第2話 少年と戦乙女

 山菜取りに来ていた少年マルクは自分が思っていたより森の奥に入り込んでいたのに気づいた。

「やばいな」

 カゴを背負い弓矢を装備した赤毛の少年マルクは周りを見渡しながら焦った表情でつぶやいた。

 いつもは同じ孤児院の仲間たちと一緒に採取に来ているのだが、今日は同行してくれる人はいなかった。

 本来なら森に入るのはやめるべきなのだろうが、冬がもうすぐ来るということもありなるべく多くの食べ物を集めたかったのだ。

 何せこの辺りは冬になると雪に覆われてしまい身動きが取れなくなってしまうのだ。

 だから単身でも構わずこっそりと森に入った。

 獲物ぐらいすぐに見つかるだろうと思って。

 しかし、今日に限って山菜が中々見つからず、獲物の方も兎一匹見つからなかった。

 そうこうするうちに躍起になってしまい、普段は入らないような奥地へと入り込んでしまったのだ。

 マルクは今日の採取は諦めて帰ろうとするが、その足が数歩も行かないうちに立ち止まってしまう。

 その理由は、マルクの目の前の茂みから何かが姿を現したからだ。

 それは立派な毛並みの狼であった。

 それも目の前の一匹だけではない。

 左右と後ろからも姿を現して、マルクのことを完全に取り囲んでいた。

 採取がうまくいかなっかためか注意が散漫になっていたようだ。

 しかし、嘆いて見ても仕方がない。今はこの絶望的な状況からいかにして脱するかを考えねばならないのだ。

 現に狼の群れは、こちらの逡巡など御構い無しに包囲の輪を縮めていく。

 弓に矢をつがえて正面の狼へと向ける。

 今ここで正面の狼を仕留めたとしても左右と後ろにいる狼に襲われるだろう。

 マルクはまだ、このような状況を乗り越えることができるほどの技量は身につけていなかった。

 だからマルクは思いっきり叫んだ。

「誰か助けてくれ!」

 生き残るために恥も外聞も捨てて力の限り叫んだ。

 それで一瞬、狼達は驚いた様子を見せたが、すぐにマルクへと狙いを定める。

 力の限り叫んだが誰かが来る様子はなかった。

 人気のない所まで来てしまったので、すぐに誰かが来るとは思えなかったのでマルクは二度、三度と叫び続けた。

 やがてマルクの大声で狼が怯まなくなり、いよいよ飛びかかろうとした時異変がおきる。

 風を切り裂き藪をかき分けて何かがこちらに近ずいて来る。

 これにはマルクだけではなく狼達も大きく動揺しているのが見て取れた。

 誰もが何もできずに困惑しているうちに藪を突き抜けてそれは現れた。

 腰まで伸びた金糸のような髪と若葉のごとき鮮やかな緑眼を持つ美しい女性。レティシアが。

 颯爽と現れたレティシアの姿を見てマルクの視線は釘付けとなった。

 その美貌に見とれてしまい、場違いにも女神が現れたのかと思ってしまった。

 しばらく見とれていたが、狼達の唸り声で正気に戻ると同時に彼女が自分の助けを呼ぶ声を聞きつけてくれたのだと理解した。

「た、助けてくれ。狼に襲われそうなんだ!」

 見た目は妙齢で可憐な女性だが、立派な剣を持っていることからマルクはレティシアの腕前に期待を寄せる。

 マルクの助けを求める声にレティシアは身を低くして戦闘体勢を整える。

 そして、相手の隙を窺うようにゆっくりと剣の柄に手をかけていく。

 マルクはゆっくりとしているが緩慢に見えないレティシアの動きを固唾を飲んで見守る。

 狼達もレティシアの方が手強い相手と判断したのか、そちらの方へと意識を向けている。

 威嚇をしていた狼のうちの一頭がたまらずに一声吠えたのと同時に、レティシアの手に剣の柄が握られた。

 そこからはまさに電光石火の早業だった。

 抜剣と同時に目の前の狼へと駆け寄り首をはねる。

 そこから弧を描くように駆け回り残りの狼も一閃の元に斬り伏せていく。

 まさにまばたきする間に全てを終わらせていた。

