第10話 反省と帰還

 レティシアは、いつものようにぼんやりとした顔で歩いている。

 後ろからついてきているマルクの顔は、とても不安そうだ。

 今にも倒れてしまうのでは無いかと思い、ハラハラしている。

 マルクが、そのような気持ちになるのは、悪魔が現れた後の様子を見ていたからだ。

 地震が起こった後、頭痛をおこしたのか、頭を抑えてうずくまった。

 それから、悪魔が雄叫びをあげるたびに、頭痛はひどくなっていくように見えた。

 側にいたマルクは、心配になり背中をさすりながら様子を見ていたが、一向に良くなる気配はなかった。

 それから、ガドが手傷を負うのを見てからは変化があった。

 何かに火がついたかのような目になり、魔剣ラースを抜いて立ち上がる。

 それでも、息を乱してフラついている。

 三度目の雄叫びを悪魔があげた時、呼応するかのようにレティシアも雄叫びをあげて切りかかった。

 その姿は、戦乙女と呼ぶにふさわしほど猛々しさがあった。

 しかし、今はいつものようにぼんやりとした顔で歩いている。

 マルクには、その足取りはいつもより重いものに見えた。

 気のせいだと言われればそれまでだが、マルクはどうしても気になってしまう。

 そのため、後をついていきながら、色々考えているうちにふと思ってしまった。レティシアの記憶が戻りかけているのではないかと。

 ひょっとして、あの時の態度は悪魔に恐怖したものではなく、悪魔を見たことで記憶が呼び起こされたのではないか。

 だとすれば、もっと多くの悪魔と遭遇すれば記憶も戻るのだろうかと思うが、それは簡単なことではないだろう。

 ベイロアが授業で言っていたが、ガド達が現役だった時代に比べて悪魔の出現する数が、年々減ってきているのだ。

 マルクも悪魔に遭遇するのは今回が初めてだ。

 一説によると、長い年月が経つうちに邪神の力が弱まったのではないかと言われている。

 そういう訳で、レティシアの記憶を取り戻すのに、いつ現れるのかわからない悪魔を探すのはやめたほうがいいだろう。

 そこまで考えたマルクは、記憶が戻っているのか気になったので聞いて見ることにした。

「ねえ、レティシア。悪魔を見て何か思い出した?」

 聞かれたレティシアは、立ち止まって振り向いた後、首を傾げてから再び歩き出す。

 今だにぼんやりとしているレティシアだが、悪魔の気配を感じた瞬間に、頭を締め付けるほどの衝撃を感じた。

 それが何であるのか確かめる前に、ガドが負傷するのを見て悪魔を倒さなければと思った。

 後は熱い使命感の感じるままに剣を振るった。

 しかし、今のレティシアは、先ほどまでの激情が嘘であったかのように引いていて、穏やかな心情になっていた。

 今の様子から、マルクはレティシアの記憶が、まだ戻ってないことを察した。

 そのことにマルクは、残念ではあるが、どこかホッとしてもいた。

 明確に意識はしていないがマルクは、記憶が戻ったレティシアは、どうするのだろうかという不安を持ち始めていた。

 レティシアと過ごした日数はまだ浅い。それでも、マルクの心を占める割合を増やすほどの存在感を彼女は持っていた。

 無自覚な不安を抱えて歩くマルクの後ろで、ガド達も無言で歩いている。

 ベックはもとより口数が少ないが、賑やかしのジャックが珍しく黙り込んでいた。

 やはり、忠告も聞かずに先走ったことをした挙句に、ガドに怪我をさせてしまったことが答えたのだろう。

 さらに後ろにいるロジャーとヤクトとロンも、ジャックの暴走を止められなかったことに後悔している。

 今の四人は、自分はこのまま冒険者になっていいのかという迷いがあった。

 ガドとベックは、特に何も言おうとはしない。

 冷たくあしらっている訳でも、怪我が痛むので無言でいるのでもない。

 ただ、今は悩んで答えを出すほうがいいと思っているからだ。

 今回の失敗から、何かを学んでくれればと思うばかりだ。


 それぞれが思い悩みながら歩いているうちに街の門が見えてきた。

 講習のために朝早くから街を出たので、もうすぐ正午になるという時間だろうか。

 疲れ切った体でたどり着いて見ると、そこは物々しい雰囲気に包まれていた。

 まず、目についたのは兵の数だ。

 いつもは門の前に二人しかいないのに、今は二十人以上いるように見える。

 しかも、誰もが緊張した面持ちで、槍を握る手にも力が入っている。

 何事かと思って見ていると、隊長とおぼしき人物が、こちらに気づいて近ずいてきた。

「君たち大丈夫か?」

 マルク達が、傷つき疲れ果てているのを見て、かなり慌てているようだ。

「ああ、大丈夫だ」

