第4話 孤児院のレティシア
北の果てにある大都市アルントの朝は早い。
季節は秋のため日の出が遅くなり始めたので外はまだ暗い。
それでも順次目を覚ましていく人が現れだし、人の営みを始めていく。
それはマルクの住むアルント北神殿に併設された孤児院でも同じだ。
大人も子供も一斉に起き出して、それぞれの役目をまっとうする。
ある者は朝食の支度をし、ある者は掃除洗濯をする。
こうして朝の仕事を一通り終わらせた後、皆で大食堂で集まってお祈りをしてから朝食をとる。
その中には当然レティシアも混ざっており、一緒に質素な食事をしていた。
ここでは神殿長のライナの意向により、身分の上下に関係なく皆で大食堂に集まって同じ食事をしていた。
「ご飯はどうだった?」
食事を終わらせた後、食器を片ずけながらマルクが聞いてくる。
「うん」
それに対してレティシアは相変わらずぼんやりとした受け答えをしてくる。
話しかけた時に、このような反応を返してくることは昨日の内に理解したので、マルクは構わず話しかける。
食事が素っ気ないことへの愚痴から始まり、昨日は無断で森へ行ったことへの罰としていつもより多く働かされたことなどを話した。
「そういえば、レティシアはこれからどうするんだ?」
「うん?」
ちょうどいい機会だからとマルクは気になることを聞いて見る。
昨日、マルクが尋ねた時、レティシアは南の街に向かうと言った。
そのため恩返しも兼ねて南にあるアルントの街に連れてきたが、そこでレティシアは何もしようとはせず立ち止まってしまった。
仕方がないので孤児院に連れて来たが、レティシアが何だか訳ありの人間なのは察することはできた。
まず、着ている服は簡素だがとても上質の物なのだが、肌寒くなる秋口だというのに二の腕や太股が露出している。
孤児院育ちのマルクでも、もう少し暖かい服装をしている。
今は年が近く見えるアニーの服を貸しているが、何だか窮屈そうに見える。
レティシアがアニーより背が高いというのもあるが、それ以外のことは触れないでおこう。
また、着ている服が質素な割りには持っている剣は豪勢だった。
黄金に輝く剣は一塊のオリハルコンで作られており、鍔の部分は竜の頭を模した凝った作りとなっている。
このアンバランスさが訳ありという雰囲気を作りだし、また質問することを躊躇わせていたとも言えた。
それでもあえて、今聞いてみることにする。
「ふく…しゅう?」
しばらく考えた後、首を傾げて昨日と同じ答えを言う。
レティシアの口から出てきた意外な言葉がマルクは気になって仕方がなかった。
マルクにはどうしても、レティシアが人を憎んで復讐をする人間には見えなかった。
レティシアはぼんやりとしてはいるが、天真爛漫でいつも魅力的な笑顔を周囲に振りまいていた。
そんなレティシアが一体何に怒りを感じて復讐をするのかマルクにはまったくもって想像することができなかった。
「復讐って、誰にするんだい?」
マルクは真剣な表情で、さらに踏み込んだ質問をして見る。
聞かれたレティシアは洗い物をしていた手を止め、空中を見つめて考え事をしている。
「…だれ?」
しばらく考え事をした後、絞り出すような声でそれだけをつぶやく。
そしてまた、首を傾げて考え込んでしまう。
「レティシア!」
その状態がいつまでの続きそうなので、マルクは慌てて声をかける。
「ごめん。無神経なことを聞いて。その言いたくなかったら言わなくていいよ」
レティシアの様子に不安を感じたマルクは咄嗟に思考を中断させるような事を言うが、その言葉が届いていないのかレティシアの顔はずっと苦悩したままだ。
「えっと、レティシアには家族はいるのか?」
レティシアの表情を曇らせたことに罪悪感を感じたマルクは急遽話題を変えることにする。
咄嗟のことでどんな話題を振ればいいかわからなかったが、無難な家族の話をすることにした。
物心ついた頃から孤児院にいたマルクにとって家族とは、この孤児院にいる全ての人間のことを指している。
話す機会がない相手でも同じ釜の飯を食べた仲間という親近感があった。
「…ねえさん?」
「お姉さんがいるの?」
またも首を傾げて考え込んで出てきた言葉には肉親の情というものが希薄に感じられた。
「姉さんと呼んでいた」
「どういうこと?」
続けて出てきた言葉が理解出来ないので思わずマルクは聞き返してしまう。
「私を姉さんと呼んだ。南の街に行こう言った。動かなくなった」
「レティシア!?」
またもレティシアは苦悩した表情になり、瞳が虚ろなものへとなっていく。
先ほどよりも状態が悪くなったように感じたマルクは慌ててレティシアの両肩を揺さぶって正気に戻そうとする。
「マルク?」
それが効を弄したのか、レティシアは正気に戻ったように見え、マルクの方へとぼんやりとした眼差しを向けている。
