第6話 迷惑な訪問者

 今日も神学の授業は眠たかった。

 神学は宗教関係の知識を得る以外にも、神の奇跡を使えるするための下地作りという側面もある。

 ここで基礎の修行を行い、奇跡を使う事ができる資質があるかを見計らっている。

 資質があると判断された子供は13才で孤児院を卒業した後に神官になるための教育施設に行くことになる。

 マルクと一緒に神学の授業を受けたレティシアは、当然奇跡の使い手になるための修行を受けたが、まったく使う事はできなかった。

 もっとも修行を始めて一日や二日で奇跡は使えるようにはならないが。

 マルクは5才くらいから修行を始めているが、今だに奇跡が使えるようにはならなかった。

 奇跡が使えるようになるまでには個人差があるため、この修行は孤児院を卒業するまで続けなければならないので、マルクには苦痛でしかなかった。


 昼食が終わった後、今日はどうするかをマルクはレティシアに聞いてみた。

「マルクが行きたいところ」

 魅力的な笑顔でレティシアは答える。

 笑顔の不意打ちを受けたマルクは顔を赤くしてそっぽを向いてしまうが、照れた様子を見せながらも手を繋いで先導する。

 昨日と同じく剣術と答えなかったのは恐らくアニーの影響だろう。

 マルクが医務室に運ばれ、そのいきさつを知ったアニーは遅れてやって来たレティシアを見るや有無も言わせず説教をし始めた。

 アニーは孤児院の子供達にとって母親のように信頼されている女性だ。

 それはアニーが優しいだけの女性ではなく、叱る時にはしっかりと叱って悪い事や危ない事をさせないようにしてきたからだ。

 その時のアニーの表情はとても真剣であり、とても悲しそうでもある。

 このように真摯な態度をとるアニーの姿が子供達の反省を促して良き成長の糧となるのだ。

 レティシアも今回のことでアニーにこっぴどく怒られた。

 常と変わらずぼんやりとした様子をしていたが、レティシアの心には何かしらの変化はあったかもしれない。

 そのためか今日のレティシアはマルクのやりたいことに付き合うつもりでいるようだ。


 マルクが一番行きたいと思っているのはベックの授業だ。

 冒険者時代のベックは斥候であり狩人でもあった。

 そのためベックが教えることは偵察から獲物の捌き方まで多岐にわたる。

 今日のベックの授業は皮の鞣し方だったはずだ。

 教材はマルク達が二日前に持ってきた四匹の狼だ。

 解体の方は昨日のうちに終わっていた。

 本当は解体にも参加したかったのだが、昨日はレティシアに付き合って剣術に参加をしていた。

 ちょっと残念な気持ちもあるがレティシアに少しでも変化をもたらす事ができたのなら良しとすることにした。

 マルクはまだ授業には参加せず黒板の前に立っていた。

 この黒板には誰がどんな授業をどこで行っているかが書かれている。

 このまま自分の好きなベックの授業に参加するのもいいが、レティシアの好意に甘えてもいいものかとついつい考え込んでしまう。

 何が刺激になるかはわからないのなら一層のこと今まで自分が興味がなくて参加していない授業を受けるのもいいかもしれない。

 そう思い立ったマルクは一直線にある教室へと向かう。

「あら、珍しいわねマルク」

 教室のドアを開けて出迎えてくれたのはアニーだ。

 アニーは授業で使う教材の最後の確認をしていた。

 そこにあるのは針と糸と色とりどりの布切れ。いわゆる裁縫道具だ。

 マルクが訪れたのはアニーが主催する裁縫教室だ。

 マルクがここにレティシアを連れて来た理由は単純明快で、女性の行う家事の中に裁縫があったからという程度のものである。

 だからと言ってレティシアをここに残して自分だけが好きな授業に参加するのは良くないことだと思っているので、マルクも一緒に裁縫を体験してみることにする。

 アニーがここで教えているのは、単純に穴が開いた衣類の繕いから、雑巾作り。端切れをつなぎ合わせての服作や、使い古した靴下での猿の人形作りと多岐にわたっている。

 その中で初めての授業を受ける二人が最初にやるのは針に糸を通すことだ。

 当たり前だが、これは最も基本で重要なことだ。

 針に糸を通す事ができなければ何も出来ないのだから。

 最初にやるべき基本は難なくこなす事ができた。

 ベックの行う狩人の授業には狩猟だけでなく釣りもある。

 釣り針に糸を通すことは得意だったので、同じ要領で縫い針にも糸を通すことはできた。

 これならすぐに次の段階にいけるだろう。

 順調な滑り出しをしたので余裕ができたマルクは、レティシアの様子を見る。

 レティシアは針と糸を持ったまま首を傾げてキョトンとしていた。

 何をするのかわかってないという感じだ。

 鍛錬で身につけたものは自然と出てくるものだとガドは言っていた。

 あの様子を見ている限りでは、レティシアには裁縫の経験が無いのだろうと予想できる。

「いい、レティシア。私のやるようにやって見て」

