろうか。

 そう思っていると、アニーの近くに何かが転がりこんできた。

 布に包まれた拳大の物体。

 不審に思いながらも、拾い上げて包みを解く。

 中から出てきたのは石ころだ。

 何の変哲も無い石ころが包まれていた。

 だが、布切れの方には見覚えがあるような気がした。

 どこでだろうと思いながら広げてみる。

 すると、そこには目を見開くほどに驚くことが書かれていた。


 子供はあずかった。

 返して欲しかったらついてこい。

 誰にも言うな。


 そこに書かれていることを見て思い出した。これが、子供のために繕った衣服の一部だということを。

 青い顔になったアニーは叫びそうになるが、メッセージのこともあって飲み込むようにこらえる。

 それでも、足が震えて立っていられなくなり、壁に寄りかかってしまう。


 カツン


 アニーの横で、何かが弾けるような音がする。

 誰かが石を投げたようだ。

 飛んできた方を見ると、裏門が開いている。

 そこから、下卑た顔で笑っている男がいた。

 一瞬、怖じ気ついたアニーだったが、意を決して近づいて行く。

「ケケケケケ。よくきたな」

 男は小馬鹿にした態度で出迎える。

「手紙に書いてあるとおりだ。ガキを返して欲しかったら、おとなしくついてくるんだな」

 アニーは唇を固く引き結び、男を恨めしく睨みつける。

 当の男は、気圧されることもなく涼しい顔をしている。

 なすすべもなく怒りに震えているアニーを、楽しそうに見ている。

 ある程度眺めて満足したところで、薄汚れたマントを渡す。

 しかめっ面で受け取ったアニーは、無言で羽織ってフードを目深に被る。

 それを見届けた男は、背を向けて歩き出す。

 ついて行かざるをえないアニーだったが、その前に石ころを拾い出す。

 そのまま振りかぶって投げつけようとするが、手を震わせて押しとどめる。

 そんなことをしても意味がないとわかっているからだ。

 ついてくる気配を感じないことに男が訝しがり、こちらを振り向く。

 アニーの体勢を見て、鼻で笑ってから前を向いて歩き出す。

 こ憎たらし態度に怒り心頭になるが、すぐに思い直して自分を落ち着かせる。

 ため息をつくように息を吐き、振り上げた腕を下ろす。

 この石は、鈍器として持っていこうかと思ったが、それは思い直す。

 男がこちらを見てないのを確認して、布にくるんで落とした。

 これが、今のアニーにできる、せめてもの抵抗だ。

 幸いにも、向こうは気付かず呑気に口笛をふいている。

 たかが小娘と思って、油断をしているようだ。

 男の後ろを歩きながらアニーは、誰かが見つけてくれることを祈った。


 ライナの執務室をかたずけ終えたベイロアは、ライナと共にお茶を飲んでいた。

 お茶はライナが、お礼にと言って手ずから入れてくれたものだ。

 二人がしばしの間くつろいでいると、子供が一人入ってきた。

「アニーお姉ちゃん見なかった」

 開口一番に聞かれて、二人は顔を見合わせて怪訝な顔をする。

「孤児院にはいないのか?」

 アニーが孤児院のかたずけに奔走していたのは知っていたが、その後のことまでは把握していない。

 何だかやな予感がしたベイロアは、立ち上がって探し歩くことにする。

「大丈夫。すぐ見つかるさ」

 部屋を出る間際に、不安な顔をするライナと子供に安心させるように声をかけておく。


 屋内を一通り見回ったベイロアは、庭に出る。

 ひょっとしたら洗濯でもしているのかと思って。

 しかし、そのようなことはなく、やはり姿を見つけることはできなかった。

 これは一大事が起こったのかと思い始めた頃、気になるものが目に入る。

 それは、丸めた布切れだ。

 そこにあることが不自然に感じたベイロアは、慎重に近ずいてから取り上げる。

 一見するとありふれた布だ。

 どこにでもありそうで、どこかで見たことがある布だ。

 それが石に包まれてここにある。

 首をひねりながら広げて見て驚く。

 なぜなら、これはアニーに送られた脅迫状なのだから。

 アニーの思惑どおり、脅迫状は神殿の人間の手に渡った。


 森の中を歩くアニーの足取りは重い。

 普段から歩き慣れていないということもあるが、アルカスに会わなければならないというのが最大の理由だろう。

 アニーがアルカスに会ったのは半年ぐらい前の春のことだ。

 アルントの街の東西南北には、それぞれ神殿がある。

 半年に一度の割合で、神殿の代表者が集まって会議をしている。

 アニーはそこで、神殿長であるライナの付き添いで来ていた。

 アルカスもまた、父親である商会長の付き添いで来ていた。

 アニーを初めて見たアルカスは、なめるような目つきでこちらを見ていた。

 それから、こちらに近づき、キザったらしく挨拶して来た。

 その後、馴れ馴れしい態度で接して来たので、辟易させられた。

 一緒に来ていたガドが追い払ってくれなければどうなっていたか。今思うと身震いしてしまう。

 それからもアプローチはしてきたが、軽薄な態度とゴロツキを連れ回しているところが信用できず、やんわりと断り続けてきた。

 それがまさか、このような事態を招くことになるとは思いもしなかった。

 あの時、自分が誘いを受けていたら、こんなことにはならなかったのだろうか?

