第5話 剣術講習
午前中の授業が終わってマルクは机に突っ伏していた。
読み書きはうまくできる方だったが算術は苦手だ。
その後に神学の授業があるが、こちらは聞いているだけで眠くなってしまう。
レティシアに居眠りしているところを見られたくなかったので必死で起きていようとしていたが、無駄な努力をしただけかもしれなかった。
そんなマルクに対してレティシアの授業態度は上の空で聞き流しているように見えた。
「どうだった授業は?」
「うん」
感想を聞かれてもレティシアはぼんやりとした顔で首をかしげるだけだった。
その姿はとても愛らしいが、見とれている暇はないので意思を振り絞って立ち上がる。
「昼飯の手伝いに行かないか?」
記憶を取り戻すための訓練としてマルクはレティシアに料理をさせてみることにした。
マルクは食事当番以外の時にもなるべく厨房の仕事を手伝うようにしている。
厨房を取り仕切る料理長が料理ができたほうが将来色々と役に立つと言っているからだ。
そのため、ここの料理長は頼めば料理を教えてくれた。
「レティシアもやってみるか?」
「うん」
マルクに促されてレティシアも手伝うことにする。
昼食の準備を終えて、皆がお祈りの言葉を捧げてから食べ始める。
質素な食事を嬉しそうに食べるレティシアを見てマルクは思った。
レティシアは料理をしたことがないと。
皿を落としたり指を切ったりといったことはなかったが、剣を振るっていた時と比べて動きがぎこちなく感じた。
鍛錬で身につけた物は自然に出てくるものだとガドが言っていたし、厨房にいたレティシアには料理がうまいという雰囲気は全く感じられなかった。
マルクは剣が振るえて料理が不得意なレティシアは冒険者か騎士ではないかと思った。
昼食が終わって午後になったので、子供達は三々五々に散って学びたいものを学ぶ。
その中で一番人気なのはガドが教える剣術だ。
男なら剣一本で出世したいという思いは強くあるようだ。
神殿の敷地の片隅ではガドの指導の元、木剣を持って素振りをしている子供達が大勢いた。
少年のガドはここで剣の基礎を学んだ。
当時も今のガドのように剣術を教えてくれる先達がいた。
卒業した後は実戦で技を磨いた。
その中でガドが身につけていったものは、華麗で洗練された優雅な剣ではなく、泥臭くても這いつくばってでも生き残る執念の剣だ。
見た目が華やかなだけの剣術は役に立たない。
ガドの剣術を優雅さが無いと言ってばかにしていた人間は、自分の剣が実戦では役に立たずに早死にするさまを何度か見てきた。
そのため、ガドが教えるのは優雅に剣を振るうことよりも、何が何でも生き残ろうとする強い思いなのだ。
マルクはそこにレティシアを連れてきた。
「おう、マルク。こっちに来るのは久しぶりじゃねえか」
二人が来たことに気づいたガドが嬉しそうな顔をする。
「レティシアが剣に興味があるみたいなんだ」
「そうかそうか。お嬢ちゃん、ゆっくりしていきな」
そう言ってからガドは木剣の素振りを続ける。
授業に参加している子供達はそれを真似て素振りをする。
その様子を見ているレティシアはとても興奮して興味津々と言った顔をしている。
「レティシアもやってみるか?」
「うん」
マルクに聞かれたレティシアは、今までのぼんやりとした顔とは違った心底楽しそうな顔で答えた。
嬉しそうな笑顔で返事をしたレティシアをマルクは木剣の置いてある所へと案内する。
たどり着いたレティシアは、その中から自身の愛剣に近い大きさの物を選んで素振りをし始めている。
子供達に混じって一心不乱に、けれども洗練された動きで剣を振るうレティシアの姿にマルクは微笑ましいものを感じながらも、自身も剣を持って素振りに参加する。
やはり、レティシアに比べれば動きは格段にぎこちない。
マルクが選んだ武器はショートソードだ。
実はマルクは剣術の授業はそれほど多く参加していない。
マルクは剣よりも弓の方が得意なので、ベックが催している狩人の授業の方を中心に参加している。
ある程度素振りをして体を温めたところで隣にいる人間同士で向き合って剣を打ち合う。
マルクの相手は当然レティシアだ。
