第63話フラッグ

 怪我をして後方に下がってはずのフラッグがなぜここへ?

 クララはそう疑問に思ったが、それも当然だ。

 ここは旧都ラクトの研究施設、つまり敵地のど真ん中だ。


「……裏切り者、だったのですね」

「裏切り者ってのはぁ、ちょっと言い方が悪いねー。

 ちゃんと格調高くスパイって呼んでもらわなきゃ」


 銃を突きつけられても変わることのないフラッグのその飄々ひょうひょうとした言い方は、クロと酒を飲み交わし話をしていたときと変わらない。

 そのフラッグはクララの前に姿を見せただけで、クララを捕まえようとしたり警備を呼ぼうとしたりする様子はない。


「おまえさんたちの保護者に借りがあってね。

 ちょいとその借りを返さないといけないってわけよ。

 ……あんたらはアレのなんなんだ?」


 最後だけフラッグの口調が苦々しいものに変わる。

 その言葉にただクララは銃を構えたまま眉をひそめるのに留めた。


 フラッグはため息を吐いてその表情を消して言葉を続ける。

 裏切り裏切られのスパイ家業だからこそ、信義については譲れないものがあるのだと。


「保護者というのは……コーラル艦長のことではないですね?

 先生……、クロさんのことでしょうか」


「まったく……アレはなんだよ。

 どんなふうに生きればあんなふうになんだよ?

 中身はどう考えてもイカれてやがる」





 軽快にクララに話しかけていたフラッグだったが、内心の動揺を抑えきれずについを口にしていた。


 あの日、撃墜されたが怪我の程度は大したことはなかった。

 それでも検査も兼ねて医務室で処置を受けてベッドでしばしの休憩をとっていたフラッグの元にあの男……クロが足を運んだ。


 クロはフラッグにこう話を持ちかけた。

 お前、政府特務調査官のフランクだろ、と。


 フランクの名も偽名ではあるが、それを名乗るときは政府軍の特務調査官として。

 つまり反乱軍の敵である。


 フラッグは政府特務調査官フランクが反乱軍へスパイとして潜入した偽名。

 スパイは正体がバレればその命が危うい。

 なので、そう易々と見破られるはずなどないのに。


 フラッグが表情には出さずともわずかに瞳孔が反応したのを見て、クロは一方的に話を続ける。


 旧都ラクトへの侵攻計画の情報を渡して見逃してやる。

 その代わり旧都ラクト基地内にある秘密研究施設のハンガーブロックにあるシャッターの前で小猫が迷い込む。

 それを逃してやれと。


 すぐに反乱軍から出て政府軍に戻ったフラッグにはわからないことだが、クロがフラッグに告げた情報は作戦の直前ブリーフィングで3日遅れで皆に公開された。


 情報は水物だ。

 早ければ早いほどその情報は鮮度を保つ。

 公開される前の情報をもたらされる。


 それがすでに政府軍には対処済みのことであっても、改めて反乱軍の行動指針を確認できることはなんにでも変え難い優良な情報だ。


 反乱軍からすれば本来なら一兵士に得られる情報ではない。

 それを知っている元傭兵の中尉。

 それもなにかと有名な3美姫に慕われた謎の男。

 幹部に近い立場にあるのは間違いない。


 そう思って仮初の同僚の死を口実に接触を図った。

 ……たったそれだけで相手に看破されるとは想像もつかなかった。


 だが、だからこそわからない。


 反乱軍において、もしかすると致命的になる可能性すらある情報を知り得て、それを漏らす。


 プロだからこそフラッグにはわからないそのチグハグさに恐怖を感じて背筋が凍った。

 だがフラッグを驚かせたのはその代償だ。


 小猫をこの日、この場所で逃す。


 意味がわからないどころではない。

 フラッグからすれば、むしろいるはずのない3美姫の1人がここで逃げ遅れているなど想像もつかない。


 銃を突きつけられているからではない。

 そのあり得ない事実に恐怖して顔が引き攣ったのだ。


「本当に、ねぇ?

 なんで小猫ちゃん、マジでここに迷い込んでるんだよ……」

 それがフラッグの偽らざる本音だ。


 スパイは徹底的な現実主義者だ。

 だからこそ、タチの悪いペテンにかけられたようで現実という名の大地が揺らいだ気さえする。


 情報交換というのは正当な取引だ。


 そこに嘘が混ざっていない以上、その代償も支払わなければならない。

 それは情報を扱うものとして……スパイという影に生きる以上、避けては通れない。


 この代償を支払わなければあの男はフラッグを殺すだろう。

 同時にフラッグが所属する組織にも致命的な影響を及ぼしていくことだろう。


 そんな得体の知れないナニカがあの男にあるのだとフラッグには感じられた。




 マークレストの行く手を塞いでいたシャッターが完全に開かれ、マークレストが操作室の方をわずかに振り返るような動作をした。


 それでも意を決したように動き出し、その銀と青の魔導機はそこから戦場へと飛び立った。

 2度は振り返らず。


 そこから数分ほどの時間しか経っていないはずだ。

 クララとフラッグは銃を突きつつけた者と突きつけられた者として無言の時間が流れた。


 ほどなく、建物を破壊する破砕音でクララは思わず、身をかがめる。


 そんな中でも動揺することなく、腕を組んでニヒルな笑みでフラッグは天井と取り払われた壁の方を見て言った。

「お迎えだよ、小猫ちゃん」


 クララは急に入り込んだ風で長い銀髪がたなびくのを手で押さえ、外の景色に目を向ける。

「どうやら、間に合ったようだな」

 その穴から顔を覗かせる漆黒の魔導機。

 どうしている場所がわかったのだろうという疑問が浮かぶ前に、クララの胸に込み上げるものがあった。


 それほど長い期間離れていたわけでもない。

 それほど長い期間一緒に過ごしたわけでもない。


「先生……」

 それでもクララにはどうしようもないほどに懐かしい声に思えた。


 そのクララがとろけた乙女の顔をしていたことを指摘するヤボな者は、この場にはいなかった。


「約束通り小猫ちゃんは保護しといたぜ、ヒーロー?」

 フラッグが呼びかけると、漆黒の魔導機はそのフラッグに顔を向け言い放つ。


「これでチャラだ。

 次に敵として顔を見せたらぶち殺してやるよ」

「おー、怖っ」

 フラッグはフッと口元に笑みを見せて肩をすくめた。

 そして、静かにその姿を消した。

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