 何だかよくわからないが、ガドが代表になって返事をする。

 それを聞いて隊長は安堵の表情となるが、すぐに真剣なものになって話を続ける。

「先ほど、森の方で悪魔が現れたという知らせを受けた。君達は悪魔を見なかったか?」

 隊長が慌てている理由を知り、ガドとベックは顔を見合わせて安堵の笑みを浮かべる。

「安心しろ。そいつはもうたおした」

「なに、本当か?」

 決死の覚悟をしていた隊長が、思いもよらない話を聞いて驚いて目を見開く。

 半信半疑の隊長に、こちらが真実を言っていることを示すために、ガドはマルクに悪魔の心臓を出すよう促す。

 マルクは、言われるがままに懐から悪魔の心臓を取り出して見せる。

 それを見た隊長は、今にも目玉が飛び出しそうなほどに驚き、マルクと心臓を交互に見比べる。

「君が悪魔を倒したのか?」

 恐る恐る隊長が尋ねる。

 悪魔の遺物は、倒した人間に優先権があるのを隊長は知っている。

 なので、遺物を持っているマルクが倒したのだと勘違いされてしまう。

「ち、違う。オレじゃない!」

 そんな勘違いをされると、後々厄介ごとになるかもしれないので、早々に修正しておく。

「戦ったのはガドとベックだし、とどめを刺したのはレティシアだ!」

 慌てふためくマルクの話を聞き、隊長は確認のため、責任者と思われるガドの方へと目を向ける。

「マルクの言うとうりだ。戦ったのは俺たちだ」

 マルクの様子を、いたずら小僧のような目で見ていたガドは、首にかかっているペンダントのプレートを見せる。

 肩を担いでいたベックも、同様の物を見せる。

 それを見て、二人が実力のある元冒険者であることを隊長は理解し、納得した顔になる。

 次いで、もう一人の名前が上がったレティシアの顔を見て困惑する。

 目を見張るほどの美人でありながら、夢遊病者のようなぼんやりとした姿を見て、どうしても悪魔が倒せるほどの強者には見えないのだ。

 背には立派な拵えのある魔剣ラースを履いてるが、ぼんやりしているレティシアが持っていると凝った作りのおもちゃに見えてしまう。

 そんな隊長の心情を知ってか知らずか、目が合ったレティシアはニッコリと魅力的な笑みを浮かべる。

「このお嬢ちゃんは、こう見えても結構な使い手だぜ」

 レティシアの剣捌きを思い出しながら、しみじみとガドが言う。

「それでは、彼女も冒険者なんですか?」

 朗らかな笑顔を浮かべるレティシアに、しばし見とれていた隊長だったが、すぐに正気に戻ってガドに聞き返す。

「いや、お嬢ちゃんは、プレートは持っていなかったから冒険者じゃない」

「そうなのですか? それでは、彼女は何者なのですか?」

「わからん」

 肩をすくめてお手上げといったポーズをとるガドに、隊長はますます頭を混乱させていく。

 正体不明の強者と聞けば警戒を強くするものだが、ガド達にその様子は見えない。

 事実、ガドをはじめとする神殿や孤児院の皆んなは、レティシアのことを受け入れている。

 それは、レティシアの人柄を見て信用できると思ったからだ。

 記憶喪失であることや、強い力を持つことなど関係ない。

 同じ釜の飯を食えば、それくらいわかると言う自負があった。

 なので、このことについていつまでも話を続ける気の無いガドは、話題を変える事にする。

「それよりも、悪魔のことを知らせにガキンチョ共がきたはずだ。今はどうしている?」

 タイミングが遅くなったが、ガドは自分たちが孤児院の人間であることを伝える。

 それから、自分達が悪魔に遭遇したので、子供達を大急ぎで逃したことも伝えた。

「そうでしたか。安心してください。子供達は無事です」

 隊長の言葉を聞いて、皆は安堵した表情で笑顔になる。

 この隊長は、慌てて駆け込んできた子供達の必死の訴えを、いたずらだと断じて邪険にすることもなく真面目に聞いてくれたようだ。

「子供達は詰所の方にいます」

 そう言って、隊長自らが、保護した子供達の元へと案内してくれる。

 どうやら隊長は、悪魔を倒すほどの実力を持つ人間には敬意を持つようだ。

 その中でも、特に注目しているのはレティシアのようだ。

 誰もが目を見張るような美貌を持ちながら、実力を図りかねない不思議な雰囲気が、見るものを引き付けるのだろう。

「こちらです」

 隊長が、ドアを開けて招き入れた部屋には、ガド達が逃した子供達が確かにいた。

 子供達は、はじめ不安な顔で固まっていたが、ガド達の姿を見るや大喜びで駆け寄ってくる。

「おう、おまえら無事だったか」

 皆が歓喜しながら抱き合うが、ガドの言葉に子供達の表情は再び沈んだものになる。

「おい、どうしたんだ?」