レティシアは楽しそうな笑顔で鋭い打ち込みをしてくる。
狼の群れから自分を救ってくれた時よりは手加減してくれているとは思うが、それでもマルクは防戦一方になってしまう。
「いてっ!」
そのうち捌き切れなくなり袈裟懸けに放たれた一撃が肩に当たり突き飛ばされてしまう。
盛大に尻餅をついたマルクを見てレティシアは構えも解かずに楽しそうに見ている。
「もう一回」
愛らしい声でお願いされたマルクは、仕方なく立ち上がって再び身構える。
そしてもう一度剣撃の応酬が始まる。
マルクは美女の誘いに乗ったことを早速後悔し始めた。
レティシアの苛烈な打ち込みに再び防戦一方になったからだ。
そして今度は横薙ぎの一撃を脇腹に受けて吹っ飛ばされる。
マルクは息が止まるほどの痛みと衝撃を受けて動けなくなり蹲ってしまう。
「もう一回!」
残酷なくらいに無邪気な笑顔を向けてレティシアは再度手合わせを希望してくる。
だが、反応は何もない。
しばらく待って見ても、マルクは動き出す様子を見せないのでレティシアは、剣を構えたまま首をかしげる。
周りも様子がおかしいことに気づき遠巻きに集まり出す。
「どうした。何があった!」
周りが騒ぎ始めたことで異常を感じたガドが、人垣をかき分けて急いでやってくる。
「どれどれ」
倒れて動かなくなったマルクの体をガドは慎重に調べる。
「やれやれ」
一通り調べ終わった後にガドは溜め息を漏らす。
「気を失ってやがる。誰か医務室に連れて行ってやれ」
ガドの呼びかけに二人の少年が駆け寄って来てマルクを運んで行った。
その様子をレティシアは、いつものようにぼんやりとした眼差しで見送っていた。
レティシアの顔を見ていると何がおこったのかまるで理解していないかのように見えた。
「それにしても、やるじゃねえか」
遠目からチラリと見ていたレティシアの剣の腕前にガドは素直に感心する。
レティシアが一瞬で四匹の狼を倒した話は聞いていたが、それは普段の彼女の姿からは想像しがたいものだ。
狼を四匹抱えて持って来たところを見ると力があるのは分かるのだが、だからと言って剣術に優れているとは限らないのだ。
別にマルクの話を疑っていた訳ではないが、こうして直に見ることで実感することができた。
「ほら、みんな続けるぞ」
騒ついた周りを落ち着かせたガドは練習を続けさせる。
その中でレティシアは、マルクが去って行った方をぼんやりと見続けている。
「お嬢ちゃんはどうする。まだ練習を続けるか?」
身構えながらガドはレティシアに聞いてみる。
マルクを見送るレティシアの姿は寂しそうに見えるが、戦士であるガドには力を有り余らせているように見えた。
「うん」
聞かれたレティシアは嬉しそうに剣を構える。
「いいぜ。来な!」
ガドの予想通りだったので、レティシアは背筋に寒気を感じるほどの武人の顔をして斬りかかる。
「はははっ。これじゃマルクは役不足だ!」
一合、二合と剣を交えたガドは素直な感想を漏らす。
ガドは剣術の先生として生徒の剣の腕前はそれなりに把握していた。
その中でもマルクの腕前は人並み程度。何か突出するものはなかった。
その代わりと言っては何だが弓の腕は大したものだった。
今はまだ未熟だが、修練を重ねればきっと弓の名人となれるだろう。
それはさておき、今対峙しているレティシアの腕前は大したものだ。
レティシアは力任せに剣を振るっておらず、優れた技巧を持ち合わせた上で剣を振るっていた。
これで記憶喪失なのだから、記憶を取り戻したらどうなるか想像するだけで恐ろしくなってしまう。
今のところはガドが長年培ってきた経験と勘で対応できているが、それも遠からず対処できなくなるだろう。
だからと言って簡単に負けるわけにはいかないガドは、剣術の先生としての意地を見せる。
ガキン
硬いもの同士が激しくぶつかり合った音がした後、何かが地面に突き刺さる。
見ればそれは一本の木剣。
誰の木剣が突き刺さったのかと、周りで見ていた子供達が二人の方を見て見れば、剣を持っていないのはレティシアの方だった。
レティシアは腕を天に突き出したポーズで固まっていた。
その向かいでガドが剣の切っ先をレティシアの喉元に突きつけていた。