「その、ごめんレティシア」
さらに一層の罪悪感に襲われたマルクは項垂れて謝ることしかできなかった。
「うん」
怯えた子犬のようになってしまったマルクを見てレティシアは優しく抱きしめる。
「えっ!?」
思わぬ出来事で今度はマルクの頭が混乱状態になる。
気恥ずかしくなり抜け出そうとするが身動きがとれない。
忘れているかも知れないが、レティシアはこう見えて狼を四頭まとめて抱え込んで歩き回るほどの膂力がある。
そのためガッツリと抱きつかれるとちょっとやそっとでは抜け出せなくなってしまう。
「レティシア?」
戸惑った表情でマルクはレティシアを見る。
その顔は慈愛に満ちた表情で微笑んでいる。
見ていると気恥ずかしさが次第に安心感に変わっていく。
レティシアの持つ温もりと優しい香りに促されてマルクは、そのまま胸に顔をうずめてしまう。
そして、そのままつられるようにレティシアの細い腰へと腕を回していく。
「ずいぶんとアツアツじゃねえか」
頭の中が陶酔した気分になってきたところで揶揄する声が飛んでくる。
今の状態を人に見られてしまったことでマルクの中でまたも羞恥心が湧きあがる。
顔を上げて声のほうを見ると、ガドがニヤついた顔でこちらを見ている。
その後ろでアニーが気まずそうに顔を赤らめてそっぽを向いていた。
「えっと、あのその!」
慌てて離れようとするが、レティシアは離してくれず、ガド達のほうを首を傾げて不思議そうに見つめている。
「気にせずごゆっくりと言いてえところだがな。マルク、話がある」
ツラを貸すように言われて戸惑うマルク。
今の状態のレティシアから離れることに躊躇いを感じてしまう。
「アニー。後は頼む」
そんなマルクの心情を理解したガドは、側にいるアニーにレティシアのことは任せて連れていくことにする。
「レティシアさん」
「うん」
アニーに促されたレティシアは、ぼんやりとした表情のまま抱きしめていたマルクを解放する。
連れて行かれるマルクを見送る眼差しはどこか憂いを帯びているようにも見えた。
後ろ髪引かれる思いでマルクが連れて来られた場所は、神殿長であるライナの執務室であった
ここにいるのは部屋の主であるライナの他に、マルクを連れてきたガドと一緒に孤児院の手伝いをしているベイロアとベックの姿があった。
「話というのは他でもないわ。あなたの連れてきたレティシアさんのことよ」
そう言われてマルクは緊張した面持ちになる。
レティシアが訳ありなのは理解していたが、まさか神殿長のライナから呼び出しを受けるほどとは思わなかった。
ひょっとした賞金首なのではと一瞬思ったが、あんなに綺麗で暖かい印象を持つ人があり得ないと思い直す。
「実は彼女は記憶喪失である可能性があるの」
「ええっ!」
最悪の事態を覚悟していたが、そのようなことにはならなかったものの、予想外の話にさらなる驚きと混乱が頭の中を襲う。
「どういうことですか?」
「うむ、ここからは吾輩が説明しよう」
このままライナに掴みかかるのではないかと思うぐらいに驚いた様子を見せるマルクにベイロアが詳しく説明をする。
昨日、魔剣の処遇について本人の意思を確認しようと話を聞いて見たのだが、どうにも要領を得ることができなかった。
それでも辛抱強く話を続けていくうちにある確信を得ることができた。
それがレティシアは記憶を失っているというものだった。
ベイロアの見立てではレティシアは幼少期ごろまでの記憶を失っているのではないかと見ている。
「えっ!でも、昨日レティシアはすごい勢いで狼を四匹も倒しましたよ?」
ベイロアの話を聞いてなるほどとは思うところがレティシアにはあるが、それと同時にマルクはレティシアの目にも留まらぬ早業を思い出して疑問に思う。
記憶のない人間が、あんな動きができるのかと。
「まあ、それはあれだな」
マルクの感じた疑問を元剣士のガドが答えてくれる。
「記憶がなくても鍛錬で身につけたものは自然と出てくるものなんだ」
「そうなんですか?」
「そいうもんだ」
ガドの説明を聞いてマルクは素直に感心する。
自分もいつかそうなれるといいなと思いながら。
「そいうわけでなマルク。我々はしばらくこの孤児院でレティシアを預かろうと思っている」
「えっ!?」
脱線した話をベイロアが戻し、神殿で出た結論を伝える。
それを聞いたマルクは喜びの感情が入り混じった驚きの声をあげる。
ひょっとしたらレティシアは、今日にでもこの孤児院を離れてどこか遠くに行くのではないかという不安な気持ちはあった。
出会ったのは昨日だが、それでもマルクの心を惹きつける笑顔をレティシアは見せてくれた。
「それでねマルク君にはレティシアさんのお世話をして欲しいの」
「どいうことですか?」
続けてのライナの言った言葉にマルクはさらに混乱する。