 あまりの感情の変化の落差に、尋常でないことが起こったと察して問いかける。

「アレクが、アレクがいないんだ!」

「なんだって!?」

 異常事態が起こったことを伝えた途端、子供達は泣きじゃくってしまう。

 ガドとベックは、はやる気持ちを抑えて根気よく話を聞き取っていく。

 それによると、門番に悪魔のことを伝えて保護された後、全員の無事を確認して見た。

 そうしたら一人足りないことがわかったのだ。

 すぐにでも探しに行きたかったが、悪魔が出たことで外に出ることができない。

 誰かに訴えようとしたが、周りが慌ただしくて、とてもいい出せる雰囲気ではなかった。

 そのため困り果ててしまい。どうするべきかわからず途方にくれていたと言う

わけだ。

「そうか、そいつは辛かったな」

 話を聞き終えたガドは、子供達を抱き寄せねぎらいの言葉をかける。

「ベック!」

 子供達が落ち着いたのを見計らって、ガドは決意に満ちた顔をベックに向ける。

 それに対してベックは、首を横にふって制した。

 ベックの態度にガドは、裏切られたような驚いた顔になる。

 そうなると怒りの感情が湧き上がり、怒鳴りそうになるが、寸前で押しとどめる。

 それから、しばらく苦虫を噛み潰したような顔でベックを睨みつけるが、彼が意見を変える様子はまったくなかった。

 ベックの言いたいことは解っていた。

 先ほどの悪魔との戦いで、手傷を負い疲労もしている。

 今の状態で探索に出ても、十分な成果は出ないだろう。

 頭では解っているが、それでも行動せずにはいられなかった。

 迷子の人間が、今もどこかで寂しい思いをしているのだから。

「オレが行く!」

 無理を承知でガドが飛び出そうとしたところで、それを遮るように名乗りをあげる者が現れた。

 ジャックだ。

 いつものお調子者といった顔をしておらず、強い意志を感じる真剣な表情をしている。

 ガドがケガをした事に責任を感じているジャックは、少しでも役に立とうと名乗り出たのだ。

「オレも行く」

 責任感で泣きそうな顔をしているジャックの肩を叩きながらロジャーが言う。

 だが、ジャックは躊躇った表情を見せる。

「ガドがケガをしたのは、オレのせいだ! だからオレが行く」

「バカ言うな! レンジャーのオレが行ったほうが早く見つかるだろう」

 ロジャーの反論にジャックは言い返そうとする。しかし、そこに追い打ちをかけるように二人の人間が割って入る。

「オレもついて行くぞ。人手は多いほうがいいからな」

「ボ、ボクも行きます。だってボク達はパーティーを組んでいるんですから」

 言わずと知れたパーティーメンバーのヤクトとロンだ。

 二人とも卒業したら、一緒に冒険者になることを誓った仲だ。

 だから、ジャックとロジャーだけに冒険をさせることは許さなかった。

「みんな、ありがとう」

 仲間達の友情に、ジャックは涙を溢れさせながら感謝し、頭を下げた。

「おまえら、迷子を探すのに、ちょいと大げさだろう」

 はたから見ていたガドが、茶化すようなことを言うが、その表情は息子の成長を喜ぶ父親のものになっていた。

 そして、これらの成り行きを見ていたマルクは、完全に出遅れたなと反省していた。

 マルクも本当は、名乗り出ようと思っていた。しかし、ジャックの気迫と、その後の寸劇でタイミングを逃してしまった。

 迷子になったアレク少年は、特別仲の良かった間柄ではない。

 それでも、同じ釜の飯を食った仲である人間には、手を貸してあげたいと思う情はあった。

 そんな風に迷っていると、マルクの背中に柔らかい感触が触れてくる。

 驚いて振り向くと、レティシアが後ろから優しく抱きしめていた。

 これはどういう事かと戸惑っていると、レティシアはマルクの心を見透かしたかのように囁く。

「いこう。マルク」

 簡潔な言葉だった。だが、その内容にマルクは驚く。

 今までレティシアは、話しかけられれば反応するという態度をとっていた。

 こちらが何もしなければ、一箇所に留まってずっとぼんやりとしているのだ。

 それが、初めて能動的な行動をとったのだ。

 これが驚かずにいられるだろうか。

 やはり、悪魔との遭遇が、レティシアに何らかの影響を与えたのだろうか。考えればきりがない。

 しかし、レティシアが積極的に何かをしようと言ってきたのだ、マルクはこれを無碍にはしたくなかった。

 意を決したマルクは、恥ずかしがりながらも、自分達も迷子探しに加わることを名乗り出た。

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