 黙って森を歩き続けているうちにアニーは、そんなネガティヴなことばかり考えてしまう。

 そのためか、霧が出てきたことに気づかず躓いてしまう。

「きゃっ!」

 短い悲鳴をあげて、案内の男にぶつかってしまう。

「手を繋いであげましょうか。お嬢さん」

 ぶつかったことに怒ることもなく、下卑た笑を浮かべて手を差し出してくる。「結構です!」

 気恥ずかしい思いをしながらも、アニーは突っぱねて歩き続ける。

 案内人を、置いてけぼりにしているが、後は一本道なので迷うことはないだろう。

 そう思っていたのだが、すぐに立ち止まってしまう。

 霧がだんだんと濃くなってきたからだ。

「どうなっているんだこれわ?」

 先程まで余裕な態度だった案内人が、うって変わって動転している。

 アニーも視界が悪くなってきて不安になるが、意を決して歩き出す。

 本来なら、霧が晴れるまでじっとしているべきだろう。

 しかし、あのような男と一緒に、一か所にとどまり続けることはごめんこうむりたかった。

「おい、ちょっとまて!」

 そのように思われているのも知らずに、案内人は焦った声で呼び止める。

 だが、アニーは無視して歩き続ける。

 足元にのびる道筋だけを頼りに。

 下を見ながら随分と歩いた。

 躍起になっていたので、案内人はかなり後ろに置いてきてしまった。

 今になって、自分は正しい道を歩いてきたのか不安になり立ち止まる。

 あたりを見回すが、やはり霧で良く見えない。

 視覚が遮られているためか、聴覚に意識を集中してしまう。

 すると、鋭敏になった聴覚が激しい剣撃の音を拾う。

 このような所でなぜ?という思いが頭の中を駆け巡り、アニーの足を余計に鈍らせる。

 アニーに不安を募らせる激しい音は、永遠に続くと思われたが、唐突に打ち止めとなる。

 それからしばらくは、静寂の時間となる。

 これもまた、永遠に続くかと思われたが、やはりそうはならなかった。

 風を切り裂く音が響き渡り、静寂を打ち破ったのだ。

 続いて短い驚愕の声に、重いものが落ちる音。

 そして、霧が晴れ始めた。

 戸惑う心を置き去りにしたまま、視界は明るく開けていく。

 先程までの霧が嘘のように晴れ渡ると、目の前に山小屋が見えた。

 案内人が連れてこようとしたのは、ここかもしれない。

 がむしゃらに歩いているうちに、目と鼻の先まできたようだ。

 自分の考えが正しいと信じて山小屋へと向かっていく。

 すると、見覚えがある後ろ姿が見えてきた。

 腰まで伸びた見事な金髪の女性に向かってアニーは声をかけようとするが、その前に彼女は山小屋へと入っていく。

「レティシア!」

 アニーが声をかけるが気づいてもらえず、レティシアの足を止めさせることはできなかった。

 アニーは慌てて追いかける。

 強気な態度をとっていても、辺鄙な所にいれば心細くなる。

 ましてや、後からアルカスの手下が追って来ているのだ。

 そのため、見知った人間を見つけたなら、すがらずにはいられないだろう。

 慌てた表情で駆けて山小屋に向かう途中で、アニーは思わず足を止めてしまう。

 血溜まりと死体を見つけたからだ。

 袈裟懸けに泣き別れた体と、足元まで迫る血溜まりの臭いに、短い悲鳴をあげるアニー。

 その場に居続ければ、戻してしまうかもしれないので、逃げるように山小屋へと駆け込んだ。

 山小屋に入ったところで一息つけると思ったアニー。しかし、すぐ目に入った光景を見て驚きの声を上げる。

 なぜなら、レティシアが悪魔の心臓を飲み込んでしまったところだからだ。

「なんて物を口にしているの!」

 顔から血の気が引くほどに驚いたアニーは、体ごとぶつかる勢いでレティシアに駆け寄る。

 そして、今しがた飲み込んだ物を吐き出させようと躍起になる。

 しかし、当のレティシアは気にした様子もなく、咀嚼して飲み込んでしまう。

 それを見てアニーの顔は、ますます青ざめる。

 なぜなら、アニーは知っているからだ。誤って悪魔の遺物を摂取してしまうと死んでしまうということを。

 悪魔の遺物は魔法薬の材料にもなるが、そのままだと毒性が強い。砕いた粉末を吸い込んだだけで大事に至るほどに。

 そのため、取り扱う時は必ずマスクをつけねばならないし、換気も十分に行わなければならない。

 それを怠って中毒死する未熟な薬師や錬金術師が、少なからず存在している。

 だからこそ、アニーは慌てふためいて吐き出させようとしたのだ。

 しかし、オヤツのように平らげたレティシアは、いつものようにぼんやりしている。