 レティシアの様子に気づいたアニーが、早速指導に入る。

 アニーはレティシアの目の前で実演をし、なぞらせる。

 根気よく声を荒げることなく褒めて伸ばしていく。

 レティシアは笑顔で針に糸を通していく。

 微笑ましい光景に安堵しながらマルクは、次の課題の雑巾縫いに挑戦しようとする。

 だが、それは外から喧騒の音が聞こえて来たことから中断された。

 何を言っているのかはわからないが、大の大人の怒鳴り合う感じの声が聞こえる。

 驚いた子供たちの手が一斉に止まり、不安な顔になる。

 マルクも同様に手が止まってしまうが、レティシアだけは我関せずといった感じで雑巾を縫い始めている。

 その内、気になった子供の一人が、野次馬根性を出して見に行く。

「ガドが門の所で誰かとケンカしてる!」

 様子を見に行っていた子供が、大急ぎで戻って来て力一杯叫ぶ。

 それを聞いたアニーは青い顔になって両肩をだきながら身震いする。

「だいじょうぶ?」

 その様子を見ていた子供の一人が、アニーに寄り添う。

 不安な顔でしばらく立ち尽くしていたアニーは、心配してきた子供にお礼を言いながら歩き出す。

「みんな、少し待ってて」

 一瞬振り向いてから、カラ元気な笑顔を見せる。それから建物の外に出て何が起きているのかを見定める。

 アニーが立ち去った後は、自習しようとする子供はおらず、皆外の様子を知ろうと後をついて行く。


 様子を見に行った子供の言うとうり、門の前でガドが何者かと言い争っているのが見えた。

 相手は豪奢な服を着た優男だ。

 優男の後ろには用心棒と言うよりも、集めて来たチンピラといった風体の輩が五人ほど控えていた。

 その中で、優男が顔を真っ赤にして両手を振り回しながら怒鳴り散らしている。

 それに対してガドは涼しい顔で受け流し鼻で笑いながらあしらっている。

 優男が何者かは、マルクは詳しくは知らない。しかし、周りで噂されている程度のことは知っている。

 それによると、優男はどこかの商家の四男ぐらいらしく、家業を手伝うようなことはせず、ガラの悪い連中とつるんで悪さをしているらしい。

 そんな人物が、神殿などという場違いな場所になぜ来ているかというと、アニーに会うためだ。

 アニーが街の南側に用事があって出かけた際に、偶然出会って気に入られたらしい。

 優男は、アニーに自分の女になるように傲慢な態度で命令してきたが、当然アニーは突っぱねた。

 バカな優男はフラれた後に激怒してアニーに襲いかかったが、一緒にいたガドにコテンパンにされたらしい。

 それでも諦めようとはせずに、色々とちょっかいをかけているようだ。

 二日前にマルクが一人で森に行った時に、ガド達三人がいなかった理由もここにある。

 ライナとアニーが連れ立って出かけることになり、三人が護衛を引き受けたのだ。

 神殿にあの三人がいなければ、マルクは簡単に抜け出すことができた。

 日頃の鍛錬のおかげで、他の神官に見つからないだけの技量と自信がマルクにはあった。

「たかが下働き風情が図にのるな!オレ様を誰だと思っているんだ」

 優男のキレた怒鳴り声が、離れた所にいるマルク達にも聞こえてきた。

 前にガドにコテンパンにされたと聞いていた割りには強気な態度だ。おそらく、後ろに用心棒がいるからだろう。

 確かに老いたガドに比べて、彼らのほうが若くて力が漲っているように見える。

 しかし、孤児院にいる子供達はガドのほうが不利だとは誰も思っていない。

 なぜなら、子供達は、普段からガドが木剣を振るう姿を見ているからだ。

 その姿を思い起こせば、優男の用心棒など何者でもないように思えた。

「おうおう、この前のションベン小僧が随分と威勢が良くなったじゃないか」

 癇癪を起こしている優男の態度に、ガドが殺気を漲らせていく。

 後ろの用心棒達は殺気に当てられ顔を引き攣らせているが、感情的になっている優男は気づかず、ますます興奮している。

 それを見たガドは薄ら笑いを浮かべて、木剣を持つ手に力を込める。

 もはや一触即発かと思われたところで、静かな足取りで歩いてきたベックがたどり着いて、二人を諌める。

「二人ともそこまでにしろ。神殿で暴れるつもりか?」

 ボソボソとしたしゃべりかただが力強いベックの言葉に、ガドはやれやれといった仕草で一歩引くが、優男のほうはそれぐらいでは感情の高ぶりを抑えることはできないようだ。

「だっ、だまれ!お前もオレのことをバカにするのか。下働きのジジィのくせに!」

 拳を振り上げてさらに激昂する優男の姿に、ベックはため息をつき、ガドは獰猛な肉食獣のような顔になっていく。

 優男は愚かにも弱腰の用心棒をけしかけようとするが、嗾けけようとする前に、目の前の地面が豪快に爆ぜる。

 爆発で怪我をする人間はいなかったが、優男は短い悲鳴をあげて尻餅をつく。

 それに対してガドとベックは目を細めるだけで動じた様子は見せなかった。

「少しは頭が冷えたかな?」