「オレの勝ちだな」
レティシアの剣を弾き飛ばしたガドが不敵に笑って勝利を宣言する。
それを見ていた周りの子供達が一斉に歓声をあげ拍手を打ちならす。
それほどまでに二人の戦いは激しく、見るものを熱くさせずにはいられなかった。
絶戦を制したガドは余裕の笑みを浮かべていたが、内心ではかなり焦っていた。
今の戦いは一瞬の判断ミスで地に倒れ伏していたのは自分だったかもしれないとガドは思っていた。
それほどまでにレティシアの打ちこみは重くて鋭かった。
今、剣術を教えている子供達の中にレティシアに敵うものは誰一人としていないだろう。
マルクの二の舞にならず剣術の先生として面目躍如を果たすことができて安堵しているガドはレティシアの様子を見てみる。
始めは何がおこったのかわからないといったキョトンとした顔をしていた。
それから剣のなくなった自分の手をジッと見つめている。
しばらくそうしてから自分が負けたことを理解したのか驚いた顔になる。
「もう一回!」
負けたにもかかわらずレティシアはがっかりする様子も見せず、逆に嬉しそうにし、飛び跳ねるような勢いで再選を希望してくる。
だが、ガドは美女からの甘いお誘いには乗らずに手で制して落ち着かせる。
「オレももう歳だ。あんな激しい戦いは何度もできねえぜ」
そう言われてレティシアは肩を落としてガッカリする。
よほど先ほどの戦いがお気に召したようだ。
「それよりもだレティシア。マルクの方に行かなくていいのか?」
ガドの言葉にレティシアは首をかしげて考え込む。
そのまま動かなくなったので、何のことを言っているのか本気でわかってないようだ。
「てめえがマルクを気絶させたんだろう。だったら見舞いに行ってやったらどうだ!」
とぼけた態度をとるレティシアを見て、業を煮やしたガドが怒鳴りつける。
それでびっくりした顔になったレティシアは、飛び上がるような勢いでその場を去って行った。
レティシアを見送ったガドは気が抜けたように座り込む。
「年寄りにはきつすぎるぜ」
疲れた顔をしたガドはそのまま寝転がった。
あれから一時間ぐらいしてからマルクは目を覚ました。
起き上がって周りを見てみる。
二段ベッドがたくさん置いてあって皆んなでざこ寝をしている大部屋ではない。
病人や怪我人を治療する医務室のようだ。
自分がなぜ医務室にいるのか記憶が曖昧なためしばし考え込む。
「あら、目を覚ましたわね」
記憶がはっきりし始めたところで妙齢な女性から声をかけられる。
声がする方へ目を向けると神殿長の娘のアニーがいた。
「すごく苦しそうにしていたけど、もう大丈夫みたいね」
そこまで言われて記憶のよみがえったマルクは脇腹を見てみる。
気を失うほどに強く打ち込まれた脇腹は、すでに痛みもなくアザもできていなかった。
神官のアニーが治療してくれたようだ。
神に仕える神官は、神から奇跡の力を授かりケガや病気を治すことができるようになる。
「ほら、ちゃんと謝りなさい」
アニーが側でぼんやりと座っているレティシアの肩を抱いて促す。
「ごめん…なさい」
ぼんやりとしているが、顔をうつむかせてすまなそうにしているレティシアが謝る。
「うん。大丈夫だよ」
ひどい目にあったという思いはあるが、マルクは後悔はしていない。
レティシアの記憶が戻る助けになればと思って色々なことを体験してもらおうと思っているのだから。
「よかった」
「ね、ちゃんと謝れば許してもらえたでしょ」
謝罪を受け入れてもらったレティシアは顔を上向かせ安堵の表情となり無邪気に微笑む。
「ねえ、またやろう♪」
「ダメよ、無茶させちゃ」
それに気を良くしたのかレティシアは魅力的な笑みでマルクをお誘いする。
応じてしまいそうになるが、ここは曖昧に笑ってごまかすことにする。
いくら美人のお誘いとはいえ、レティシアとのお付き合いはマルクには荷が重すぎる。
それでも、レティシアの笑みには、そんなことを忘れてしまうほどの魅力がある。
アニーが止めてくれなかったら、またうっかりと誘いに乗って酷い目にあっていたかもしれない。
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