 むしろ、大騒ぎしているアニーのことを、不思議そうに見ていた。

 いつまでも呑気にしているレティシアに、アニーは苛立ちを覚えて怒鳴り声をあげそうになるが、あることに気づいて思いとどまる。

 レティシアが、いつまでも変わらずぼんやりしていることに。

 アニーが聞いた話によると、悪魔の遺物の毒性は凄まじく、小指の先ほどの量で悶え苦しんで死んでしまうという。

 なのにレティシアは、いつも通りぼんやりしていた。

「ウソ。信じられない!?」

 アニーの表情は、焦燥から驚愕へと見る見るうちに変わっていく。

 信じられない出来事を見て、アニーの頭はレティシアが何者かという疑問でいっぱいになる。

「助けてくれアニー!」

 そんなアニーの戸惑いを、断ち切るように情けない声が響く。

 こんな時に間抜けな声を出すのは誰かと見てみれば、マックスに押さえつけられて涙目になっているアルカスのものだった。

「この狼藉者たちから助けてくれ。私とあなたの仲ではないか!」

 自分のことは棚に上げて、アルカスは気持ちの悪い猫なで声で助けを求める。

 それに対してアニーは、哀れみの感情など微塵も出さず、むしろ怒りをにじませた冷めた目で見ている。

 そんな眼差しのまま、力強い足音を立ててアニーは、アルカスへと近づいていく。

 それを見たアルカスの表情は、アニーが一歩近づく度に明るく喜悦に満ちたものへと変わっていく。

「おおっ!アニー。あなたこそ私の天使だ」

 アニーが正面で立ち止まると、レティシアを口説こうとしていたことなど忘れたかのようにアニーを褒め称える。

 自身を見つめる視線の意味など気づかずに。

「ア、アニー?」

 こちらを見下ろしたまま助けようとしないアニーの態度に、アルカスは戸惑いを感じ始める。

 それと同時に、アニーの目が大きく見開かれ、アルカスを力の限り踏みつける。

 自分の都合のいいことしか考えていなかったアルカスは、思わぬ事態に悲鳴をあげる。

「あなたとの間には何もありません。今までも、これからも!」

 断固とした意思のこもった瞳と叫びに、アルカスは唖然となる。

  だが、アニーはアルカスの驚きなど歯牙にも掛けず、弾劾の言葉を浴びせ続ける。

「あなたは、子供をさらって私を拐かそうとしましたね!」

「なっ、何を言っているんだねアニー」

 アルカスはしどろもどろになりながらも言い訳を始める。

「私が愛しいアニーに、そんなことするわけないじゃないか」

 必死の形相で無実を訴えるが、聞く耳を持つものはいなかった。

「そこまでにするんだな!」

 見苦しい真似をするアルカスを一喝する声が響く。

 誰もが驚くほどの声量は、どこから響いたのかと見てみると、小屋の入り口にベイロアが立っていた。

「ダンナ助けてくれ」

 入ってきたのは、ベイロアだけではなかった。

 荒事に備えて、力のありそうな神官たちも数人連れてきている。

 他にも、アニーとはぐれた案内人の男が腕を捻られ取り押さえられていた。

「観念しろ。お前はもうおしまいだ!」

 そう言ってから、脅迫状も見せる。

 それを見たアニーは、自分は賭けに勝ったと思った。

 逆にアルカスは、ベイロアに睨まれて、うまく言葉が出ずにうなだれてしまった。

 ベイロアが、この山小屋に来ることができたのは、まさにアニーの機転のおかげだった。

 こっそり置いてきた脅迫状が、破かれた子供の服だったため、ベイロアは持ち主を探す魔法を使うことができた。

 魔法が指し示す方に向かう途中で、北門の詰所でガド達と会うこともできた。

 情報交換を行ったベイロアは、急ぎ足で目的地に向かった。

 一番危ない状況に間に合わなかったが、この場にいるチンピラ達を取り押さえることはできそうだった。

「お前達、よくやったな」

 ベイロアは、マルク達の元へと歩み寄り、それぞれにねぎらいの言葉をかける。

「よく無事だったな」

 さらに、さらわれていたアレクにも、声をかけていたわる。

「ごめんね。私のせいで」

 アニーも近づいて抱きしめる。

 それで感極まったのか、それとも安心して心のタガが緩んだのか、しっかりと抱きついて泣き始めた。

 マルク達は、暖かい眼差しで見つめている。

 犬のマックスの表情も、慈しむものへと変わったように見える。

「よし、みんな帰るぞ!」

 アルカスを縛り上げながら、ベイロアが家に帰ることを伝える。

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