 老人の言っていた剣を持てば敵なしという言葉に嘘偽りはなかった。

 達人の剣技が披露されたが、マルクには何がおこったのかよくわからなかった。

 気がつけば四匹の狼が血飛沫を上げて倒れていたのだ。

 驚きすぎて呆然自失となってしまった。

「あ、ありがとう」

 それでも自分が窮地を脱したことは理解できたので、絞り出すような声でお礼を言う。

「オレの名前はマルクと言うんだ。君の名前は?」

 聞かれたレティシアは剣の血を払って鞘に納めてから振り返る。

 それから少し間を置いて考える素振りを見せてから答える。

「レティ…シア。レティシア?」

 首を傾げながら答える姿は、先ほどの武勇が嘘だったかのように愛らしい。

「レティシアかい?」

 自信がなさそうだったので聞き返してみるとこくんとうなずいた。

「それで、あの…」

 今までにない状況なので、動揺してどう言葉を続ければわからない。

「良かったら血抜きをするのを手伝ってくれないか?」

 そのため場違いで間の抜けた言葉が出て来てしまったが、レティシアは心地良くうなずいてくれた。


 四匹の狼の死体がぶら下がって血をたらしていた。

 とてもシュールな光景の横で、マルクとレティシアは座り込んで話をしていた。

「レティシアはどこから来たんだい?」

「…あっち」

 少し間を開けてから北を指す。

 レティシアが指し示した方角を見てマルクは驚いた顔になる。

 マルクの記憶違いでなければ、ここはアルキアの大森林と呼ばれる所だ。

 北の最果ての地とも言われ、人が住んでいないとされてきた。

 そのためレティシアの言葉には、にわかには信じられないものがあった。

 けれどもレティシアがウソをついているようには見えなかった。

「これからどこに行くつもりだったんだ?」

「南…のマチ?」

 続けても間を置いてから首を傾げて答える。

 レティシアの言う南にはアルントという街がある。

 アルントはマルクの住む孤児院がある街であり、人間の住む最北の地とも言われている。

 マルクは自分がそこに住んでいることを伝えるとともに一緒に来ないかと誘ってみた。

「うん。マルクと一緒に行く」

 レティシアは満面の笑みで同行することを了承した。

 とても魅力的な笑みを向けられたマルクは思わず見入ってしまい、顔が赤くなり鼓動が早くなるのを感じた。

 照れ隠しのように頭を振ってから立ち上がったマルクは吊るされた狼へと目を向ける。

 肉食動物の肉はあまり美味しくないが毛皮は高く売れる。

 冬が来る前の貴重な収入源になるので、できれば四体とも持って帰りたい。

 しかし、マルクの力でカゴに入れて持って帰れるのは一頭だけであろう。

 そう思いつつもチラリとレティシアの方へと目を向けてしまう。

 実は、この狼の死体をぶら下げるのは全てレティシアにやってもらった。

 レティシアは狼の足を縛り付けたロープを軽々と引っ張りあげた。

 しかも、四頭分連続で引っ張り上げても息一つ乱してなかった。

 だからひょっとしたらと思って聞いてみる。

「レティシア。あの狼を何頭運べる?」

 続けて立ち上がったレティシアは吊るされた狼を見ながらぼんやりと考える。

 それから狼を下ろしてから、まとめて抱き上げた。

「だい…じょうぶ」

 レティシアは両脇に二頭づつ狼を抱き上げるが、左手には剣を持っているためか持ちにくそうにしている。

「その、持とうか?」

「ありがとう」

 予想以上のレスティアの膂力に驚きつつも、マルクは不便を強いている大剣をカゴに入れてもらう。

 見目麗しい女性が持っていたことから勘違いしてしまいそうだが、クレイモアである魔剣<ラース>はかなりの重量がある。

 カゴに入れた途端、マルクはひっくり返りそうになったほどだ。

 歯を食いしばりながら耐えたので、無様な姿をさらさずに済ますことはできた。

「さあ、行こうか」