 ガドの背後から、爆発をおこした張本人と思われる人間の声がしてきた。

 誰の仕業かと、声の方へと目を向ければ、ワンドを構えたベイロアが不機嫌そうな顔で立っていた。

「危ねえじゃねいか」

 ベイロアが犯人なのを知って、ガドは文句を言うが迷惑そうな顔はしていなかった。むしろ楽しそうにしている。

 腰を抜かしていた優男はしばし呆然としていたが、用心棒に助けおこされているうちに正気に戻り、顔を真っ赤にして再び怒鳴り散らす。

「き、きさま何をする。オレはルーベント商会のアルカスだぞ!」

 優男アルカスの実家であるルーベント商会は、アルントの街では一、二を争う豪商だ。

そんな名を出されれば普通はひるむものだが、彼らはそのような様子は微塵も見せなかった。

「けっ、それがどうした。商会の一つや二つが怖くて冒険者が務まるか!」

 逆に闘志に火をつけたようで、ガドは反骨精神をあらわにしている。

 これにはアルカスも目を白黒させて困惑している。

 今までは実家の名を出せば大抵の相手は怖じけずいてしまうのだが、彼らはそのような様子をまったく見せない。

 自身より社会的地位が高いようには見えない人間が、どうしてこうも強気でいるのか、アルカスには理解できなかった。

「そこまでにしてください」

 予想外の態度に頭を混乱させていると、麗しい女性の声が諍いを止めに入る。

 止めに入って来たのはアニーだ。

 アニーは初め建物の入り口で様子をうかがっていた。

 それ以上前に出るのがためらわれた。

 なぜなら、交際を断った時に危うく襲われそうになったからだ。

 ガドに助けられたとは言え、あの時の血走った眼は早々に忘れられるものではなかった。

 しかし、ガド達三人が自分のために、あそこまで矢面になってくれるのを見て、勇気を奮い立たせるべきだと思ったのだ。

「ア、アニー!」

 アニーの姿を見たアルカスは歓喜の声をあげる。

「聞いてくれ。こいつらが私とあなたとの逢瀬を邪魔しようとするのだ!」

「お引き取りください!」

「えっ!?」

 愛しのアニーが、自分に会いに来てくれたと思ったアルカスだったが、予想外のことを言われて呆然となってしまう。

「そ、そんな照れなくても」

「照れてなどいません!」

 すがるような顔で言った言葉はニベもなく否定されて、アルカスは驚いた顔になる。

 呆然となってしまうも、すぐに気を取り直して言葉を絞り出そうとするが、その前にアニーは一礼して足早に去って行った。

 すぐさま追いかけようとするが、その前をガドが立ち塞がる。

「諦めな。ありゃ脈なしだ」

 イタズラ小僧みたいな顔で笑いながらガドが言う。

 それを見たアルカスはバカにされていると思い、再び怒りの感情を爆発させて立ち上がろうとするが、すぐに気勢を制される。

 なぜなら、アルカスの喉元にガドの木剣の切っ先が突きつけられているからだ。

「アルカスさん。引き上げましょう」

 用心棒の一人がアルカスの肩を揺さぶって窘めるが、すごい形相で睨まれる。「あのジジィの首をよっく見てくだせい。冒険者の証をつけているじゃねぇですか」

 そう言って用心棒はガドの首元を指さす。

 上半身裸のガドの首には銀のプレートがついた首飾りがつけられていた。

 ガドの首にある物を見てアルカスは驚いた顔になる。どうやら前にコテンパンにされた時は気づかなかったようだ。

 それでも大口を開けて何かを言おうとするが、首元に突きつけられた木剣と用心棒の真剣な眼差しに気圧され黙り込む。

 そのまま悔しそうな顔で、用心棒の手を払いのけて去って行った。

「クソ!おぼえていろよ!」

「フン。二度とくるな!」

 捨てゼリフを残して去っていくアルカス。

 その後ろ姿を悪態で見送ったガドは自分の講義へと戻って行く。

「お前らもさっさと戻れ」

 野次馬をしていた子供達はガドの大声で元の教室へと戻って行く。

 マルクも同様に教室へと戻る。

 教室では一足早く戻って来ていたアニーが両手を胸の前で組んで深呼吸していた。

 先ほどのことで勇気を振り絞ったためだろう。

 その様子に皆が不安そうな顔になる。

 呼吸を整えたアニーは皆の視線に気づいて心配をかけないように笑顔を向ける。

「みんな大丈夫よ。授業に戻りましょう」

 いつもどおりの優しい言葉で授業を再開させる。

「いたい」

 その中で一人だけ場違いな悲鳴をあげる。

 何事かと悲鳴の方へと目を向けると、レティシアが指をくわえて悲しそうな顔をしていた。

 どうやら誤って針を指に刺してしまったようだ。

 レティシアがドジったおかげで場の雰囲気が和やかになった。

 狙ってやったわけではないだろうが、重い空気が変わってくれたことに皆んなが感謝する。

 マルクも同様の気分だ。

 しょげているレティシアの顔もまた愛らしいなと思いながら、マルクは席へとついた。






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