ライナが言うにはレティシアの記憶喪失はかなり酷いもので、今のままだと日常生活に支障をきたす恐れがある。
そのためレティシアの日常生活をサポートする人間が必要になる。
その役目をマルクにやってもらおうと思ったのだ。
「オ、オレなんかでいいんですか?」
ライナの提案をマルクは恐る恐る聞き返す。
自分が重要な役目を全うできるか不安になる。
「私は適任だと思っているわ」
マルクの迷いを払拭するためにライナは笑顔で答える。
ライナから慈愛のある笑顔を向けられたマルクは続けてガド達三人の顔を見回してみる。
マルクに視線を向けられた三人はそれぞれ力強く頷く。
「わかりました。やってみます」
四人の顔をそれぞれ見回したマルクは、不安を取り払った力強い声で返事をする。
「あ、そうだ」
そのまま勢いで部屋から出ようとしたマルクだったが、立ち止まってふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「レティシアの記憶は戻るんですか?」
その問いに対してライナとベイロアは難しい顔をする。
「わからないわね」
「うむ。そのとうりだな」
ライナは神殿長を務める司祭として神の奇跡を使うことは出来るが、失われた記憶を取り戻すなどといったことはできない。
ベイロアも魔術師としていくつかの補助魔法は使えるが、記憶喪失にきく魔法は見たことも聞いたこともなかった。
そのため記憶が戻るかどうかは運に任せるしかない。
いつか何かの拍子に記憶が戻るのを祈るしかない状態だ。
「そうですか」
マルクは残念そうな顔をして部屋から出て行った。
それを見送ったベイロアが溜め息と共につぶやく。
「結局剣のことは保留となったな」
「仕方がないわ」
レティシアがあの様な状態だったが、魔剣を神殿で預かることを了承してくれた。
ただし、封印などはせず本人が望めばいつでも持ち出せる様にしておく。
あの魔剣はレティシアが記憶を失った原因かもしれないし、逆に記憶を取り戻すきっかけになるかもしれない。
その様に考えた結果、なんとも曖昧な結果となってしまった。
神殿長であるライナから役目をもらったマルクは意気揚々とした気分でレティシアの元へ戻ってきた。
レティシアは、食堂でアニーとおしゃべりをしていた。
見た感じだとアニーが時事の身近な出来事を色々と語り、レティシアがぼんやりと相槌を打っているといった状況だ。
レティシアの夢遊病者のような態度に苛立たしさ感じているように見えないのは、アニーがレティシアの記憶喪失が早く治って欲しいと思っているからだろう。
こうした会話をきっかけに失った記憶の手がかりが見つかるといいなと思っているのだから。
「レティシア。これから学校が始まるんだけど一緒にいかないか?」
孤児院には子供達に読み書き算術および神学を教える学校がある。
マルクはレティシアが記憶を取り戻すための手助けの一環として誘ってみることにした。
「うん」
レティシアは了承してくれた。
マルクはちょっと照れた顔をしながらレティシアの手を引いて教室へと案内する。
レティシアの記憶が戻るにはどうすればいいかはマルクには正直よくわからない。
だからといって尻込みするようなことはせずに、いろんな出来事に積極的に参加させようと思った。
「そうだ、午後には選択授業があるんだ。何を受けてみたい?」
この孤児院では手伝いをしている三人の老人が自分の得意分野を教える授業をしている。
授業の内容はガドが剣術をはじめとした近接戦闘。
ベイロアが魔術と詩歌。
ベックが狩猟関係となっている。
この三人のうちガドとベックが、ここの卒業生となってる。
ガドとベックは孤児院を卒業した時、同じ孤児院仲間を率いて五人組のパーティを組んで冒険者となった。
いくつかの冒険を繰り返すうちに貴族の三男で魔術師のベイロアと知り合った。
家督を継げづに冒険者となったベイロアとは初めのうちは反発していたが、苦楽を共にしていくうちにわかり合い意気投合して一緒のパーティーを組むことにした。
それから何年かしてパーティーメンバーの二人が結婚し、もう一人が貯めたお金で牧場をはじめた。
その後も新しいメンバーを何度か入れ替えて冒険者続けていたが、年をとって続けられなくなったので引退した。
その際にガドとベックは世話になった孤児院に恩返しをするために戻ることにし、その時にベイロアに一緒に来ないかと誘ったのだ。
はじめは迷っていたベイロアだったが、二人の真剣な眼差しに根負けして今に至っている。
選択授業の内容を聞かれたレティシアは考える素振りも見せずに屈託のない笑顔で力強く答える。
「剣術!」
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