「うん。いく」

 マルクのかけ声にレティシアは嬉しそうにうなずく。

 両腕に抱えているのが狼の死体でなければ魅力的に見えただろうが、今はとてもシュールだ。


 空が夕日に染まる前に、マルクとレティシアは森を抜けて大きな外壁が見える所までやって来た。

「ほら、あれがオレが住んでいるアルントの街だ」

「うん」

 マルクが自慢げに立派な外壁を指差す。

 それに対してレティシアは相変わらずぼんやりとしており、目的地に着いたことに何の感慨も感じていないようだった。

 幸運にも帰り道は何物にも襲撃されずにすんだ。

 レティシアの両手が塞がった状態で、また襲撃されたらどうしようかと内心思ったが杞憂ですんだようだ。

 このまま二人は人気のない街の北門へと向かう。

 北門の目の前まで来ると相変わらず人気がなかった。

 ここは北の果ての街なので人で賑わうのは南のほうだ。

 こちらを利用するのは、目の前にある大森林へと探索や採取する人間だけだろう。

 だからと言ってこちらの見張りがおろそかになっているという事はなかった。

 過去の記録によると、北の彼方から巨大な悪魔が襲いかっかてきたため多大な犠牲を払って撃退したとある。

 そのため異形の怪物の襲撃に常に目を光らせていた。

 ちなみに、悪魔の話は子供達の躾にも利用されている。


 マルクはいつものように門番に挨拶をするが返事が返って来なかった。

 どうしたことかと見てみれば、二人共レティシアの美貌に見とれていた。

 このような辺鄙な所にレティシアのような美人が訪れることなど滅多になかったので呆然自失となっていた。

 レティシアのことを色々と聞かれても説明がうまくできないので、正気に戻る前にそそくさと門を通り抜けて行く。

 北門は大森林から来る脅威を見張るのが重要な任務になっていたので人の出入りは緩やかだ。

 それでも、街に入れば人の営みのある雑然とした雰囲気を持っている。

 ただし、こちら側は割と貧しい人達が多くすんでいる。

 人の出入りが多い南側が街の顔となるので、どうしても反対側に押し込めたという感じが否めなかった。

「ようこそアルントの街に」

「うん」

 マルクが街に着いたことを歓迎するが、レティシアは何の感慨もなくただぼんやりと街並みを眺めているだけだった。

「レティシアはアルントに来たかったんだよね?」

 門をくぐって街の中に入ったにもかかわらず、動こうとしないレティシアの態度に不安を感じたマルクは恐る恐る聞いてみる。

「うん。南の街に行く」

「街に着いたら何をするつもりだったんだ?」

 そう聞かれてレティシアは首を傾げて考え込む。

「ふく…しゅう?」

「ええ!?」

 あどけない仕草から出て来た物騒な言葉にマルクは飛び上がらんばかりに驚く。

「復讐って、誰に?」

「…?」

 さらに深く尋ねられてレティシアはまた考え込む。しかし、今度はいつまで経っても答えは出ず、首を傾げたり俯いたりを繰り返し続けた。

「えっと。これから行く当てはあるの?」

 レティシアの様子を見ていると、このままいつまでも考え込んでいることになりそうなので違うことを聞いてみる。

「ううん」

 今度は考え込むことなく答えが帰って来たが、先行きが不安になる答えだった。

 レティシアは命の恩人なので、ここで別れるのは薄情だと思ったマルクは思い切った提案をしてみることにする。

「その、よかったオレの住んでいる孤児院にこないか?」

「うん。行く」

 そう言われたレティシアは満面の笑顔で再度了承してくれた。

 マルクはこの笑顔に再び魅了されてしまう。

「じ、じゃあ、行こうか」

「うん」

 またも顔を赤くしながらもマルクはレティシアを先導して自分が住んでいる孤児院に行くことにした。

 

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